童貞
「どうかなされましたか?フェルゼン伯爵。」
近親相姦が盛んなハルケンブルグ家の血とは信じられない。奴らの受け口がどうしたのだ。
「いえ、あまりの美しさに見惚れていました。まさしくラソレイユの母に相応しいお方です。」
だがシャルロ程ではないな。身長があまり高くない故、美しいよりもかわいいが勝っている。
…何を考えているんだ僕は。彼女は王太子妃となるお方だろう。それにかわいいだけで心が揺らぐほど僕という人間は薄っぺらくはないはずだぞ、テルール。
「あら、お上手ですね、フェルゼン伯爵。ですが卑怯ではありませんこと?」
彼女は口元を華奢な雪の手で隠して大きな瞳で僕を刺す。
「そちらは私の容姿を吟味してらっしゃった癖に、私は貴方をその黒いガラス越しにしか見れませんのは不公平でしょう。」
まるでシャルロと話しているみたいだ。痛い所をお上品にグサグサと刺してくる。
「マ、マリア様いけません!!」
お付の人がさすがにと彼女のお上品な言葉の刃を咎める。
「あら、私は王太子妃となる女。彼や貴方よりも高貴でしてよ。」
だが彼女は理知的だ。傲慢に驕りつつも論理的な話し方で全てを潰してくる。
「お言葉ですがアントワール王太子妃殿下、自分はこの眼鏡越しにか世界を見れないのです。戦場の古傷でしてね。」
「私は貴方の武勇の話をしているのではなく、礼儀の話をしているのですが…まぁ、許しましょう。」
「心より感謝致します(ヘルツリヒェン ダンク)、アントワール王太子妃殿下。」
こういう女に対して僕は好意的に思うし、これは僕が産まれ持った癖なんだと自覚している。だがそれはそれとして、男女関わらずこういう相手はやり辛い。
なぜなら理知的かつ合理的な皮肉屋は熱し辛い上に冷めにくく、熱したら熱したで面倒くさいのだ。その上に自己に対して不足を感じているから他人を求めて勝手に熱く…
辞めよう。まるで自己分析をしているみたいだ。こんなことをしていたらあいつが、評論家気取りの嫌味野郎が出てくる。
「ではアントワール王太子妃殿下、お手を取りください。私、フェルゼンが責任を持って天上如く高貴な貴方様をパリスにお届け致します。」
僕の手に彼女の手が触れる。小さくて温かい手。シャルロの手とは違って命があって、そして女性的な柔らかい手。
しかし僕はシャルロの冷たくてゴツゴツとした飾らない等身大の手のほうが好きだなにせあの手は…
ん、何を言ってるんだ?僕は。
「行かないのですか?」
今日の僕はなにかおかしい。まるで童貞みたいじゃないか、いや童貞なのはそうなのだがこう、気持ち悪くて、何より女々しくないか。
「すいません、少し考え事をしていました。行きましょう。」
あぁクソ、どこまでいっても僕は男なんだな。そういう感情は全てを果たした後にすると決めたはずだろうが。そうじゃなきゃ目的の意味がなくなる。なんの為のオーレン公だ、何の為の隔たり無き治癒魔法医師だ。全てはシャルロの為だろ。
だから無垢であれ、無色であれ、我欲を捨てろテルール。
彼女を馬車までエスコートする。ロココ様式の左右に広がったスカートはあまりに歩きにくそうだが、そこは流石高貴なるお方、優雅悠々と歩いてゆく。
馬車に乗ろうかとその時、右足に一瞬の重みがあった。
「あら、申し訳御座いません。わざとでなくってよ。」
彼女はヒールのトップリフト部分で僕の脚を小突くように踏んだ。
「でも、靴が汚れなくてよかった。」
そう言い残して馬車に乗った。僕も追いかけるようにして馬車に乗り込む。
「フェルゼン伯爵、貴方のことアクセルと呼んでも?長い名前は嫌いですの、私。」
不遜、というより良い性格をした女だ。何者をも恐れていない。生まれ仲間にして王族の精神を持っている。
「えぇ、アクセルと簡単にお呼びください。」
馬車は揺れ出して進む。
「ではアクセル、貴方は我が夫となるオーギュスト殿下とお会いしたことが?」
「えぇ、一度だけお会いしました。」
「どのようなお方でしたか?」
彼女は食い気味で僕からオーギュスト王太子殿下の情報を聞き出そうとする。
こういう所は年相応の少女なんだな。
「お静かで聡明なお方でしたよ。趣味は読書と錠前作り。たしか私とお話になられた時は聖審問会という名書をご覧になってらっしゃいました。」
意外だな、僕って人のことを紹介するの下手くそだったのか。
本当につまらない紹介をしたと思う。首を飛ばされても文句は言えないレベルで。
その証拠にマリア・アントワールも黙っている。
「…聖審問会ってどう言うお話ですの?」
僕が作ってしまった沈黙を彼女は打ち破る。
「飢饉によって人が人を食うような状況になるまでほったらかしにした主と、飢饉を解決できず民を不幸にした人の王の両名を神々の裁判によって裁くというお話です。」
正直言って少女が楽しめるような内容だとはとても思えない。なにせ聖審問会は星教批判と反去勢主義が根幹にある思想書だからな。興味深いとか面白いと思うことはあっても読んでて楽しいとはならないだろう。
「興味深い内容ですわね。」
彼女はただ短くそう返した。心の底からつまらないと思っている時の反応だ。
「私、思想書とかじゃなくてアロンソ・キハーノみたいな楽しい物語のほうが好きでしてよ。」
アロンソ・キハーノ、17世紀のベストセラーで今もなお世界で愛されている本。ドラゴンと風車を間違えて突撃する奴だ。
「えぇ、わかります。あの類は興味深いのですが胃もたれしてしまいますからね。私もアロンソ・キハーノのような話のほうが好みです。」
「少しジャンルが異なりますが若き青年の悩みなんかも好みですね。」
アロンソ・キハーノが道化話とすれば若き青年の悩みは悲恋の話だ。それも若者達が共感して自殺してしまう程の失恋の話である。
「あら!私この前その著作を拝見いたしましたよ、わざわざ神聖帝国から取り寄せて原文で読んだんですの!」
そこからの会話は時間を忘れる程には弾んだ。どうやら私と彼女の本の趣味はドンピシャだったらしい。
だがこんなことに為にオーレン公は僕と彼女を引き合わしたのか?いや、そんな訳が無いだろ。
「で巨大メロンをこの前呼んだんですの、それが噂に違わぬ大作で私途中からオルストリカ語翻訳では無く原文のローマニア語で…」
その時、空気を劈く銃声が響いた。
「何事だ!?」
オーギュタンがロベスピエールは生涯童貞でしたと言っていたので。
ドン・キホーテ
若きウェルテルの悩み
デカメロン
若きウェルテルの悩みに共感して若者が命を断ったというのは本当の話です




