1.ダメ艦長アリス
「――敵戦艦メーザ級ジャルージ、レーダーから……ロスト……」
薄暗く広い部屋。沢山の画面が点々と不気味に光る船橋内に、一人の女が静かな声を響かせた。
髪は蒼色のセミショート。頭に付けた赤色のカチューシャが妙に目立つ。
カチューシャの女は、やや釣り上がった細い目を更に細め、目の前にあるオレンジ色の画面を見つめていた。
画面には升目の線が引かれた映像が映り出され、女はそれから目を離さず、手元にあるキーボードのキーを休まず打ち続けている。
その声を聞いた瞬間、
「……はぁ」
船橋の真ん中にある椅子に腰を下ろしていた男が大きくため息をついた。
先ほどの緊迫した空気から一気に解き放された為か、男は茶髪のセミショート揺らしながら前の机へと力なく崩れる。左目に掛けられた黒の眼帯が、腕に押し当てられて膨らんだ肉により、少しだけ歪む。
「危なかったな……」
「そうですね……」
男の声に、今度は別の女が答えた。
その女は男から数十センチ前にある操舵輪を両手で握り締め、長い黒髪を時たま揺らせながら、ガラスの向こう側に広がる漆黒の空を見据え立っていた。
「……まさか、徹甲弾だったと……」
「一本取られましたな! アリス君!」
「うおッ!?」
突如、目の前に女の顔がアップで現れ、それに驚いた男は、椅子と共に大きな音を上げ後ろに倒れた。
その音にカチューシャの女と操舵輪を握る女が反応し、振り返る。
「いてて…」
ズキズキと痛む後頭部をさすりながら、男が上半身を起こす。
「アリス君! これは君の失態だぞ! 君があの時、『多分、敵はぁ~、ビーム兵器を使うみたいなぁ~』――と生半可な判断を出してしまうから、こう言った悲惨な結果を招いてしまったのだよ!」
銀髪ロングを激しく揺らしながら、突然現れた女はどこか偉そうな上司の口調で物を言い、ドン! と机を大きく叩いた。
「……っ何言ってんだ……。それはお前がァハッ!?」
浮き上がる体、直撃する蹴り。間髪入れず、女は机に手を置き、飛び越える形でアリスと呼んだ男の頬に蹴りを入れた。
アリスはその衝撃でまた大きな音を上げ、再び後ろにへと崩れる。
「……どうやら、アリスさんは錯乱気味の様ですね。そこで、しばらく休んでいて下さい。私が変わりに……」
偉そうな上司から今度はシリアスな女性の口調へと変え、女は真ん中の机に向かって歩き出した。
「よいしょ……さて――」
横に転げていた椅子を元の位置に戻し、そこに腰を下ろす。その女の行動を、二人の女は何も言わずただジッと見続けた。
銀髪ロングの女は机に両肘を立て、手を組み、その上に顎を乗せ、
「……うふっ、……ウフフッ」
不気味な含み笑いを船橋に響かせた。
「……遂に、遂に遂にこの時がやって来た!」
声を張り上げ、勢いよく立ち上がり、右手を前に突き出す。
「皆の衆、よく聞けぇー! つい先程までこのアフリクトの艦長を勤めていた、アホの艦長アリスが敵戦艦の攻撃により戦死なされた! よって、次期艦長候補、出世街道爆走中のこの私、リーアス・メアリー様に全指揮権が移された。私の命令は絶対だ! 以上ッ!」
どこかの軍隊長のような熱弁を奮った後、リーアスと名乗った銀髪ロングの女はどっしりと椅子に腰を下ろし、鼻息を荒立たせながら両手、片足を組んだ。
「……」
「ははっ……」 それを聞いていた、カチューシャの女は無表情で何も言わず、操舵輪を握った女はただ苦笑いをし、二人共何事も無かったかのように前へと向き直った。
「よし……それではヴェル君、現在状況を、ゴホン! 伝えてもらおうか」
「……」
リーアスの言葉に、ヴェルと呼ばれたカチューシャの女が、キーボードの横にある赤色のキーを押す。
無音のまま、リーアスの目の前に升目模様の小さな映像が現れた。色は青、映像の一番下には緑色の三角マークが一つあり、それから右上に向かって数センチ離れた場所に、赤色の三角が点滅を繰り返していた。
画面の周りには、長細い戦艦の映像や何かの折れ線グラフ、棒グラフなど、様々な情報が事細かく映り出されていた。
