悪人
サン=ベルナール・ロベスピエール視点
シャルロからの伝言をルナは報告しなかった。僕が彼女を信頼しすぎた、という訳ではない。むしろ彼女の視点に立てば、彼女は正しい事をした。なにせシャルロは唯一、サン=ベルナール・ロベスピエールを殺せる存在だ。彼女からすればこれは憂慮すべき事態である。だから間違えたのは彼女ではなく僕なのだ。
女として彼女を見過ぎていたのかもしれない。
「私はサン・レミの名前を忘れた日はありません!」
広場の時と同じく、民衆に熱を与えて火を付ける。今回はシャルロが居ないので、存分に火を強めることができる。
「アナリースと同じく!彼女も貴族と王室の被害者であります!」
「だからこそ!我々は立ち上がらなくてはなりません!アナリースを救ったときと同じ事をしなければならないのです!」
「ここで不正を正さなくては、次犠牲になるのは貴方の家族にございます!ならばラソレイユの男としてここで立ち上がらなくてはならない!!」
ラ・ファルトレス牢獄を500人が取り囲む。警備のものからしたら気が気ではないだろう。よりにもよって警備が薄い時にと思っているはずだ。
「ポール、ここは君に任せた。火はいくら強めてもいいが、決して牢獄には突撃させるな。ここはもしもの時にもう一度使うからな」
「そりゃ、あんた次第ですよ。早く戻ってくれれば民衆は暴走しませんから」
「それもそうだな、できるだけ早く戻る」
短剣を携え、牢獄の裏手に回る。そこには既にコトデーが待機しており、彼は金で装飾されたピストルの整備をしていた。
「コトデー、サン・レミを脱獄させるって言っても既に高等法院に根回し済みでさすよ」
「関係ない。ピストルは常に手入れするもんだ」
「そうなのですか?」
「そういうもんだ」
民衆の雄叫びに松明が揺れている。やがてその叫びは、ポールの手により言葉に変わる。
「サン・レミを解放しろ!サン・レミを解放しろ!」
熱が更に高まる。裏門の衛兵に書類を提示し、正式な許可を得て牢獄内に入った。
数世紀前、このパリスは城郭都市であり、その内郭として建てられたのがこのラ・ファルトレス要塞である。だがパリスの人口が増え、クローディアス朝の首都からラソレイユ王国の首都に成り代わった時、要塞の役目を失い刑務所という新たな役目を与えられた。
石造りの廊下は音がよく響き、職員の慌てふためく声がそこら中から聞こえる。
「レイユ監獄より、サン・レミの移送に参りました。ジョシュア・マクシムです」
「そうか、このような時期に御苦労であった」
「いえ、問題ありません」
牢の鍵を貰い、彼女の牢に向かう。
「おい、貴公。レイユの乙女祭りはどうだった?」
オーレン乙女祭。レイユで開催される伝統的な祭だ。百冬戦争の英雄であるオーレンの乙女を祝す祭事である。
「今年は開催されませんでした」
去年、レイユで行われたオーギュスト16世陛下の戴冠式において、レイユは式費用の3割を負担した。そのせいで今後3年間、オーレンで祭事は開かれない見通しだ。
「そうか」
その時、銃声が響き、頬に僅かな熱さを感じた。
「去年のオーレン乙女祭はオーレン公閣下が費用を捻出し行われた。レイユの市民であれば、知らぬ筈がない」
ぬかったのか?僕が!?
「馬鹿野郎が!!」
コトデーは懐からあのピストルを取り出し、男の脳天に照準を合わせた。
再び銃声が響き、男の脳天から血が噴き出す。
「ロベスピエール!急ぐぞ」
「わかってます」
死んでたまるか、こんな馬鹿なことで!
