船頭
サン=ベルナール・ロベスピエール視点
無償医療と食料配給によって求心力を手に入れた。父のコネやアンサングのコネ、オーレン公のコネを使って人脈も手に入れた。投資と資金提供で金だってあるし、ポールの人脈と金を利用してマスコミだって僕の手の内だ。後足りないのはは時間と権力だけ。だがいずれも解決される予定だ。
「ルナ、確認させてくれ」
質素なコートを纏い、あの暗いサングラスを掛ける。なぜこのような格好なのか。なぜならこのほうがウケがいいし、なによりサングラス=ロベスピエールという印象をつけることで彼らの記憶に残るからである。
「シャルロは今回の件、了承してくれるって言ったんだな?」
「うん。先生の声が聞こえたらすぐに退くと」
「そうか、何人くらいが広場に集まっている?」
「500人くらい」
「多いな、難儀な火になるかもしれない」
辻馬車を捕まえ、コンコード広場まで向かう。
既に500名、いや800名ほどの人間が処刑台の前に集まっており、苦悶の表情を浮かべている。
目を瞑り、耳を澄ませる。
人の集まる場所は必ず熱を持つ。これは物理的な熱ではなく、感情的な熱だ。そして熱の集まる中心とタイミング、それを見極めれば、火は起こせる。
そして今、バチバチと燻る音が聞こえた。
「アナリース!彼女こそが貴族の身勝手による犠牲の象徴であります!」
力いっぱい叫び、民衆(火)に風を吹かす。僅かな燻ぶりが燃え上がり、民衆の熱を上げる。そしてそれにつられて火は更に大きくなり、大火となる。
「そうだ!!貴族のせいだ!!」
その大火が消えぬ様に薪をくべるのがサクラの役目だ。
「なればこそ!我らが何をするべきが!!」
扇動とは、目的の邪魔になるものを破壊する為の手段である。
「それが分からぬ者はおらんはずでございます!!」
つまり、扇動とは危険な火遊びそのものなのだ。大火を起こす場所は選べても、大火を操ることはできない。下手を打てば火を起こした本人も焼死するし、目的としていないものまで焼き尽くしてしまう。あるいはまったく想定しない方向から風が吹いて、あらぬものを延焼させてしまうかも知れないし、それか突然の通り雨で大火そのものが消えてしまうかもしれない。
「そうだ!アナリースを助けろ!」
とにかくだ、扇動という行為はとてつもなく危険で完全な想定ができない行為であるというわけだ。
だから僕はこれをする時、僕の大切なもを決して燃やさぬよう、大切なものを遠ざけている。
なのにだ、なぜシャルロ、君はまだそこにいる?ルナは君に警告した筈だろう。
まさか…
「鉱夫よ、何故あなたは働くのです!」
血の気が引いていくのがわかる。鼓動がうるさくなる。もしだ、もしルナが僕の言いつけを破っていたとしたらどうなる?シャルロは生真面目だ。必ず仕事を全うする。そしたら、シャルロは人波に揉まれて死ぬぞ。
どうする?起こしてしまった火は消せない。下手に消そうとすれば自分もシャルロも燃え死ぬぞ。
「家族を守るためだ!!」
「ええそうでしょう!!ではパン屋よ!家族を守る事に罪があろうと言えますか!!」
僕は何としてでもこの火を御し切らなければならない。
あぁそうさ!僕にはできるはずだ!
