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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

殺されるはずだった私

作者: lukecat
掲載日:2026/08/31

 私は16歳で政略結婚し、クレスト侯爵家に入りました。

 侯爵様は寡黙な方で、女性が苦手なご様子。

 いつも私から視線を逸らし、怒っているような、困ったような変なお顔をされていました。

 お父様を亡くされて以降親戚の方々に跡継ぎをせっつかれ、仕方なく田舎貴族出身の私を迎えたようです。

 17歳で息子を出産し、跡継ぎを産むという私の役目はそれで終わりました。

 以降、侯爵様が王都にあるタウンハウスに帰って来なくなったため、私は子育てのためという理由をつけて、息子と共にクレスト侯爵家の領地に引き籠もりました。


 その方が侯爵様も顔を合わせる機会が減って好都合だったのでしょう。

 王都から馬車で数日かかる領地に、侯爵様は年に一度か二度帰って来られる程度でした。

 毎回アクセサリーや服などのお土産を山のように馬車に積んでくるのはおそらく、罪滅ぼしなのだと思います。

 でも、タウンハウスに戻って来いなどとおっしゃることは一度もありませんでした。


 それから十年。

 ある春の日、大勢の騎士を従えた王族の方が先触れもなくいきなり尋ねて来ました。


「あなたがイザベル? 思った通り地味な女ね。くすんだ金の髪に、暗い青色の目、肌も田舎者らしく日焼けしているわ」

 その女性は玄関前に迎え出た私をじろじろと見ると、手入れの行き届いた金色の長い髪を掻き上げました。

 藍色の瞳に優越感が滲んでいます。

「私はヴェルディス国第一王女セレスティア。新たな侯爵夫人となるべくこの地に来ました。あなたは不義の子を産んだ。その罪を認め、今すぐ子どもと共にここを出ていくのなら、命までは取りません」