「むっ……」
リーアスは眉を寄せて、画面を睨み付ける。
「……うむむ」
更に眉を寄せ、顔中から汗を垂らし画面に徐々に近づけて行く。
最早、目と鼻の間ぐらいに近づいた時、
「……はぁ~」
突然顔を戻し、左右に両手を軽く広げ、溜め息をついた。
「さすがはおんぼろ、何度見ても訳が分からない。よく選ぶよね。――ヴェルちゃん、この赤色の印が敵戦艦……だよね?」 赤色のマークを指差し、リーアスがヴェルの方に顔を向ける。それに対しヴェルは、キーボードのキーを打ち続けたまま小さく頷いた。
「となると……、コイツがここにいるから、私達からだと結構近く……、ミスズさん二時の方向へ舵を取って」
「えっ……、いいんですか? こちらの方向には……」
ミスズと呼ばれた操舵輪を握り締めていた女は振り返り、困惑した表情を見せる。
「大丈夫! 私の作戦は完璧です!」
その表情とは反対にリーアスは堂々とした顔で両腕を組み、ふんぞり返った。
「ほぉ~、ではその完璧と豪語する作戦内容を教えてもらおうか……」
突然、後ろから聞こえる暗く籠もりきった男の声に、リーアスは意気揚々と答えた。
「おおぉ~! よくぞ聞いてくれましたなぁ~、では説明しましょう。まず、この印を見る限り、敵戦艦は横を向いてます」 リーアスがマップに映った赤色のマークを指差す。
「……それで?」
「敵戦艦は横に向いているって事で、これは絶好のチャンスと考え、横腹を狙います!」
「おお~、それは凄い。して、攻撃手段は?」
「攻撃手段……、ふふっ、それは、戦艦での突艦です!」
リーアスはこれでもか! と言わんばかりに声を張り上げ、人差し指を伸ばした右手を高く上げた。
「突艦……?」
「えぇ、突艦」
「その次は?」
「突艦」
「その次の次は?」
「突艦」
「そして最後に?」
「突艦」
「……他の手」
「突艦」
「…………」
「ってな訳で! 全速前進! 敵戦艦の脇腹に突撃しま……、んっ?」
天高く上げた右手を前に突き出そうとした瞬間、リーアスの右肩に誰かが手を置いた。
リーアスがゆっくりと振り返るとそこには、頬を赤くさせ、鬼のような形相をしたアリスが立っていた。
「……」
「……」
お互い見つめ合い、リーアスがゆっくりと前へと向き直る。
「全艦突げ――!!」
「させるかァァッ!」
声を上げアリスがすかさずリーアスの襟を掴み、後ろへ放り投げる。
「きッ!? ――げふッ!!」
投げ出されたリーアスは顔面から壁にぶつかり、地面へと崩れた。
「何が突撃だ。前回もそれやって負けただろうが。それに今日は俺が艦長。お前は先日やっただろう」
「イツツッ……、な、何言ってるんですか……。私は貴方の補佐、ですから代わりにと……」
「補佐? いつから? 心配しなくても、俺の中ではお前は永劫に下っ端だ」
「し、し、下っ端……」
大きな声で復唱した後、リーアスは顔を下に向け、小刻みに震え始めた。
「あぁ、下っ端だ。万年下っ端おめでとう」
「クッ……」
下唇を噛み締め、両手を握り締めては更に体を震わす。
「ん? どうしたんだ? 風邪でも……」
アリスが小刻みに震える肩に手を置いた、その瞬間……、
「うぅ……、うぅうわぁぁぁ~! アリスのバカァ~!」
頬に涙を伝わせたリーアスが立ち上がり、船橋左側の隅にまで走り座り込んだ。
「……ふん」
その光景を見ていたアリスは焦る事もなく無表情のまま鼻であしらい、正面に向いた。
「うぅ……、ぐすっぐすっ……」
後ろからただひたすらにすすり泣き続けるリーアスの声が船橋に響く。そんな声を気にする様子もないアリスはそそくさと椅子に座り、画面を睨み付け、口を開いた。
「敵の様す……」
「敵戦艦ジャールジから捕捉、本艦との接触予測時間約二十分四十八秒後」
「……何ッ!?」
すかさず入るヴェルの言葉に、アリスが声を上げた瞬間、けたたましい警報音が船橋に鳴り響いた。室内は赤く点滅を繰り返し、モニターの映されていた赤色の三角が緑色の三角に向かい、少しずつ動いているのが分かる。
「は、早すぎる……。ヴェル! こちらの被害状況を!」
