色欲のヴァルサイエーズ
「私が無垢?御冗談を」
手に零した水を服で拭く。周りの皆が僕と彼女を見ている。
「その反応がまさにそれって感じがしますわね」
彼女は顎を上げて僕を見下した。いや、僕がそう感じただけなのかもしれない。だって物理的に見下すことはできないんだから。
つまり僕は僕よりも小さいこんなチビで愛らしい女の子に馬鹿にされてんだ。嗜虐心に溢れた女、嫌いではないが好きではない。
「貴方のような高貴な御方がそのような下品な話をするものではないでしょう」
「下品?私はただ貴方が女性慣れしていないことについて無垢と表現しただけで御座いますよ。それともなにか、別の解釈がお有りで?」
勝てない、やっぱり勝てない。それに何より勝つべきではない。だって王太子妃だし。
そもそもなぜ彼女はこのヴァルサイエーズという地獄の中でこんなにも生き生きとしてられるんだ?自らが見えざる鎖で縛られていると知らないのか?それともそれを知っていてその全てを夢として扱っているのか?
バリュー夫人はこの状況を看過しているのか?国王陛下の公式愛妾なんだからあんたよりも影響力ある人だろ。
「ふふっ、玉石と見紛う程のお顔と英雄ヘラクレスを想起させるような巨躯をしていても肝心な時に木偶の坊では意味がありませんことよ」
酷い。てか僕は設定上フィヨルド王国の伯爵だ。よくそんな口を聞けるな、最悪戦争になるんだぞ。
僕がテルールと知っててそう聞いていのなら人が悪いし知らずに聞いているのなら貴方は正真正銘の魔女だ。
「私はただ、星教の理念に従い無欲であろうと必死であるだけです」
「星教では社会の風紀を乱さぬ限りにおいて自分と他者の幸せを最大化するべきだと定義されておりますけど」
「えぇ、それに従って私は…誰も傷つけず己の最大の幸せ中を慎ましく生きています」
「誰も傷つけない?自分が傷つくのが怖いだけでしょう。それを臆病者と言うんです」
悪口は自分に返ると言うが、こんなにも返ってくるのが早いのかよ。
「アントワール王太子妃殿下は私めの事がお嫌いなのですか?」
「まさか。私は貴方のこと好きでしてよ。だって貴方との話はとても退屈ですけど貴方の話は面白いんですもの」
やっぱそうなんじゃないか!彼女にとって僕は余暇を潰すだけのお人形か。ならやはり貴方は一国の女王となられるべき御方だ。人を人として見ないというのも一種の才能なのだから。
「では、あの時の、著書について語った時の笑顔も全て偽物だと?」
「えぇもちろん。だって私の全ては偽物ですもの」
この言葉が偽物なら僕は彼女を本気で嫌いになるし、この言葉だけが本当ならば本気で彼女を憐れんでしまう。
「では私と一度踊っていただけませんか?王太子妃殿下様」
僕は跪いて彼女に手を伸ばした。彼女の真意を確かめたかった。だって人の真意は言葉でも思考でもなく手に出るものなのだから。
故に社交界は踊るのだ。薄いヴェールで真意と目的を隠した政治家達がせめて互いに探ろうとするから手と手を重ねる為に。だがそれで男同士で手を合わせるというのも小っ恥ずかしいと女を使って、それで誰も信じれなくなる。
間抜けだ。
「えぇ、喜んで。ムシュー」
片手で包みこめてしまう程の小さな手。同じ生物とは思えない程細くて小さな小枝のような手。ヒールを履いていても僕の胸板に届くが届かないか程の背。近づいて香る甘い匂い。全身に散りばめられた無色のダイヤモンドは黄金の煌めきによってイエローダイヤとなる。
女性は花と似る、それを初めに言った奴は天才だな。だってまるで彼女は風に揺られる花、あるいは蜘蛛の糸にぶら下がる花弁だ。
ならば僕はカンダタ。なぜなら僕は彼女と踊っているんじゃなくて彼女に踊らされているのだから。
「随分と自分本意な踊りをされるのですね、王太子妃殿下様は。」
一応アンサングの家も貴族。社交ダンスの踊り方自体はシャルロから教わった。それでも"美しくあることそのもの"が生きる理由であり生き方である彼女の前では付け焼き刃にもならない。
「無様な踊りをすれば私ではなくオルストリカが笑われてしまいますから」
見下げる彼女。天上のシャンデリアの光が彼女の瞳に反射する。碧の瞳は天の川のように様々な色を纏った。
「私とて国を背負うもの、淑女に踊らされていたらバイキングの血が泣いてしまいます」
ヴェニーズワルツの回転の後、彼女は僕の胸の前でこう呟いた。
「貴方のご先祖様はトガを巻いていたか、あるいはフン族から尻尾を巻いて逃げた負け犬でしょう?」
やはり貴方は魔女だな。しかしどこでそれを知った?秘密警察が嗅ぎつけたか、それともオーレン公が裏で糸を引いてるのか?しかし訝しんでもわからぬことはわからぬ。判断材料がなさすぎる今、粛々とオーレン公からの無茶振りと貧民医療をこなしておく他ないか。
「私にそれほど興味がおありなら間者ではなく私に聞けばいいでしょうに」
回転のたびに撒かれる匂いと揺れる乳、そして靡く髪と淡い青。か細く白い指は彫刻、フリーエッジはプリズムのように虹を産んだ。
「自分の顔も晒せない小心者が自分について語れるとは到底思えませんけど」
薄いチークのピンク色、赤ワインのような口紅。よく編まれた三つ編みに金箔を添えている。
「しがらみがなければ、私だってこのサングラスもこの軍服も脱ぎ捨てますよ」
その顔が近づく度不躾ながら、そして汚辱でありながら思うのだ。
その赤い唇にキスをしたいと、あるいは僕のファーストキスを奪って欲しいと思ってしまう。
こんな不埒で不純で穢らわしい感情を抱いてしまうのなら男になぞ生まれるべきではなかった。いや違う。人に生まれるべきではなかった。だってこの劣情は根源的な欲求だ。
ちくしょう、この情欲を棄てたい。その為に僕は神になりたい。全てを赦免されて、そしてこんな情欲も抱かなくて済む至高の絶対者になりたい。
「なら今すぐそうしなさい。今すぐにできないのであれば…そうだ、私はあの美しい死神さんとお友達になろうかしら」
自分でもわかる。今の僕は人に向ける顔をしていない。その証拠にあの嫌味な少女ですら僕を見て恐れている。あの幼き日にシャルロが捕まえたヤブノウサギのような顔をしている。
「そんな顔もできるなんて驚きですわ」
たがさすがは王女となる御方。僕のその顔も無に返していつも通り戯けてみせた。
「とんだ無礼を…申し訳御座いません」
音楽は終わり、深く礼をして踊りを辞める。
「少し夜風に当たります」
僕はそう言い残して金鏡の部屋を出た。今すぐこの部屋からでていかなければ色欲に溺れて溺死してしまうと思ったからだ。