 初めは何を言われているのかわかりませんでした。

 息子と侯爵様が父子であることは一目瞭然。

 二人とも黒髪に鳶色の瞳、そして美丈夫とも評される見目麗しさは瓜二つです。

 不義の話など、一度も出たことはありません。


 けれど、そうした理性的な会話が成り立つような状況ではないようです。

 玄関前で対峙し、睨み合う二つの勢力を、私は血の気の引く思いで見ました。

 セレスティア第一王女と名乗った女性が連れてきた騎士は数十名。

 対して侯爵邸側には、十数人の私兵しかおりません。

 多勢に無勢です。


「私と侯爵は幼馴染みの間柄、そして長い年月、侯爵は王の側近として勤めながら、私との愛を育んできました。これはクレスト侯爵の意志でもあるのです」

 王女の言葉は、私の胸を抉りました。

 この十年、いえ、結婚してからの十一年の間に、クレスト侯爵様と私との間に親しい会話などは存在しませんでした。

 寡黙な方で、ただ恥ずかしがっているだけ、と自分に言い聞かせてきましたが、セレスティア王女様のお話ではどうやら違うようです。


「どうか、剣をお収めください」

 私は私兵の後ろから、武器を構えた騎士たちの前へ進み出ました。

「私は不義などしておりませんが、人死にが出るのは避けたいです。仰る通り出ていきますので、どうかお見逃しください」


「そう」

 セレスティア王女はニッコリ……というよりは、ニンマリと笑いました。

「では、馬車を用意します。心配には及びませんわ。今後の生活の面倒も見て差し上げますから」


 その美しくも邪悪な表情を見た瞬間、私はかつて読んだことのある小説の内容を思い出していました。


 クレスト侯爵に一方的な好意を持ち、勝手に正妻を追い出して成り代わろうとした悪役の王女セレスティア。

 馬車に乗った侯爵夫人は息子と共に姿を消し、二度と戻っては来ませんでした。

 その侯爵夫人の名前がイザベル。

 息子の名前はテオドア。

 侯爵は妻子を探しますが、連れ去られた直後に殺されたことがわかります。


 物語は、利害の一致した女性騎士と侯爵が手を組んで王女を討つ復讐譚でした。

 同時に、バディもので恋愛要素もあります。

 クレスト侯爵の喪失感があまりにも深く、女性騎士に愛情が向かうのはかなり終盤ではありましたが。


 そうです。

 私は前世では、現代の日本で生きていました。

 多読家の私はWEB小説『侯爵と女騎士』を最近──いえ、日本人としての人生が終わる直前に読んだのでした。

 スマホを枕元に伏せてベッドに潜り込んでからの記憶がありません。

 不摂生が祟って、そのまま死んでしまったというところでしょうか──




 私は、突然蘇った前世の記憶に目眩を覚え、よろめいた。

 十歳になった息子が、私を後ろから支えてくれた。

「お母様」

 息子テオドアは、十歳にしては体格も良く背も高い。

 来年には私の背を追い越しそうなほどだ。

 気遣わしげな彼の表情には、不安が見え隠れしている。


 前世の記憶などに衝撃を受けて立ち止まっている時ではない。

 この子のためにも、しっかりしなくては。

 このままでは二人とも死んでしまう。


「荷物を纏めてきます……」

 私は王女の反応を待たず、息子の手を取って屋敷の中へと向かった。

 屋敷の中で息を潜めて様子を窺っていた使用人たちが、扉を開けて出迎える。

 奥様、と遠慮がちに声をかけて来るが、彼らに協力させるわけにはいかない。

 王女は協力者を咎め、罰を与えるだろう。

 一人の命も散らしたくない。

 一緒に暮らしてきた、家族のようなものだから。


 私は玄関ポーチを抜け、広間を横切った。

 付いて来ようとした使用人には首を振ってみせ、その場に留まってもらった。

「お母様、本当に言われた通り、ここを出るのですか?」

 息子が尋ねる。


「ここに留まっても、用意された馬車に乗っても、殺されてしまう」

 私は歩きながら忙しく考えていた。

「相手は王女。この国のどこへ行っても、私たちを匿ってくれる人はいないでしょう。でも可能性があるのなら最後まで足掻きたい。せめて、テオドア、あなただけでも逃がしたいわ」