その言葉にヴェルがキーを押すと、アリスの目の前に合った映像が消え、今度は別の映像が現れた。
新たに現れた映像には、あちらこちら火花を散らす銀色の戦艦が映されている。
「先刻、敵戦艦ジャールジ主砲、大型近接単装散弾兵器ディフェクティにより、我が艦の副砲十七門中十六門が大破。左右舷及び上甲板は損傷。第二、第三動力部損傷の為、BCSフィールド発生率三十二%にまで減衰。ESフィールド発生率四十八%まで減衰。通常推進航行及びUEシステムによるRMAAブース……」
「あぁ~! もういい、もういい。聞いていると頭がこんがらがってきた。……つまり、実弾系フィールドとエネルギー系フィールドが規定値よりも低いんだな?」
「……そう」
ヴェルが呟くように返事をする。
「んで、通常推進航行と緊急回避システムが……いくつだ?」
「七十二%」
「七十二……、ギリギリで行けるか……よし――」
「突艦しかないですね」
左側から聞こえる素っ気ない女の声。その声に反応したアリスが振り向くと、
「…………」
無言のまま、表情を固めた。
どこから持って来たのだろう。左側の椅子には、どこかのガリ勉君が掛けているような、お決まりの眼鏡をしたリーアスが座っていた。
リーアスはじっとアリスの顔を見つめては何も言わず、右手の人差し指で二つあるレンズの間を少し上げる。
「アリスさん、ここは突艦しかないですよ」
「……嘘泣きはもういいのか?」
「なんの事です? 私は強い子泣かない子。それより、私の計算によりますると…」
リーアスは再び眼鏡の真ん中を少し上げ、机に置かれたノートパソコンの画面を見ながらキーを打ち出した。
「敵戦艦ジャールジは主砲近接大型単装散弾兵器ディフェクティの使用により、艦内のエンゲル係数が八十三%まで増加しています。それに対し、私達のエンゲル係数は二十七%にまで減少。つまり、現状況から見て突艦しか考えられない訳です」
キーを打つ手を止めず、坦々とした口調でリーアスが説明をする。
「何が『私の計算によりますると』だ。お前に計算知識はないだろ。それに大体エンゲル係数が絡んでいる時点で望み薄。まだ俺が考えている作戦の方が成功するな」
「……リーアスの作戦、強ち間違いではない……」
突然、アリスの目の前にヴェルの顔が現れた。
「――どういう意味だ?」
「……」
ヴェルが何も言わず、キーを押す。同時にアリスの前にあった映像に重なるように、別の戦艦が映り出された。
「……敵戦艦ジャルージ、主砲ディフェクティ使用により、一時的BCSフィールド低下」
「BCSフィールドが低下? それなら、確かに突撃すれば相手にダメージを与える事は可能だが……。しかし、それではこちらの損害もでかくなるぞ?」「それなら問題ありません」
映像の向こうで、リーアスがキーボードを喧しくカタカタと鳴らしながら眼鏡を上げ、少し調整する。
「こちらのESフィールドへの供給を完全にストップし、BCSフィールドに四十%、通常推進航行及びUEシステムに八%、振り分けます。そうすればBCSフィールドは七十二%になり、何とか突艦が可能になる訳です」
「……本当かヴェル?」
リーアスの説明を半信半疑で聞いていたアリスは画面に映るヴェルに確認した。
「…………」 ヴェルが小さく頷く。
「ふっふ~ん」
その答えを聞いた瞬間、調子に乗ったのかリーアスが得意気な顔をし、鼻歌を歌いながら陽気に中指でペンを回し始めた。 その態度にアリスは冷たい視線を送ったまま、ある一つの事をヴェルに聞いた。
「……ちなみにリーアスの作戦で行くとしたら、成功率はいくつだ?」
「……敵戦艦ジャルージ、現在の通常推進航行速度を算出、BCSフィールド及びESフィールド共に展開発生率予測算出…」
ヴェルがブツブツと呟きながらキーを打ち始め、何かを計算し始めた。映像には幾つもの奇妙な数列が現れ、下から上にへと向かって次々と流れて行く。。
しばらくして、レムが打つ手を止めた。
「……等号、成功率は……」
「ふっ……、百パー……」
