日の出
フランソワ・ダミアンの処刑についてはここでは語らない。
なぜならそのあまりの凄惨さに皆が耐えられないからだ。
一応、だとしてもこれだけは語らねばならぬと思いここに記そう。
ダミアンは第一級の不敬罪として八つ裂きの刑を言い渡された。
1786年、6月11日。レイユのラソレイユ大聖堂
太陽と主の御霊により成す地上に於いて最も星に近き王国、それがラソレイユの正式名称である。
そしてその始まり地であるレイユのラソレイユ大聖堂にて、新しい太陽が産まれようとしていた。
カーテンは少し早い夏風に揺れて、ステンドグラス越しの光を少し隠した。ファンファーレと数多の拍手、そして荘厳なる鐘の音が彼を祝福する。
ラソレイユの歴史のように長いカーペットに王家の歴史のように長いマントを這わせて彼は進む。
重い足取りだ。一つ一つ踏みしめている。
滴る汗を隠しながら、ただ長い階段を登っていく。
誰かが思うかもしれない。彼は臆病者だと。しかしそれは全くの勘違いである。彼は自分が非凡でないことを理解していたし、己の心がこの役割に耐えきれない事を認識していた。にも関わらず彼は全てを投げ捨てる事をしなかった。その点を鑑みれば彼はまさしく勇者であろう。
やがてはその階段も終わり、彼は大司祭にその頭を垂れた。
「主とア=ステラの祝福がラソレイユと新王オーギュスト16世の下にありますように」
大司祭は口上を読み上げて、彼の小さな頭に輝く冠を載せた。彼にとってそれはとても重く、今にも振り下ろしてしまいたいほどであった。
「人は皆草に過ぎず、その栄えはまこと花の如し」
彼、新王オーギュスト16世、オーギュスト・ブルボン=ラソレイユは語る。この場の多くの人に、或いは愛する妻に、もしくはこの地に住まう全ての人々に語りかけた。
「さりとて草なしに花は咲かず、また余は一粒の麦の種なりて」
「地に実りを齎し、人に恵みを齎すとここに誓う」
まだ弱冠にも満たない18歳の少年に人々は神聖さを見出していた。
それは彼の口上による所が大きいだろう。だって彼は自らを一粒の麦と定義したのであるから。
まこと自己犠牲とは神聖の証明なのだ。
高貴なる男に対して拍手喝采が巻き起こる。誰もが彼を祝福する。
「では次に祝辞とさせて参ります。サン=ベルナール・ロベスピエール様、よろしくお願いします」
気高き群衆の中で一際目立つ長身と美貌を持つ男、サン=ベルナール・ロベスピエール。
彼がなぜ平民でありながら王への祝辞を述べるに至ったのか。それをここで少しだけ説明しよう。
平民である彼は同じく平民であるパリスの人々に無償での医療を行い、その上でパンを配った。預言者ア=ステラの猿似事だと笑う人々もいただろうが、だとしても救われた人々からしてみればア=ステラと同等の神聖なる人に見える。そして彼はそれを繰り返し、彼は平民の星と讃えられるに至った。
故にオーギュスト16世はこの場に彼を招集し、戴冠式の祝辞すらも任せた。
新たなる治世は民に寄り添うものだと示したかったのである。
彼は王の歩いた道を辿り、階段の前で止まる。
「祝辞とさせていただきます」
低い声と若干の茶が混じる黒髪、整った鼻筋と全てを見透かすような鋭い黒の瞳。その美貌に見惚れてしまった貴族娘も少なくなかった。
「ラソレイユ国王にして一粒の麦の種、オーギュスト・ブルボン=ラソレイユ様へ、草たる人々の代表として、ここに祝辞を申し上げます」
男は頭を垂れて王を祝福する。本心からなのか、あるいは形式からなのか。
彼の心のうちなど誰であろうと読み取れない。なにせ彼とて己の心のうちを知らぬのであるから。
男は王の前から去りて、再び群衆の中に紛れていく。
「ではこれにて閉式とし、新王祝儀会を開式致します」