 侯爵邸の裏に広がる山へと逃れても、すぐに追いつかれるだろう。

 運良く追っ手を撒いたとして、どこへ行けば良いのか。


「では、台所の勝手口から、裏の厩舎へ向かいましょう」

 テオドアが言った。

「厩舎?」

 私は息子を振り返った。

「でも、裏手の山道は狭くて険しいから、馬では逃げ切れないわ……」

 テオドアは微笑んだ。

「ここは僕が育った土地ですから、よくわかっています。大丈夫、お任せください」






 クレスト侯爵領は、山地が多くて林業や牧畜が盛んだ。

 道は狭いが土地が広い、という特徴から、乗馬は生活の一部だった。

 厩舎から屋敷を回り込んで、私とテオドアが玄関前に姿を現した時、セレスティア王女は目を丸くした。

 侯爵夫人である私が馬に乗って登場するなんて、予想もしていなかったのだろう。


 私たち親子は颯爽と、それぞれの馬を駆って彼らの前を駆け抜けた。

 騎士たちが慌てて身を翻す。

 待機している彼らの馬車や馬を蹴散らして、私たちは侯爵邸の敷地を脱出した。


「凄いわ!」

 私ははしゃいだ声を上げた。

「正面突破なんて!」


「気を抜かないでください!」

 テオドアが叫んだ。

「しっかりついてきてくださいね!」

 彼は手綱を器用に使い、私よりも上手に馬を操る。

 私は振り返った。

 王女の騎士たちは、興奮して暴れる馬を静めようとしていた。


「早く追いなさい!」

 王女の金切り声が聞こえた。

 誰一人、まだ馬に乗れないでいるうちに私たちは、細い側道へと入る。


 物語の記憶が蘇った今、夫に裏切られた、という悲しみは湧かなかった。

 面と向かって別れを切り出されたわけではないし、原作通りならさっきの王女の言葉は虚言で、私は探される程度には気にされていたようだから。

 でもこれまで事務的な言葉しか交わしてこなかったし、そこに愛はなかったように思う。

 小説の中でクレスト侯爵が妻子を探したのは、跡継ぎであるテオドアが必要だったからだろう。


 殺されるはずだった私と息子は、侯爵とは全く関係のないところで生きて行こう。

 テオドアはしっかり者だし、私も前世の知識を思い出したのだから、きっとなんとかなる。

 ──なんとかしてみせる、つもりだった。






 あれから三ヶ月と少し。

 春が過ぎ、夏も終わろうとしている頃。

 山間に佇む静かなコテージ風別荘と、鬱蒼とした森を背景に、私は呆然と立ち竦んでいた。


 私を抱き竦めて泣いているのは、この十一年というもの感情を一切見せなかった、クレスト侯爵だ。

 彼はもう三十を少し過ぎた歳のはずなんだけれど、何がどうなってこうなったのか。

 時折羽音を立てて飛び過ぎる虫を見送りながら、この男にどう言葉をかけるべきかと私は考えていた。


「ここを突き止めるのに、三ヶ月以上もかかるなんて」

 冷めた目で父親を見上げているのは、テオドアだ。

「あの執着王女がお母様に危害を加えようとしていると打ち明けてくださった時、僕は申し上げましたよね? 僕の友人の別荘なら、王女の手は届かないと。僕の交友関係をご存じなかったとしても、遅過ぎやしませんか?」


