1.魔法労災申請書
「これは労災判定になりますね。
保健師からも説明があったと思いますが、この程度の使用量であれば、通常は2週間ほどで復帰できる方が多いです。
給付金の振込日は、待機期間明けの翌週から数えて一か月後になります。詳細はこちらの資料をご確認ください。
――ほかに質問はありますか」
「……いえ、特にありません。よろしくお願いします」
極めて事務的なやり取りだった。
つい先ほどまで、暴風雨の中に現れ、正義のヒーローのように感謝と称賛を浴びていた魔法使いが、今は薄暗い会議室でスーツ姿の職員から淡々と説明を受けている。
その表情に、英雄の面影はない。椅子に深く腰掛け、今にも眠り落ちそうな顔をしていた。
近頃、魔法使いといえば、煌びやかな衣装に身を包み、地球防衛のために戦う姿を想像されがちだ。
だが、実際に彼らが向き合う敵は、怪人でも侵略者でもない。
自然災害である。
風向きを変える。
雨量を局地的に弱める。
倒壊した建物を集約し、一時的に再建する。
機能停止した電柱から、再び電力を流す。
その仕事は、どちらかといえば戦闘よりも、インフラ工事に近い。
そして魔法は、決して万能ではない。
使用には、必ず使用者自身への不可逆的な代償を伴う。
体温調節障害。
痛覚機能の低下。
睡眠障害。
自律神経系の恒常的な調整不全。
いずれも外傷としては現れにくく、数値にも出にくい不調ばかりだ。
先ほどの女性は、台風による強風で電車が遅延した現場に派遣され、風力を調整する魔法を使用した。
その結果、睡眠リズムに深刻な乱れが生じた。いくら寝ても疲れが取れない、いわゆる過眠症の状態である。
――電車が止まったくらいで、緊急事態、か。
雪国育ちの入鹿悠太にとって、電車の遅延は「災害」として認識するには、どうにも大げさに思えた。
入鹿悠太は、魔法労働安全監督庁――通称「魔安」労災課の職員だ。
魔法使用後に発生した後遺症や生活への影響をヒアリングし、使用量や健康状態をもとに労災判定を行うのが仕事である。
今日も魔法使いから提出された申請書を確認し、給付金の算定を進めていた。
しかし、時間になっても当の魔法使いが起きてこず、予定は大幅に押した。
すべてが終わったころには、壁の時計の針は十九時を指していた。
「電車が止まったくらいで緊急事態だなんて……大袈裟だよな」
残業への不満を、魔法使用を判断した現場のせいにしながら、入鹿は小さく息を吐いた。
もっとも、ここ魔法労働安全監督庁は、日本の行政機関「魔法省」の外局である。
魔法を「労働」として管理し、安全、補償、事後処理を担う専門機関だ。
いわゆる官僚ではあるが、他省庁ほどの激務ではない。
とはいえ、きっちり九時五時で帰れるほど、のんびりした職場でもなかった。
デスクに戻っても、オフィスはまだ明るい。
入鹿の独り言はすでに聞かれていたらしく、背後から低い笑い声がした。
「そりゃあ、この大都市で二時間も電車が止まったら大変だろ」
振り返ると、直属の先輩である川上浩一が、肩をすくめながら資料を整理していた。
「お前、雪国育ちだもんな。
あれ? お前の地元、そもそも電車通ってたっけ?」
「さすがにあります。馬鹿にしないでください」
一時間に一本だけど。
心の中でそう付け足したが、口には出さなかった。
「どうせ一時間に一本だろ。無いのと同じじゃないか」
川上は笑いながら、一枚の書類を入鹿のデスクに置いた。
「ほら、さっき労災申請がもう一件来た。処理しといてくれ。
俺はもう帰る。明日は早朝から現場検証に同行でさ。ここからだと遠すぎるんだよ」
そう言い残し、川上は颯爽と帰っていった。
残された入鹿は、申請書に目を落とす。
そこには、痛々しい後遺症を負った新人魔法使いの名前が記されていた。
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土井 司
年齢:20歳
症状:一週間前より痛覚異常。反応テストにより後遺症を確認。
魔法使用中の二次被害により右腕を骨折していたが、健康診断まで自覚なし。
使用魔法:物質形成魔法
使用状況:台風21号による家屋損壊に伴う一時的修復
(家屋×10、一部道路)
使用時間:2時間
使用判断:孤立集落のため救援物資派遣が困難。
防災局要請に基づく。
使用者ランク:Bランク
使用リスク:問題なし。健康状態良好。
限定的範囲使用のため、労災課は問題なしと判断。
※研修後初出勤のため限定的な使用を勧告
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初出動の後遺症か。
骨折にすら気づかないほどの痛覚異常――程度は重い。
労災判定そのものに迷いはない。それでも、申請書の「問題なし」という文字を、入鹿はすぐには直視できなかった。




