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忙しない日々



 祈祷用の十字架と祭壇、向かい合う樫の長椅子、少々埃のある机に傾いた棚。

 高等法院という貴族と軍人の名誉が死ぬ最後の場所にしては似つかわしくないほど質素な部屋。それが第三控室である。


 「おぉ、来たか」


 そして僕を待っていた一人の男、コトデー・マリー・バルバトスである。


 「お待たせして申し訳御座いません」


 「いや予定より大分早いぜ」


 「で、"何でも屋"コトデーに何の頼み事だよ」


 コトデー・マリー・バルバトス、こいつの薄ら笑いはあまりに不気味だ。オーレン公と違い、彼の動機は己の正義という曖昧で分かりにくいものだ。故に彼は読みにくい。


 「二月後の夜、報酬はそうだな…金貨と、それか高級娼婦、あるいは却下した政策及び法案の内訳、ってのはどうだろうか」


 「オーケー全部だ。それで何をするんだ?」


 「サン・レミを脱獄させてアルビオンまで送る。オーレン公の失脚させるにはそれが必要だ」


 オーレン公は民意によって失脚させられる予定だ。その為にサン・レミを使う。

 要はサン・レミに"全てはオーレン公とマリア・アントワールが仕組んだこと"として暴露本を書かせ、然る後に高等法院と共にオーレン公を裏切り仕組まれた裁判で有罪にするって算段だ。

 問題点があるとすればきちんと仕込みをしなければオーレン公に明確なる敵対行為として見られる点と、単純明快すぎて向こうにもバレてるんじゃないかという点だな。


 「で、雇われたのは俺だけか?」


 「はい。雇ったのは貴方だけです。しかし人は多くなる筈でしょう」


 「契約成立だな」


 「はい」


 ゲオルグ・ダールトンにこいつの経歴は洗ってもらった。近衛兵隊長を務めながら裏稼業として義賊として何でも屋を営んでいたらしい。

 でもその正義感故、彼は孤高であった。だから僕のようなコネクションを持っていて話の分かるやつの手は取らざる終えない。

 でも僕に読めるのはここまでだ。彼の正義とか理想までは分からない。


 その後高等法院の各法服貴族と諸々の調整を行い、高等法院を去る。


 空が茜色になった頃、僕は高等法院を出た。

 やはりこの街は美しい。ヴァルサイエーズのような過剰装飾とグニャグニャの曲線だらけのバロック様式とは違って、この街はきちんとした直線と素材の味を活かした質素なネオクラシック様式でできている。

 だが一つ地を向けて見れば不衛生な環境の中で乞食がネズミを捕まえてそれを食らっている。

 こんなんだから皆病気にかかるんだ。僕を含めてね。


 「お、お恵みをお与えください」


 私の足に縋り付く女。その声、何処かで…


 「マドモアゼル、貴方は確かサン・レミ氏の妹様でしょうか?」


 「姉、いいえサン・レミなどという女なんて知りません」


 妹をどうにか使えないだろうか。

 あぁ、いけないな。こういうことばかりやっているから人を見る目が金をみる目になる。シャルロに殴られたいのか?


 「人違いだったようですね」


 ズボンの裾を直すフリをしながら僅かな銀貨を静かに落とした。こうでもしないと金目当てに彼女が殺されかねない。


 「なら、貴方に用はありません。今すぐ何処かへ消えて下さい」


 人に無関心になるのは慣れているが、人に冷たくなるのはいつになっても慣れない。

 そんな独白を零しつつ、目的となる酒場モンターニュに向かった。


 酒場に着く頃には既に日が沈んでおり、パリスの最悪の臭いは更に酷くなる。法令によって糞尿投棄の時間帯が夜間と定められているのだ。


 「ルナ、運営は上手くやれてるか?」


 ルイ・イトワール・ルナ=ジャスティカの白色瞳孔の三白眼は濁って僕を映さない。


 「うん、わりとやれてるよ。忙しいけどね」


 僕がオーレン公やらサン・レミやら何やらで忙しい間、隔たりなき治癒魔法医師団は彼女に運営されていた。

 僕がキャパオーバーだった、という以上に彼女には僕のスペアになってもらわなければならなかったのである。


 「んじゃ勉強の方は?久闊とかその辺、ちゃんと理解できたか?」


 彼女はラソレイユにいながら星教を信じていない。その上に僕を慕ってけれているので御しやすい。

 だから僕は彼女をスペアと見込んだ。


 「うん、大体は。でもそれを言葉にして人に説明するのは難しいから今度時間貰っていい?」


 「勿論、構わないよ」


 「ご飯とか奢ってくれませんか」


 「ローマニアン以外なら良いよ」


 さて、次はジョナサン=ポールの方だな。こっちもこっちで用があるのだ。


 「ポール、新聞の方は使えそうか?」


 「はい、バッチリと」


 「やつら王室を批判する記事なら喜んでとか言ってくれましたよ」


 「やはりな。叩き上げの商売人からしたら貴族は憎くて堪らないか」


 「王室の権威が地に落ちて死んだ今、儲けも憂さ晴らしできる王室批判は彼らからしたら最高のディナーでしょうよ」


 首飾り事件によって王室の権威が地に落ちた今、農民も軍人もマスメディアも商売人も全てが王室に不信を抱いている。


 「まるで蠱毒だな、全員下品だ」


 「ですよね。やはりロベスピエール先生は分かっていらっしゃる」


 ポール、こいつは僕が僕自身も下品に区分したことを理解しているのか?


 「僕はここで席を外す。この後も予定が入っているんだ」


 「あまり無理しないでくださいね、治す側が病気にかかったらしょんないでしょ」


 「医師だぞ、自分の健康くらい自分で管理するよ」


 酒場を出て、辻馬車を捕まえて向かった場所はパリス15区のとあるアパートの二回、休憩場と呼ばれる場所である。


 「賢しい愚か者はやがてデュラハンに」


 扉の前でそう唱える。そして扉は静かに開いた。



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