 私たちは、テオドアの友人が所有する別荘に滞在させてもらっていた。

 テオドアの友人レアンは、隣国ルヴィニア帝国の皇太子だ。

 ルヴィニア帝国は我が国の南方に位置しており、夏の間レアン皇太子は避暑のためクレスト侯爵領に滞在していた。

 家庭教師が同じだったという縁で、テオドアとレアン皇太子は手紙のやり取りから始まり、今ではお互いの家を行き来する仲だ。

 皇太子はテオドアより小柄で、ソバカスだらけの顔に面白がっている表情を浮かべて、私たちを眺めていた。


「いろいろと大変そうだね。今日の釣りは延期かな、テオドア?」

「いえいえ、行きますよ、レアン殿下。父と母は忙しそうですから」

「それはありがたい。私のここでの生活もあと少しだからな」

「夏も終わりですね」

「今日はあの川の主を釣るぞ!」

「また大言を。主どころか、いつも坊主ではないですか」

 などと軽口を叩きながら背を向けるテオドア。


 行かないで、と目で縋ってみるが、我が息子は手を振って皇太子と共に去って行く。

 皇太子側付きの人達がその後に続いた。


 残された私たちの周囲には、侯爵が引き連れてきた私兵たちが待機している。


「あの……お座りになりませんか?」

 侯爵の様子がこれまで見てきた彼とは全く違うので、私は初対面の男を相手にしているような気詰まりを感じていた。

「ここは日が当たっていますし……木陰に、趣のある休憩場所がありますのよ」

 素直に頷く侯爵の手を引いて、私は彼を木々の陰になっている場所へと連れて行った。

 丸太を縦に割って設えた台の周囲に、木製のスツールが置いてある。

 その1つに侯爵を座らせて、対面のスツールへ向かおうとした私の手を、彼は放そうとしなかった。

 結局抱き込まれるようにして私は、彼の膝の上に座った。

 いたたまれなくて、周囲にいる侯爵家の私兵たちを見るが、皆『私は何も見ていません』という顔をしていた。


「テオドアは、君に似ているようだ」

 と、侯爵は言った。

「えっ」

 思わず私は無作法な声を立てた。

 王女の不義の子云々の発言がまだ記憶に残っていたからだろう。

「いえ……テオドアは侯爵様そっくりですけれど」


「明るい性格が……君に似ている」

 侯爵の声が小さくなる。

「私は、暗くて……どうしようもなく陰気で……あんな風に気軽には話せない」

 語尾が震えて、また泣き出しそうだ。


「あら。私には、寡黙で格好良く思えていましたけれど」

 少し盛った。

 新婚の頃はそう感じていた時期もあったかもしれないけれど、長い間あまりにも放置されていたので、そんな気持ちは消えてしまっていた。


「格好良い男でないことは、自分ではよくわかっている」

 自嘲のような笑みが侯爵の口元に浮かんだ。

「君に愛想を尽かされていたことも。それでも、手放してあげることはできなかった。私の元を離れたら、君はもっと相応しい男に嫁いで行ってしまうだろう。そう考えると……気がおかしくなりそうで」


(それは、嫉妬故に? ……という話をされているのよね?)

 今更どういうつもりなのかと詰ることはできたけれど、この機会を逃せば二度と本音を引き出せないかもしれないので、私はやんわりと嫌味を言う程度に収めた。


「そんなお気持ちでいらしたのなら、もう少し会いに来てくださってもよろしかったのに。私はともかく、幼いテオドアは父親に会えなくて寂しかったと思いますわ」

 今はもうあんなにしっかりした息子に成長して、パパがいなくて寂しいなどと言い出すことは無さそうだ。侯爵は息子のとても大事な成長期を見逃してしまったことになる。


「君に求婚する少し前、幾つかあった私の婚姻話は全て破綻した」

 唐突に、侯爵は告白モードに入った。

「どれも、あのセレスティア王女殿下の裏工作が原因だった。婚約者候補の一人は、不自然な失踪を遂げた。私は君をそんな目に遭わせたくなくて、気の進まない結婚をしたというふりをした」


「はあ」

 と私は応じた。

 侯爵は私と仕方なく結婚したのだと思っていたので、彼が悲壮な表情を浮かべている理由がわからなかった。

 失踪した婚約者候補、と聞いて思い出したことがある。

 確か原作のヒロインは、その失踪した女性の姉だったはずだ。

 妹が殺されたことを知ったヒロインは、王女を殺そうと執拗に狙い続ける。そして、同じく復讐に命を燃やす男、クレスト侯爵と手を組み、最終的には恋仲になる。


「元々政略結婚で、ご親戚に無理強いされたとお聞きしております。貴族の結婚とはそういうものですし、私は……」

 気にしたことはありませんので侯爵もどうぞお構いなく、と言い切ろうとした言葉は遮られた。


「本当は……君の故郷に行った時、領主の娘である令嬢が生き生きと屋台で立ち食いをしている姿を見て、どうしても結婚したいと思った」


「えっ」

 二度目の無作法な声を、私は思わず立てた。

 そんなところを見られていたのかと、私は羞恥心に言葉を失った。

 私の地元で開催されるお祭りの屋台はとても有名で、他の領地でも取り入れようと視察に来る官僚や貴族は多い。それがこの婚姻の切っ掛けになったとは知らなかった。


「生命力に溢れた君の姿は、根暗な私にとってはまるで太陽のように光り輝いて見えた」

 それは言い過ぎ。

 というか、生命力に溢れた姿っていうのはつまり、食いしん坊ってことよね?

 物は言いよう?


「……それで叔父に頼み込んで、無理矢理縁談を持って来たら急遽結婚がまとまったということにしてもらった。王女の動向を警戒し、政略結婚だから愛し合ってはいないというふりをした。王女が君に危害を加えるかもしれないから……テオドアが生まれた頃は、王女が荒れて大変だった。私は家に帰らず、王宮で彼女を監視した」

