ルナ=ジャスティカの静かなる発狂
先生はこのパリスの街を不潔で臭い街と言った。糞尿を窓から投げ捨てるし、糞尿が投げ捨てられるならと生ゴミも何でも街に捨てる。それでいて政府たるヴァルサイエーズの人達は貴族と平民は交わらぬものと考えているから、公共事業として街の掃除もやろうとしない。
その悪循環の末がパリスだ。汚いせいで人が死ぬから、本能的に子供を沢山作ろうとなるし、その結果人が増えてゴミも増える。
先生の理屈はわかっている。でも感覚として分からない。だってゴミをポイ捨てすることの何がいけないのか、糞尿を窓から捨てることの何がいけないのか、子供が沢山死ぬことの何がいけないのか。
私にはわからない。先生の基準、先生は道徳と言っていたが、その基準が私にはよくわからない。
問題はここだ。人は悪事を明確に定義する術を持たないという点である。
つまり、強姦や人殺しや人食いがなぜ駄目なのかを明確に説明できない。
だって殺人行為が明確に悪なら処刑人と軍人はその存在そのものが悪だ。
じゃあ今度は人を殺したら自分が殺されちゃうからだめだよねって論じると、自殺志願者には殺人の権利はあるよねとなってしまう。
故に人は全ての行為が最初から許されているんだ。
でもそれじゃ世界は野蛮なままだ。だから星教が生まれた。そして神と法と罰が生まれた。
ここまではいい。
問題は星教自身が星教の原点、つまり弱者が弱者であり続けられる社会をという原点を忘れてしまったせいで神の正当性が失われてしまったと言うわけだ。
だから星教の延長線である王権もその延長線上の法律も全て正当性を失う。
つまり神が死ぬ。
では神が死んだからどうなるのか。神が死んだら人は絶望する。だって人は行動の理念を神に置いてきた訳で、神が死んでいたのならばそれは今までの人生の否定になる。
だからこうなる前に人を救う人が国家を支配し、国家が星教になるか、あるいは新たな律が必要なんだ。
まぁでも私の本心としてはそんなことはどうでもよくて、私の神を、先生を世界の支配者とすることで皆が皆を、人が人を救済する意思を持ってくれればいいと考えている。
「先生、ルナ=ジャスティカ先生!」
「メルヴィエール婦人、でしたよね?」
二十手前の経産婦は腐ったチーズのような不愉快な臭いをする布で巻かれた物体を抱いている。
私にはそれが何かわかる。だって私もそれを抱いたことがあるからね。
「わ、私はどうすればよかったのですか…」
妊婦の栄養不足による流産だ。よくあることだ。母体が無事でよかった。
「いっぱい食べなきゃならなかったけど、それは難しかったよね」
「死ぬべきなんでしょうか、私は子供に名前すら与えられず、ましてや殺してしまった、この子にも命はあったのに…」
「死にたいのなら死ねばいいんじゃないかな」
「ですか自殺なんてしたらア=ステラ様は私を救っては…」
「でもア=ステラ様は何時までたっても私を救ってくださりませんでした…」
経産婦の目はかつての私のような目をしている。神が死んで人生の無意味さと現実の過酷さを知って絶望した人の目だ。
「死にたいのならば死ねばいい。自殺は全ての責任から逃れる事ができる究極の方法だからね」
「でも貴方は命を産んだ責任から逃れられるほど自分勝手ではないでしょう。だからこうして私を先生と呼んで縋っている」
「ならどうすればいいのですか、私は」
「それは貴方が決めるべきだよ。子を忘れて生きていく、というのも一種の責任の取り方だし、社会とか他人に対して一撃を加えてやるっていうのも責任の取り方でもある」
「それか、そうだね。もし良ければ私達の手伝いをしてよ」
「それで、私の責任が取れるのですか?」
「うん、きっと」
「なら、そう致します。そうしないと私は責任から逃れてしまいそうですから…」
「んじゃ今度、酒場モンターニュに来てほしいな」
こうやって一人、一人ずつ人を集める。百人も集まってしまえば、後は野次馬を扇動して二千人にもできる。
先生、サン=ベルナール・ロベスピエール先生は確かに救世主だ。でも実績が無いから皆それを理解しない。
だから私が先生を本当の神にする為に実績を用意しなければならないんだ。




