三部会、開門
1788年、5月5日。
約200年間、平民に対して固く閉ざされてきたヴァルサイエーズの門を春風が通り過ぎた。
荘厳なるパリス大聖堂の鐘が3回鳴った時、軽快なファンファーレが響いた。
さて、それは誰が為に鳴ったのか。平凡な詩人はそれを記したがる。だからこそ、多くの記録にこう残っている。
全ての人々が為に鳴ったと。
つまりこの短い瞬間に於いては、身分の垣根が無かったのだ。平民の誰もが気にも留めていなかったが、これこそが身分制度の解体の見えざる大きな一歩であったと考える。
民衆が道の両端に列を成し、三部会に参加する議員たちを出迎える。
第一列、王室の場所と近衛兵が列を成す。
紙吹雪が舞い、軍靴と国家(ラソレイユと国王陛下万歳)が響き、ヴァルサイエーズを包み込む。
民衆はその圧倒的な音圧と馬車から身を出して手を振る国王陛下の権威にひれ伏し、ラソレイユ万歳と叫んだ。だが国王陛下万歳と叫ぶ声は僅かであった。
曲は星と人と精霊の歌に変わり、第一身分である聖職者の列になる。トンスラの人々は祈りを捧げながら歩く。彼らのその頭の真ん中、素肌となっている部分の脂汗は太陽の光を反射させて、まるで聖マルティネス祭の提灯行列のようになった。
その重々しい雰囲気の中、万歳という人はいない。されど祈りを捧げる人も居ない。
民衆は神を信じていないというう訳ではないし、むしろこの中の一人が僧侶として説教をしてくれるのなら、その人の前に跪くだろう。
だが免税特権やら十分の一税のせいで、ラソレイユの教会そのものに対して緩い不信感を覚えていた。
曲は国家に戻り、次の列は第二身分たる貴族だ。
絢爛豪華な服飾と馬車。綺羅びやかとした宝石は煩いばかりであり、むしろ民衆の心を逆撫でした。
彼らは民衆の心を読めていなかった、というよりも読む気がなかった。むしろ絢爛豪華と輝くことによって、あとに続く市民の議員を、なんとみすぼらしい事かと落胆させる気でいた。
なぜこのような事を企てたのか。それについてここに記しておかなくてならない。
彼らは貴族と市民、僧侶というものについて、決して交わらぬものであるし、交わってはいけないものだと考えていた。そしてこれが神が定めた神聖なるものと認識していたので、市民の議員など、彼らから見たら背信者そのものだったのだ。
だから驕り高ぶるものに鉄槌を、身の程を弁えろと伝える為にこのような企てを起こしたのである。
だが、それは全くの逆効果だった。
市民の議員の先頭を飾るサン=ベルナール・ロベスピエールはそれを見越して、質素な茶のコートで参った。
だからこそ、民衆はこう叫ぶ。
「市民万歳!市民万歳!!」
質素倹約清廉潔白。国王やオーレン公に近づきながら、金の匂いも女の影も見えない、所謂無私の人。
そしてそんな彼に付いて渾名がこうである。
決して腐り得ぬ男。
「市民万歳!!市民万歳!!」
国王を迎えた時よりもずっと大きな声になる。これは彼の影響力が大きくなっている証左でもあったし、貴族という存在の権威が無同然となっていた証左でもある。もはや民衆にとって貴い人々は肥えた豚に過ぎないのだ。
やがて438名の市民議員がヴァルサイエーズの前に並ぶ。彼らはそそくさと中に入った第一、第二身分と異なり、民衆の前で深々とお辞儀をした。格下が格上にする行為を民衆に行ったのだ。
民衆はその姿に感激し、そして先ほどと同様に叫んだ。
「市民万歳!!市民万歳(ヴィブ・ル・シュトワイアン!!!」
その中には僅かにこのような声もある。
「ロベスピエール万歳!」
乞食に食を与え、不運な人々には医療を与えた。そして知恵なき人々に知恵を啓き、寄る辺なき人に寄る辺を与えた。
やり方について意義のある人も居るだろうが、救われた彼らにとってはどのような形であっても救済であった。だからこそ、その本質が預言者ア=ステラの真似事による人気取りであっても、救われた人々からすれば彼は真のア=ステラであった。
第一身分(祈る者)総勢275名、第二身分(戦う者)302名、第三身分(耕す者)438名、計1015名が未曾有の国難に対応する為、ヴァルサイエーズに揃った。
そしてこの1015名の中で特に才覚を発揮する3名について語らねばならない。
まずは国王オーギュスト・ブルボン=ラソレイユ、王にして民を憂いる人。下記の二名に比べて特段優秀という訳では無いが、優れた才覚と王としての矜持を持っている。この場においては単なる凡人だが、凡人故に天才に勝ちうる可能性がある。
次にロイス=フィリップ・ヴァロワ・オルレアン、通称オーレン公。大々受け継がれた領地と富はもはや国王に匹敵する。だが下記の男による企てによって民衆の支持を失い、派閥と影響力は三名の中で最も小さい。しかし、戦争の無い世界を目指している以外の情報が無く、彼について考察することは不可能である。
最後にサン=ベルナール・ロベスピエール。人々を焚き付ける圧倒的なカリスマを持つ美青年。血なくして王と貴族に並ぶ平民の星。故に上記二名よりも恐ろしく、苛烈である。
また彼の私生活について、淫乱だとかあるいは美人薄命よろしく不治の病を患っていると言う謂れのない噂もあるが、その真偽は定かではない。
主役となる三名は遠くの席に座りながらにして、睨み合う。そして数秒後、三人はそれぞれ勝ち筋を見出し、口角を上げた。