 小さな声で彼は、私の耳元に呟くように話した。

「そんな風に放置したせいで、君はタウンハウスを出て行ってしまった。私はとても寂しくて……でも、その方が王女には狙われないだろうと安心でもあった」


「どうして話してくださらなかったの?」

 私がそう尋ねると、侯爵の声はいっそう小さくなった。

「それは私がずっと、……王女の暗殺を企てていたからだ。彼女に執着されず、君と穏やかな結婚生活を送りたかった。けれど計画が失敗した時、君まで罪を問われるかもしれないことが怖かった。何も知らないままの方がいいと思ったんだ」

 確かに王族の暗殺は重罪で、気軽に話す内容ではない。

 私は思わず、周囲を窺った。

 この声の大きさでは、おそらく私にしか聞こえていないだろう。


「なかなか果たせないまま、十年以上の年月が過ぎてしまった……」


 などと侯爵は零すが、それはそうだろう。

 王女は元々あの性格で人の恨みを買うことが多く、常に護衛が周囲を固めていた。

 自分の正体を知られないように配慮しながら一国の王女を弑逆するなんて、難易度が高すぎる。

 原作で侯爵は最終的に自らの名を使っておびき出すことでようやく王女を殺すが、結局女騎士と一緒に追われる立場になってしまった。


「この十年、イザベルに会えるのは年に一度か二度で……それでなくても君の心は私には向いていないというのに、他の誰かに奪われてしまうのではないかと、気が気ではなかった。不安に襲われては、君に似合いそうなアクセサリーや服を買い漁った」

 まるで大事なものであるかのように、侯爵は膝の上で私の身体を抱き締めていた。

 私は暑かった。

 暑苦しくてたまらなかった。

 夏は終わりかけていたが、まだまだ気温は高い。


 でも、毎回侯爵が馬車で持ち帰ってきた贈り物の山を思い出した私は、暑いと言って彼の腕を無理矢理に外そうとするのは気が引けた。

 あの山を受け取った時、私はごく儀礼的な態度で臨んだ。

 一つ一つ確認したことはなくて、そのまま倉庫に放り込んだ。

 これは大変。

 帰ってから中身を確認しなくては……十年分。

 暑さのせいか、私は気が遠くなりそうだった。


「その間王女は、私が自分に心酔しているものと思い込んでいた。挨拶程度の会話しかしていないのに勘違いもいいところだが、いつか私が離婚して自分と結婚するのだと周囲に言い触らしていた。だが……今回王女と、他国王子との縁談が持ち上がった」


 侯爵の話を聞いて、私は再び原作のストーリーをなぞる。

 王女はイザベルとテオドア母子を秘密裏に殺した後、侯爵に結婚を迫るが拒絶された。

 侯爵は国王の側近を辞して妻子の行方を追い始める。


 当然だが王女は、もうあの二人は殺したから探しても無駄だと言い出すことはできなかった。

 そして国王の命で渋々他国に嫁いだ。

 妻子の遺体を見つけ、王女の犯行だと知った侯爵は復讐を誓うが、他国の王妃となっていた王女の暗殺はさらに難しくなっていた。

 異国への潜伏、妹を殺された恨みを晴らそうとする女騎士との遭遇──彼女と協力して、ようやく彼は復讐を果たした。


「では、セレスティア王女殿下はその王子の元へ嫁がれましたのね?」

 他国へ行ったのならもう、復讐なんてする必要はない。

 私もテオドアも生きているのだから。


「殿下は亡くなったよ」

 侯爵の答えに、私は驚いて彼を振り返った。

 テオドアと同じ鳶色の目が、私を見返す。

「実は王女は、自分の騎士たちと共に逃げ出した君たちを追って行ったんだ。馬車の通れる道ではなかったから、全員馬に乗って移動していた。その途中、彼らは騎乗したある女性を追い越そうとした。その女性は剣を抜いてセレスティア王女を斬り捨てた。一瞬のできごとだったそうだ」


