オルストリカからの姫君、マリア・アントワール
屋敷の書斎にて、男は召使に身なりを整えさせていた。
男には上流階級の仕草や着こなしはよくわからなかったのだ。
今知ったのだが、軍服の肩についてるあの金色フサフサの名前はエポレットと言って、金色のチョロチョロした紐の方は飾緒と言うらしい。
「ボタンをお締めしますね。」
そしてその軍服を初めて着る男、テルールもといロベスピエールもといアクセル・フェルゼン伯爵、つまり僕だ。
しかしまぁ、軍服を着る日が来るなんて思わなかった。如何に僕の計画が破れかぶれで行き当たりばったりで杜撰で粗雑なのか理解させられるな。まぁ、良い方向に行っているのは確かだから別に良いんだけれども…
「ありがとう。」
全身鏡に映る僕は一見列記とした軍人に見えるが、張り子の虎だな。筋肉が鍛えられている訳でもなく、顔に軍人としての確固たる覚悟もない。
ただ、オールバックで背丈が高いだけのヒョロガリがままごと遊びをしているだけだな。
なにか厳つくなるものは…そうだ、あれをつけよう。
確かバチストは引き出しの3段目に入れてたよな…
あった。黒緑色の彩色ガラスの眼鏡。
僕はそれを掛けて再び全身鏡を見る。
さっきよりマシじゃないか。まるで歴戦の軍人だな。
「あの、テルール様、お貴族様に対して失礼になりませんか?ほぼ眼が見えませんよ。」
向こうからじゃほぼ見えないか、こりゃいいな。まるでサングラスだ。上流の奴らに顔を覚えられても仕方がないしフェルゼンとして活動する時は常につけていてもいいかもしれないな。
「大砲の光で弱視になったとでも言い訳しておく。」
召使は服につく埃を小箒で払い、僕の髪を細かく整える。
「正直私はテルール様が心配にございます。バチスト様でさえオーレン公には一度もお会いしたことなかったのに、貴方はオーレン公とお会いするばかりか個人的な関わりも持っていらっしゃる。」
「シャルロの受け売りか?その話は耳にタコができるほど聞いたぞ。」
「いえ、どうして今のままで居られないのかと思いまして。富もう富もうとするのは星教の教義に反するのではと。」
汝、強欲でなかれ。強欲の後に残るものは何一つありはしないのだから。
「現状維持は弱さの証だ。世界は弱さを許さない。」
しかし僕から言わせてみれば強欲こそ命の証しだ。教義や戒律で人を縛っても、人はどうしようもなく命なのだからな。
「それを驕りと言うんですよ、ってお嬢様は言うでしょうね。」
言うな、間違いなく。
「屋敷の者一同、貴方を慕っているんです。バチスト様が寝たきりになってしまって、路頭に迷うかと言う所をテルール様が纏めてくれましたから。」
随分と昔の話をしてくれる。あれは結果的にそうなっただけで僕の力ではないと言うのに。
むしろあなた方はシャルロに感謝するべきだ。シャルロがいなければこんな面倒臭いことしていない。
「卑怯だ。」
「すまない、もう行くよ。」
卑怯者どもめ。情の鎖で僕を縛って…と言いそうになったがこんなことを召使に言ってなにになる。使いを愚痴の捌け口にする主なんて主失格だ。
玄関を出て、庭を抜け、門扉の先には豪華な馬車。
「お、お待ちしてました。フェルゼン伯爵。」
随分と小柄な軍人だな。まるで女に見えるし、緊張で呂律がおかしくなっている。
「ムシュー、銃の先が震えているぞ。」
「も、申し訳ござんせぇ。」
緊張じゃない。これは訛だ、コルテ語の訛だ。
ある恵体の男が彼にこう叫ぶ。
「おい!ラパイヨネ(藁鼻)!貴様失礼であろう!この方をフィヨルド王国の伯爵と知ってのことか!」
彼は僕の従者という設定の男だ。オーレン公の回し者である。たしか名前はゲオルグ・ダールトンだった。
「良い、ダールトン。」
「こちらこそ、済まないな(Scusa)」
拙いコルテ語だが、彼のその顔をみるに伝わってはいるんだろう。
別に彼じゃなくてもいいのだが、軍人にツテは作っておきたいのだ。オーレン公を下す為、ではなくオーレン公に不要とされた時に己を保身する為に。
「さ、足元にお気を付け下さい、フェルゼン伯爵。」
僕とダールトンはその馬車に乗り込む。やはりと言うべきか、僕が乗った時にはあまり揺れなかったがダールトンが乗る時には馬車がだいぶ揺れた。
こういう恵体の男と関わる、自らの貧相さについて自覚させられるな。肉を硬いと言って食べなかったツケだな。
「ダールトン、先程のラパイヨネ、あれは渾名か?」
「はい。彼の上官曰く、コルテ島由来の変な名前でしたので音が近いラパイヨネと呼ばせていただいています、と 。」
「正式名称は?」
「ナポレオーネ・ブオナパルテだとか。」
やはり、か。根拠なき直感に見を任せるのは本当に愚かなことだが、奴は大物になる気がするな。今のうちに交友を交わしておこうか。これもやることリストに加える。
馬車は進み、やがてレイユ市の近くのバレンラという小さな町に辿り着く。アンス=イブリアと似た長閑な町。一軒家が当たり前の結構な田舎だ。しかしその田舎の町は今日だけ、重々しい雰囲気を纏っていた。
住民は家に閉じ込められ、オルストリカとラソレイユの兵隊が巡回をしている。
さて、僕の仕事はここからだ。僅かな国 王近衛兵を連れてマリア・アントワールをヴァルサイエーズまで移送する。
まぁ、仕事自体は楽だな。結局指揮するのは近衛兵隊長だろうし。
だからこそ、だ。僕が飾りとしている意味がわからない。一体何を考えている?オーレン公。
「フェルゼン伯爵閣下、マリア様は風車横の一軒家にいらっしゃいます。」
勲章と階級章からして近衛兵隊長か。
「了解した、コトデー隊長。」
渡された資料にはコトデー・マリー・バルバトスとあったな。オーレン公のサロンにもいた気がする。
彼に案内されその一軒家へと向かう。
案内された一軒家は信じられない程の豪華綺麗であり、まるでプチ・トリストス宮殿のようだった。さながらプチ=プチ・トリストス宮殿だ。半ヶ月留まるだけの家に中流のお貴族様の家みたいなのを建てるのか?
「お入りください。アントワール様がフェルゼン様をお待ちしております。」
オルストリカ軍人の訛強めのソレイユ語。聞き取りにくい訳では無いがオルストリカ軍人を初めて見たもので少し戸惑った。
「感謝する(ダンケ・ゼアー)」
僕は音の鳴らない新品の扉を開ける。すると目の前にはこの世にあり得ないくらいの美女がそこに居た。
広い額と大きな瞳、そして小さな口。肌は陶器のように、あるいは深い冬の雪のように白く、輝く金髪は艶やかな金木犀、ワイングラスのステムのように細いウエスト、男を惑わす豊満な…いや、いい。要するに彼女は…
「お待ちしておりました、フェルゼン伯爵。マリア・アントワールと申します。」
カワイイ!!
史実のマリー・アントワネットが優れた美貌をしていたかについては諸説あります。




