ルナ=ジャスティカの静かなる発狂(1)
ルナ=ジャスティカ視点
私の母は貴族の末っ子娘であった。とても気品のある美人であり、宝石の輝きなくしてヴァルサイエーズで輝く女性であったと聞く。
だがある貴族に嫁いで母の人生は変わった。いや終わってしまったのだ。
母とその貴族の間には子ができなかったのだ。勿論、母に問題はない。ただ男側が種無しだっただけだ。
だがこういうパターンの場合、貴族の彼らは家の面子こそが命であるので、母に名目上の罪状を付与した上で不浄の女として追い出すしかないのである。
だから私の母は無一文で追い出されてパリスの貧民となった。
数年後、食い扶持の為に春を売ってその間にできた子供が私である。父は誰だか分からない。
6年前、不作の影響で諸々の食品の値段が平均1,2倍に跳ね上がった。
私たち母娘は食えなくなったので、私も自分を売ることにした。私の初めては到底いいものじゃなかったし、体重で身体が潰れるかとも思った。
でも私は不幸ではなかった。
それから2年後、母は梅毒を患い苦しみの中で死んだ。鼻のない母の顔は未だに覚えてる。
だが私は不幸ではなかった。何が不幸なのか知らなかったからだ。
ある日、ある荷馬車が落とした本を拾った。題目は神と人と星の約束。星教の星典である。
私はそれを読んだ。母の言った"神は貴方を救ってくださるわ"という言葉を思い出しながら熟読した。
やっと私は不幸になった。不幸の言葉の意味を知ってしまったからだ。
そして発狂したんだ。おかしい、おかしいと心が叫んで、そして自分を買った男を殺した。その後バラした肉を貧乏人に売り捌いたり乞食に与えたりして隠蔽した。
どうすれば私は不幸でなくなるのか。誰が私を救ってくれるのか。
そんなことを考えながら日々を過ごした末、アガペーがあるのなら私達がこんなにも苦しいのはおかしいと構造的破綻を結論づけた。つまり星教を捨てて世界に絶望したのだ。その後しばらくして私は冬の冷たいセーヌ川に溶けて消えてしまおうと思い立った。
私の足が薄氷を割った時、ある男が現れた。痩身長身の蛇のような眼をした男、サン=ベルナール・ロベスピエールである。
先生は私をゴミ溜めから拾い上げて世界のことを教えてくれた。この汚い身体を綺麗だと言ってくれたし、私の水子を悼んでくれた。自分が人殺しだと言ったら、僕は自分の母親を殺したんだぜって笑って言ってくれた。
神は貴方を救ってくださるわ。
全ての思い出が先生の神性を肯定する。
「サラダとステーク・アッシュ、デザートはチョコムースにしようかな」
先生は子供舌だ。甘いものが大好きで、苦いものとか渋いものは自分からは食べない。ピーマンとパプリカとナスとカボチャは渋い顔しながら最初に食べる。
硬いものを食べてる時は若干苦しい顔をするし、柔らかいものを食べてる時は幼子のように満面の笑みで食べてくれる。
後者に関しては彼の顎が女性のように細くてシャープだからなんだろうな。
「んじゃ私も同じのにして、デザートだけ変えようかな。イチゴムースがいいや」
「デザートさ、なら半分食ったら交換しないか?」
先生の提案はいつも魅力的だ。私が望んだ提案をくれる。だから時々思うんだ。先生は私の心を見透かしてるんじゃないかと。
だとしたら嬉しいな。私の愛と信仰が先生に伝わっているのなら、それに越したことはないだろう。
「ご注文を伺ってもよろしいでしょうか」
「あぁ、ステーク・アッシュとサラダを二つ、あとチョコムースとイチゴムースでお願いします」
「お飲み物はどうなさいますか?」
「僕は水で構わない彼女は…」
「私はミルクティーで」
「ステーク・アッシュとサラダ二つ、チョコムースとイチゴムース、ミルクティーをお一つずつ、以上でお間違いありませんか?」
「はい。お願いします」
店員は典型的なパリスの娘だ。あまり可愛らしくない服とスカートに可愛らしいリボンを付ける。星教の教義である質素倹約と人間のエゴが混じり合った末の産物だろう。
私はそれが嫌いだ。なぜ神は人を制するのに人は神を制せない、なぜ人は神に与えるのに神は人に与えない。
先生の根源に居た女、偶々先生と同郷ってだけで先生の心を射止めたあのしょうもない女はどうせ疑問にも思わないんだろう、人と神のこの不公正を。
「お待たせしました、ステーク・アッシュとサラダ二つ、チョコムースとイチゴムース、ミルクティー、ブールです」
注文にはない十字の切れ目が入った丸いパンが食卓に置かれる。
「ブールを注文した覚えはないのですが、伝票を確認しても?」
「あ、これは店長のご厚意で御座います。ロベスピエール先生とルナ=ジャスティカ先生には大変感謝いたしますとの伝言で」
「そりゃ、嬉しい限りです。ではお伝え願います、ロベスピエール及びルナ=ジャスティカは貴方の素晴らしい行動に誠感謝致しますと」
ルナ=ジャスティカ先生。人に先生と慕われるのは本当に気持ちのいいことだと思う。だって先生という言葉自体に権威があって、女性は生存本能として権威に惹かれるのだから。
まぁそんな一見考え抜かれたような考察を本質としてもいいが、その実先生と呼ばれることで自分より下の存在が認識できるから気持ちいい、その方が大きい。
「いただきます」
ステーク・アッシュ、要するに牛挽肉を楕円状に成形して焼いたものになる。
正直私はこれがあまり美味しいとは思わない。
フォークとナイフで肉を切り分ける時、溢れた肉汁がプレートの熱で音を立てて蒸発する。それと同時に辺りには肉の匂いが広がる。
ここまではいいんだ。問題はここからである。
咀嚼してわかるが、音と匂いの割に食感と味が拍子抜けなのだ。例えるならそうだ、まるで転調がない音楽のようだ。つまり、面白くない。味もマイルドだし食感も肉を食べてるとは思えない程に柔らかい。
だが彼はそれを嬉々として食している。ステーク・アッシュ、つまり子供向けステーキである。
「美味いなぁこれ。やっぱ好きだ」
だからここでの主役はこのステーク・アッシュなどという陳腐なものではなく、彼なのだ。満面の笑みでステーク・アッシュを食べる男の子サン=ベルナール・ロベスピエール君。いつもの凛々しい顔つき、あるいは交渉事をするときの艶美な顔とは全く違う、幼児のように可愛らしい顔。
私はそれが好きだ。勿論、先生の顔も表情も全部好きなのだが、その上でご飯を食べる時のこの顔が一番好きなのだ。
「あ、そろそろ交換しようよ先生」
「それもそうだな」
イチゴムースは甘さなの中にほんのり酸っぱさのある味で、チョコムースはその甘く酸っぱいを相殺する渋くてほんのり甘い美味しさだったと思う。
「そろそろいくか」
そろそろ一時となる頃、先生はパリスの郊外、つまり屋敷への帰路に着いた。
さて、先生が行ってしまったので私は私のやりたいことをやろうか