 狭い道で馬に乗って移動していたのなら、護衛が周囲を固めることもできず、手薄になっていただろう。

 そのため、ずっと王女を殺そうと狙っていた女騎士は、王女が手の届きにくい他国へ嫁ぐ前に本懐を遂げることができた。

 原作の長い長い復讐物語は、序盤で幕を閉じてしまった。


「王女が殺されたなんて大事ではないですか。なぜ、大きなニュースになっていないのです?」

「……王女は遠い異国へ嫁いだことになっている。ちょっとしたことがあってね」

 侯爵は言い淀んだが、結局話してくれた。

「犯人は妹の仇を討ったと供述したんだ。彼女の言葉通り、王女の所有地で女性の遺体が発見された……それが、かつて私の婚約者候補だった伯爵家の令嬢だとわかった。その姉で、伯爵家の長女が王女を殺した──この醜聞を国王は、全てもみ消すことにしたのさ」


「犯人の女性は……どうなってしまうのでしょう?」

 物語のヒロインであり、本来クレスト侯爵と結ばれるはずだった女性。

 生き延びようと足掻いた私が悪いわけではないとわかっているけれど、少し気が咎めた。


「国外追放になると聞いている」

 侯爵は未だ放さずにいる私の手を引き寄せ、口づけた。

 死刑や投獄でないことに、私はほっとする。

「王女の件は、それで全てケリがついた。……なのにイザベルが戻って来なくて」

 侯爵は私の手に頬ずりし、再び口づけする。

「君の実家や、友人の家を探してもいなくて、もしや他に男がいてそちらに助けを求めたのではないか、あるいはどこかで崖に落ちているのではないか、賊に攫われたのではないかと心配で心配で……」


「ご心配をかけて申し訳ありませんでした、侯爵様」

 これまでと違って、私兵たちの目があるところで平気で口づけたり手を繋いだりする彼に、私は戸惑うばかりだ。

「お話はだいたいわかりましたので、そろそろ……」

「エドウィンだ」


 私は手を引っ込めようとしたが、侯爵は握り込んで放そうとしなかった。

「もう王女はいない。仲の悪いふりはしなくていいんだ」

 彼は熱を帯びた目で、私の頬に手を添えて顔を近づけ、覗き込む。

「私は、失った人生を取り戻したい。君との甘い結婚生活を、もう一度最初からやり直す。どうか、これまでの私を許して欲しい。イザベル……愛しい人……」


 そうよね。

 原作ではあれだけ必死に私と息子を探し、王女に対する復讐心を滾らせ、ついにやり遂げた人だもの。

 冷たいふりをしていたけれど、本来はとても情熱的なのだわ。


「ここは余所様のお庭ですのよ、侯爵様」

 とうとう侯爵が首筋にキスを降らせ始めたので、私は身を捩った。

 私は再び私兵たちに視線をやるが、相変わらず虚空を見つめていた。


「エドウィンと呼んで欲しい」

 私のお腹に回された左手が、上へと移動し始めた。

「イザベル……君の名前を呼び、愛を語る日々をどんなに思い描いていたことか……」


 寡黙な男だなんて、とんだ思い違いだったようだ。


「侯爵様……侯爵様、駄目……エドウィン様!」

 彼の手がついに服の内側へと彷徨いかけたので、私は身体を半分逃がしながら、呼びかけた。

「やっと呼んでくれた」

 侯爵は嬉しそうに笑う。

 それは私が見る、彼の初めての笑顔だった。

「君にそう呼んでもらうのが、結婚して以来ずっと私の夢だったんだ」


「ささやか過ぎる夢ですわね」

 私は予想外に胸を打たれた。

「これからはいつでも、そう呼んで差し上げますのに」


「こんな私を見捨てずにいてくれて、ありがとう」

 侯爵は立ち上がった。

 私は、新婚の花嫁のように彼の両腕に抱かれていた。

「続きは家に帰ってからだ。テオドアはもうしばらくこちらで預かってもらうように、お願いしておこう」


 それから侯爵──エドウィンは、私を馬の上に乗せると、自分も同じ馬に乗って帰路に着いた。

 その後の話は大人向けの内容になるので、ご想像にお任せします……











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