幸い、先ほどの銃声は市民の声に掻き消されてさほど話題にはなっていない。だが、死体が見つかれば話が変わってくる。
「ここだ!テルール、鍵を!」
檻の中には窶れた女が居た。あの艶のあった髪は艶を失い部分部分白くなり、腕は細く頬は痩けている。唯一変わらないところがあるとすれば、その義足だけだろう。
「コトデー!」
彼が錠前を開ける最中、僕はその女に話かける。
「サン・レミ、あんたにはやってもらわねばならないことがある」
「今さら何の用ですかロベスピエール先生。私は驕ってそして堕ちたのですよ」
「ルナに調べさしたんだがな、お前の妹、死んだよ」
「あ、あの子が死んだんですか!?」
「お前のせいで普通の職には就けなくなってな、それで身体を売って、梅毒を患って、鼻も溶けて、売り物にならなくなったから食い扶持がなくなってな、最後は冬のセーヌに飛び込んで死んだんだ。
つまりだ、はっきりと言わせてもらおう、お前が殺したんだ」
「わ、私が殺した…私があの子を?殺したのですか?私が?」
この女は強欲でそれでいて強情だ。そして僕と同じように自分本位でどうしようもない奴だ。だから、テルールがサン=ベルナール・ロベスピエールになった時と同じ事をやる。
まずは心折って、自分の生きている意味を失わせるのだ。
「あぁそうだお前が殺した。お前は金が無いから自分や妹はこんなにも苦しんでいると思って、ヴァルサイエーズに殴り込んだんだろうが、その果てにオーレン公の捨て駒にされて、政治に使われて、それで妹は死んだ。
そうだ、そういうことだ、サン・レミ。お前は産まれるべきではなかった。お前は自分ばかりでなく、妹をも不幸にした。全てお前のせいだ。お前は浅慮で鬼畜な人でなしだ」
心は折った、人格ばかりか人生そのものを否定した。重要なのはここからだ。
「お、おいお前さすがに」
「黙っていろ、コトデー」
彼女は涙を流し、その後嗚咽する。そして粥のようなゲロを嘔吐した。
そうさ、知っている。本当に辛い時は目からじゃなくて口から出るんだ。僕の場合、それが喀血や罵詈雑言だった。
「で、では、こ、殺してください」
「死んでお前の罪が消えるのか?お前がやるべき事は王室とヴァルサイエーズに復讐することじゃないのか?お前を騙した人間を皆殺しにすることがせめてもの慰みになるんじゃないのか?」
「僕と来い、サン・レミ。楽になろうぜ」
差し出したこの手に震えた細い手が重なった。
そしてその手を引き寄せて、その細い身体を抱き締めた。
「よく選んでくれた。決してこの選択を後悔させることはないと約束しよう」
「コトデー、ここをぶち抜く」
サン・レミをコトデーに任せて、ピストルを抜いた。
「離れてください。巻き込まれて文句を言われても困る」
このピストルは僕が考案し、ラパイヨーネと魔力保存法則を発見したラヴァージェ博士が設計した世界を変えるピストルだ。
牢の壁に照準を合わせ、魔力を込める。
「燦々として燃えよ(Fleurs inutiles)」
ピストルの音ではない、鈍い音が響いた。それと同時に僕の肩は外れ、指に鋭い痛みが走った。
銃弾は壁に当たり、爆発を起こす。それは大砲1発と同じ威力であった。
「防護をしててこれか…」
銃身は粉々になり、指は一部骨折。とても使えたものではないが、これは世界を変えると革新できる。
「あの穴から逃げましょう!」
煙が晴れた時、牢の壁には120センチほどの穴ができていた。
僕らはその穴を潜り、外に出る。
「ポール!」
彼の名を呼んだ時、彼は言葉によって火を消した。
「人々よ!サン・レミは救出された!他ならぬサン=ベルナール・ロベスピエールによって!」
「ロベスピエール万歳!ロベスピエール万歳!」
人々は僕の名を叫び狂乱した。そうだ、勝ち鬨を上げれば火は消える。よくやってくれたぞ、ポール。
後日、サン・レミの名の下、とある本が発売される。
"マリア・アントワールとオーレン公について"
内容としてはこうだ。
マリア・アントワールは私に愛していると言った口でオーレン公と口づけを交わしていたのだ。
そしてオーレン公とマリア・アントワールは鬼畜にも、私を騙してあの首飾りを手に入れたのだ。
私は許せない。私の恋心を弄んだマリア・アントワールも、それを愛するオーレン公も許せない。
酷い讒言であるが、それを信じてしまうほどに王室と貴族の権威は失墜していた。