「罪なわけがない!!」
「ならば人々よ!夫の尊厳を守ったアナリースに如何様の罪がありましょうか!!」
「アナリースは無罪だ!!」
「アナリースを解放しろ!!」
民衆はアナリースという女に共感を示して怒りを顕にする。人の温度はだいぶ高い。
火の性質を見極めれば、制御の方法も分かるはずだ。
「通してくれ」
僕の声に人の波は割れる。火は熱いが、まだ最高地点には到達していない。
これはまずいかもしれない。このような火は往々にして一度制御を離れると二度と取り返しがつかなくなる。
「シャルロ・アンリ・アンサング!私は貴方に問いたい!!その娘に罪がありましょうか!!」
壇上の彼女に声をかける。
「これは、高等法院において正式に通達された罪だ。サン=ベルナール・ロベスピエール、貴方が如何に人々を焚き付けて、言葉を転がそうとも決定は覆らない」
シャルロ!わかっているのか!?その言葉は火を強くするぞ…
「アンサングも吊るせ!アンサングは貴族の手先だ!」
処刑台と観客を区切る柵は軋む音を上げて、今にも倒れてしまいそうだった。
これはまずい。
「通せ、テルールが命令する」
かつて処刑助役だった時の名前を利用し、処刑助役を退け、処刑に上がる。
「降りなさい、サン=ベルナール・ロベスピエール。アンサングの場を汚そうというのなら、この処刑人の剣が容赦をしない」
薄く鋭い剣が僕の目の前に見える。
「シャルロ、頼む引いてくれ、君だってわかってるだろう、死ぬぞ」
「貴方が悪いんでしょう?」
「何も言わず出ていったことは申し訳ないと思っている、しかし、僕は君をこんな馬鹿なことで失いたくない」
「違う、そっちじゃない。なんで直談判しろって言ったのに来なかったの?」
「…そんな話、聞いてないぞ」
柵が倒れ、処刑助役は逃げる。処刑台までの障害が無くなったことを理解した彼らは、雄叫びを上げ処刑台に駆け上がる。
「まずい!シャルロ、ひとまずここは!!」
その時、肺が引き裂かれるような痛みを覚えた。あらゆる身体の力が抜けて、気道が血で埋め尽くされる。
「テルール!!」
彼女は僕の身体を掴む。
「僕はいいから、逃げて…」
その言葉を聞いたからなのか、彼女は剣を捨て、両手で僕を掴んで、僕の身体を引き摺るように走り出した。
「皆様!私の聞こえますか!」
女の甲高い声が広場に響く。何処かで聴いたことのある声だった。
「アナリースは救出されました!これ以上の犠牲はいりません!皆家族を守る為に必死なのですから!」
民衆の注目はその少女、シャルロット・ダルモン・バルバトスに集まっていた。
「裏路地に行くよ」
彼女の服と僕の服を血で汚しながら、彼女の肩に寄っかかって何とか裏路地まで逃げた。
「ごめん…シャルロ。また服、汚しちゃった」
薄暗い裏路地で再び血を掃く。まるで水溜りのようであった。
「テルール、さっき吐いた量を足したら、絶対100mlは越える。このままだとあと一年もしたら重症の域に入る。本当に死ぬよ」
「だからなんだと言うんだ…」
「死んで欲しくないよ、私は。なにより貴方だって死にたくないでしょ」
血塗れの僕を彼女は優しく抱き締めた。
「あぁ、そうさ。死にたくないよ、でもどうしょうもないんだ。だからせめて、今死なないために、死んでも意味があるようにやってんだ」
「それがわからないんだよ、ルナって人も言ってたけど、死ぬことに意味を求めて、生きる事を蔑ろにするんなんて」
「あぁわからないだろうさ!だからって僕を否定してくれるなよ、全ては君やルナや僕や、なにより多くの人間の為だ!その為に身分制度を破壊するんだよ!それを分かって…
ごめん、怒鳴るつもりはなかった、でも本音なんだ。僕はもう長くない。あと5年いや3年と生きれるかわからないし、そのうちのどれだけの期間立ってられるかもわからないんだよ。だからせめて、意味のある死を…」
「それで、それで貴方は幸せになれるの?意味のある死を遂げて、私やルナって人が、多くの人間が身分に囚われなくなってさ、それで貴方は幸せなの?」
「幸せだよ、多分。いや、幸せじゃなきゃ間違いなんだ。僕はその為多くを支払ってきた。そうじゃなきゃ、こんな病気を患って、君に否定されて、それでもって頑張ってる意味がないじゃないか」
そうだ、この果てにあるものが幸せじゃなきゃ意味が無いんだ。こんなに辛くて苦しんでる意味がない。
そして意味が無いなら、生きてる理由がない。結局、苦しんで辛いだけの生命ならばいっそという話にしかならないんだ。
「シャルロ様、ここにいらっしゃいましたか」
「帰りの馬車を用意いたしました、民衆の怒りがこちらに向かないうちに急いでお乗りください」
「テルール、私は…」
「行けよ、シャルロ。行ってくれ、今は一人にしてくれ」
情けない僕を置いて、彼女は去っていく。
「テルール、私愛してるから、貴方のこと。だから死なないで」
「シャルロ、僕もなんだ…」
馬の嘶きが聞こえた時、僕は身体を横にして眠ってしまった。




