痴呆
目が覚めた時、馴染みある心地良い匂いに包まれた。
彼女の匂いだ。僕は彼女の部屋で彼女のベッドで寝ている。
窓の外はいつの間にか日の出になっており、半日ほど寝てしまった事がわかる。
久しぶりの長時間睡眠、心地良い目覚め。
だがそれが何だと言うんだ。そんなものに何の意味があると言うんだ。
意味が無いんだ、全て。
守りたいと願った人に拒絶されて、しかもその人は王の政策によって救済される。
つまり僕の人生はいたずらに他人を邪魔して貶めて、不愉快にさせて、それだけの人生だったってとだ。
今思えば他にやりようはあったさ。あの前世の記憶とやらを活用して発明家にでもなればよかった。でもそれすらできなかったんだ。
だから、僕は劣っているんだ、全ての人間と比較して。前世の記憶を持ちながらにして何もできず何にもならず、それは単に僕の思慮が浅いからなんだろう。
僕が普通の人間だったならば、自らの心持ちを神と驕らず、自分の能力を過剰評価せず、誰の利益にも不利益にもならずに細々と生きていた。
それか僕が天才だったら、全てを間違えず、シャルロを自分の手で救えた。
全ては僕が無能だからだ。
…本当にそうだろうか。僕の父親が、あのロベス・マクシミリアムが危険思想なんて持っていなかったら僕はこんな無能の卑劣漢にならなくて済んだんだ。だから、全部はあいつが悪い。保護者責任を果たさず、家族を巻き込んで死んだあの男が悪いんだ。あいつじゃなくてバチストのような善き人の家で産まれていればこうならなかった。
…本当にそうだろうか。だって幼少の僕には前世の記憶と今は消えた前作の感覚があった。だからシャルロと出会えばシャルロの運命がいかに理不尽なものなのか分かってしまうはずだ。だから結局この社会に対して義憤を感じて、それで荒らし回って今みたいになってしまう。
だからシャルロが悪いんだ!あいつさえいなければ!僕がこんな目に会うのも、僕がこんなに苦しいのも、僕の人生が何の意味もなかったのも、全部全部シャルロ・アンリ・アンサングという最悪の売女のせいだ!!
そんなわけ無いだろ。
結局そうだ、全部は僕が悪いんだ。僕の父親でもシャルロでもなく僕が悪いんだ。僕の生まれ持った気質が悪い。
つまり僕は生まれた時から、あるいは僕の魂そのものがこの世界にとって邪魔なものだったんだ。
産まれてこなければよかった。
そうだ、そうならばよかった。前世の記憶があるんだ、臍の緒で首を吊っとけばよかったんだ。だって、おかしいじゃないか。なんで僕だけがこんなに苦しまなきゃならない。なんで僕だけがこんなに辛い思いをしなければならないんだ。
救いたい人に拒絶されて、世界から除け者にされて、病気になって満足に死ぬこともできない。
僕がなにをしたっていうんだ。なにか悪いことをしたのか?前世の罪なのか?前世のその前世の罪なのか?
なら何で前世とその前世のやつに罪を被せないんだ。なんであの世で精算させてくれないんだ。
死にたい。いや、死ななくてはならない。
死ぬのは怖い、でも今ならばいける気がする。
起き上がり部屋を見渡す。何かないだろうか。というかこんなに物少なかったっけか。机の上にあるのは僕の好きなロールキャベツと本だけでペンすらなく、棚の中には服もない。
まるで赤子のような扱いだ。
死ぬための道具がない。思いつくとすればこのコップを割って、いやこのコップは割れない。だってシャルロと一緒に焼いたコップじゃないか。なら、窓を割ってガラス片を喉に突き刺すしかないか。
でもその前にこのロールキャベツを食べたい。だってまだ湯気がでててうまそうなんだ。定期的に温め直してくれたんだろう。
ナイフで切り分けて、一口サイズに解体する。しかし上手くできない。手が震えているのか、あるいは食器が木製に変えられているからなのか。
そのひと口を含んだ時、トマトスープが染み込んだキャベツと柔らかい肉から旨味が溢れる。
暖かくて優しい味だ。涙が溢れる程に美味しいんだ。
「美味いなぁ、どうしょうもなく」
心は死にたがっていても、どうしても身体は生きたがっている。
自分では死ねそうにない。でも僕が死ななくては僕の人生は意味がないままだ。
まだ何も、解決してはいない。
そうだ、パリスに行こう。それであいつに会って僕の全ての問題を解決してもらうしかない。
結局、僕は臆病者なんだ。