リーアスが眼鏡を少しあげ、ほくそ笑み、ヴェルがキーを押す。
モニターが切り替わり、黒色の数字が大きく映り出された。
「――零点二%」
「百パーふっふ~ん、百パーふっふ~ん、零点二、零点二、零点……、二……? 零点二ィィィッ!?」
眉を寄せ、リーアスが大声を上げた。
「アッァ……ァァ」
口を大きく開いては絶句し、軽快に親指を回っていたペンは勢いを失い床に落ちる。
落ちたペンはリーアスの声に掻き消され、気付かれる事はなく静かに転がり、存在消して行った。
「やっぱりな。そんなもんだと思ったよ。お前の作戦は当てにならな……」「――ちなみにアリスは零%」
「はは……はぁん!?」
割り込むヴェルの声と同時に黒色の数字は消え、今度は同じ黒色で書かれた零と言う文字が現れた。
「零パー……って、まだ何にも言ってないだろ!」
「――前回の艦長主任、前々回の艦長主任の際、現状況と同様の状況に追い込まれると必ず『撤退』を選択」
「ぐッ……」
「因って、今回も『撤退』を選択し実行すると予測、ついでに算出」
「俺のはついでなのか……。で、零%だと……」
「前々回及び前回の『撤退』成功……。――しかし、今回の戦闘では敵戦艦の主砲により、艦全体のダメージ比率が四十二%、推進航行速度二十八%まで減衰し、現状況での撤退は『無謀』と判断……」
「うッ!?」
灰色で『無謀』と書かれた文字がアリスの上にのし掛かる。
「……尚且つ『自殺行為』」
「ヌアッ!?」
今度は『自殺行為』と書かれた文字が急加速で『無謀』の上にのし掛かり、アリスは肩を落した。
「――故に『愚か』で、『軽率』な行動……」
「ぐッ!? ウヌガッ!」
上から容赦なく灰色の文字が次々と降り注ぎ、アリスの肩を更に落として行く。
「『浅はか』で『醜く』て『哀れ』な策戦」
「ぐはッ! がふッ! ぶほッ!」
次々と上からのし掛かってくる文字達に、アリスは必死に耐え、支える腕を震わせる。
「くっ……、くくっ……」
「……まさしく」
ヴェルが静かに呟いた。
「『愚の骨頂』』
「がはァッ!!」
言葉と同時に『愚の骨頂』と書かれた特大の文字が急加速で落下し、アリスの体を完全に押しつぶした。伸ばした右手が虚しく机に垂れる。
その光景を横で見ていたリーアスは眼鏡を上げ、呟く。
「――惨め」
「誰がだコラァッ!!」
リーアスの言葉にすかさずアリスが反応し立ち上がった。
「零点二も同じだろうが! 同族が、人の事が言えるか!」
「な、なっ!? 一緒にされては困る! 私の方がまだ望みがありますよ! 高が零、言いたくはないですが、高が零しかないお人に言われたくはないですねぇー! 私なんて零点二ッ! ですから、繰り上がると……四十三」
「そんな繰り上げがあるか、だったら俺は六十九か!?」
「マイナス二十三」
「下がっているッ!?」
椅子と椅子の間、通路にある手すりを境に二人の口喧嘩が始まった。
その光景に慣れているのか、ヴェルとミスズは目も向けず、無言のまま自分の職務を熟すそんな中、
「……!?」
突然ミスズの表情が変わった。
そんな表情の変化を知る事もない二人にミスズが声を上げた。
「前方、一時の方向に、て、敵戦艦ですッ!」
「……十二、五十二だッ!」
「四! 四! よんッ!」
「誰が四だッ!」
四本立てた指を顔の前に突き付けられたアリスはリーアスの胸倉を掴み、引き寄せた。
が、手すりにより拒まれたリーアスの体は手すりに凭れ掛かる状態になり、尚も眼前の指は崩れる事がなかった。
「四! 四! 四!」
「五十二! 五十二! 五十に――」
「……アリス」
「うおッ!?」
言い争う二人の間に突然ヴェルの映像が割り込んだ。その事に驚いたアリスは掴む手を離し、勢いを落とした。
「な、なに……?」
「敵」
一言。その言葉を理解したのか、アリスがゆっくりと首を正面に向ける。
鳴り響く警報音、正面のガラスの向こう側に居たのは一隻の大きな黒色。甲板に付けられた銀色の大口が船橋に向かい広がる。
「……くそ」
アリスの呟きと同時、大きな破裂音がなり、宇宙に新たな光が灯った。