聖なる儀式は終わり、大聖堂は食とダンスの場、つまり政治の場所となった。
下流貴族の娘は自らの家よりも上流の貴族に嫁がんとする為にその家の長男と踊りをする。
だがその中で一人だけ女とも踊らず酒も飲まず、ただ狸親父共とやり合っていた若者がいる。ロベスピエールである。
「新王は確かに民を慮る王だと私は考えて居ます。しかし王妃の方はどうでしょう、民は売国奴だとしか思っていません」
ロベスピエールの言葉は真実である。先の首飾り事件のせいで王妃の評価は回復不可能なほどに地に落ちてしまった。
「何より、あなた方とて感じているでしょう。彼らは恐ろしく無学だ。新王の為政を民が理解できるとは到底思えません」
「むしろあなた方とて新王が恐ろしい筈です。オーギュスト14世の治世をやり直したくはないはずだ」
権力を王に、その理念を下として貴族から力を奪いその果てにヴァルサイエーズの牢獄に閉じ込めたのは他ならぬオーギュスト14世だ。
だから貴族達はオーギュスト16世の草案の一つ、国民一律税を絶対に受け付けない。
「確かに君の言う通りだよ、ロベスピエール君。しかし現実問題として省庁の大臣は王が決めるものだろう」
「そこであなた方の力が必要なのです」
「財務大臣をオーレン公、法務大臣アナベル・ド・アルバレスとして祀りあげます。彼ら両名が大臣となるまで王務不信任案を提出してください」
ラソレイユの省庁は四つある。財務省、法務省、経済省、生産省である。そして政策は大臣会議において過半数の賛成を得たものが試行される仕組みだ。
勿論、王が介入すればその限りではない。しかしそれはまた別の話だろう。
「オーレン公と手を組めと言うのか?」
「ヴァルサイエーズの家畜となりたくなければ」
「…貴族監査会の連中はなんと?」
「そちらは既にオーレン公の手中の中に御座います」
「…わかった手を組もう。しかしその先にあるのはオーレン公の治世だぞ」
「オーレン公を下す手筈は既に用意済みで御座います」
「私はアンサングと親しくてですね、牢獄の管理者とは顔見知りでございます」
彼は暗にオーレン公を下す手法を示し、ここにいる殆どがその手法について理解した。なぜこんな曖昧な言葉で理解できたのか、それはヴァルサイエーズ内のある噂による所が大きい。
その噂こそが"首飾り事件はオーレン公による陰謀なのでは?"というものである。
「随分と用意周到だな…」
さて、傍らで陰謀を巡らせるような醜い者共を見てもつまらない。暗い顔をして玉座に座る偉大なる王様に視点を移そう。
オーギュスト・ブルボン=ラソレイユ、この少年の趣味は錠前作りと読書であった。つまり、私が何を言いたいかと言うと、彼は王足り得る人ではなかった。これは彼の能力とかではなく、心持ちの問題だろう。彼は先王オーギュスト15世や太陽王オーギュスト14世と違い、民と王が混じり合わぬ者だとは考えることはできなかった。むしろ民の上にあって初めて王だと考えている。
ゆえに彼は王足り得ない、なぜならラソレイユが専制国家であるからだ。
また最も不幸であったのはその事柄について彼自身が自覚していた点だろう。だから内心、私はまだ18歳なんだぞ、なのになぜ王をやらねばならないのだと臆病風に吹かれていた。
だがやらねばならぬことはそれはそれとしてやらねばならないと考えているから、王冠を投げ捨てることもしない。
そういう意味ではこの場において、最も身分という言葉を憎んでいたのはロベスピエールでは無くオーギュストだったのかもしれない。
戴冠の前の塗油忘れてませんか???
ペテロの第一の手紙 1:24
人はみな草のごとく、 その栄華はみな草の花に似ている。 草は枯れ、 花は散る。
新約聖書ヨハネにより福音書 12:24
一粒の麦が、地に落ちて死ねば、多くの実を結ぶ




