再出発(ルデマルレ)
1784年 5月10日。
最後の春風はセーヌ川に波を立てて去り、卯月はさようなら(オルヴォワール)と手を振った。
テルール=テルミドール・マクシミリアム、あるいはサン=ベルナール・ロベスピエールは今年で16歳である。
6フィートを超える程背丈は伸び、声は音太く、道行くパリスの町娘達をうっとりさせるような美男に育った。
まさしく眉目秀麗であり、その上あのオーレン大学を短期で卒業しているとなれば世間の女性は放って置かないだろう。
にも関わらず彼は未だに無垢であり、故に無色であった。
要は童貞である。
だから大学の女学生やパリスの娘達は噂した。サン=ベルナール・ロベスピエールはやんごとなきお方なのではないかと。
あのオーレン公の隠し子なのではないか?あるいはロイス15世の…
そんな根も葉もない噂に浮かされているのはパリス・ロイヤル宮殿も例外ではなかった
「いやぁまさかあの反逆人ロベスの子がこんなにも美しく育つとは思わなかった。正直、男の私でも見惚れてしまうよ。」
絢爛豪華な金色装飾、汚れすらない白の大理石の柱、ピアノやハープは優雅な音を奏でる。
「ローラン博士、僕はあの父の下ではなく、処刑人アンサングの家で育ったのです。」
エガリテ(平等)と僭称する者が聞いて呆れる。結局は野心溢れる貴族ではないか。
それならば愚者なりにもがいて思想に殉じた父の方がマシだ。
「そうかそうか!それで君はいつ嫁を娶るんだ?よければうちの娘を紹介したいのだが。」
さて、なぜ僕がこんな品性もない男と煮えくり返りそうな腸を我慢して会話しているのか。
それは僕の目的には魔法学の権威である彼の力が必要不可欠だからである。
「申し訳ありませんが、僕には心に決めた人が居ますので。」
僕は決めたのだ。全ての目的が達成させられるまで無垢のままであろうと神と己に誓ったのだ。
「あの堅物のロベスピエール君を射抜くなんて相当な女なんだろう、ははっ!!」
そうさ相当な女だ、僕にはもったいないくらいのな。
「申し訳ないがローラン博士。少しロベスピエール君を借りても宜しいか?」
「構いませんよオーレン公。もしや貴方も彼を娘婿に?」
オーレン公、僕の父を蜥蜴の尻尾切に使った貴族。だがもはやそんなことはどうでもいい。今は奴をからできる限りの便宜を引き出すことを…まったく、本当に血は争えないのだな。
「そうなれば我が娘もたいそう喜ぶだろうな。」
彼はこの部屋の角に移動し語り始めた。
「スポンサーの件だが私からの"仕事"を受けることを条件として受けてやろうと思ってな。」
僕の目的の為の第一段階、隔たり無き無償治癒魔法医師組合。それを果たすにはアンサングの金だけではとてもじゃないが足りない。その為にはオーレン公の潤沢な資金が必要なのだ。
「仕事とは?」
「オルストリカから来訪する少女の護衛をして欲しい。フィヨルド王国のアクセル・フェルゼン伯爵としてな。」
オルストリカ…近年ラソレイユと同盟を結ぶことになった国。たしかその証として我が国の王太子と彼の国の姫君が婚姻するんだとか。
となると少女の名はマリア・アントワールか。
かなりの大仕事だ。しかし、引くことは許されない。
「分かりました。スポンサーの件、まことに感謝申し上げます。」
彼と固く握手をした。僕の父を殺すと決定した彼の手と、僕の母を殺した僕の手が交わった。
「今後とも末永く頼むよ、テルール君。」
「えぇ、宜しくお願い致します、オーレン・エガリテ様。」
やがて今日のサロンも閉会し僕は家である、あの屋敷に戻った。
「おかえりなさいませ、テルール様。」
使用人は僕に頭を下げる。バチストがクモ膜下出血で倒れてしまってからは僕が屋敷、引いてはラソレイユ160の処刑人の裏のまとめ役となった。
「あ、おかえり。」
大広間の階段上から彼女が手迎える。彼女はここ5年でさらに美しく成長したと思う。昔、私は彼女を解語の花と評したがもはや僕のボキャブラリーでは彼女の美貌を表現できない。
「ただいま。書類は終わらしといたから後で目を通してくれ。」
またシャルロは正式にムッシュ・ド・ソレイユ及びテルル・ド・ヴァルサイエーズに就任した。
「うん、わかってるよ。それはそれとして私に言う事あるよね?」
「そう、だな。わかってる、別日に予定をいれるよ。でも今月は厳しいかな。」
前々から時間が空いたら狩猟に行こうと約束していたが、僕が忙しすぎて何回かすっぽかしてしまっていた。これについては本当に申し訳なく。しかしこれからも処刑人組合やら治癒魔法医師の件やらその他諸々で忙しくなりそうなので彼女には苦労をかけてしまうな。
「また?別にいいんだけどさ、危ない事はしないでね?」
「わかってる。絶対に危ないことはしないし、危なくなったらすぐに逃げるよ。」
僕は階段を上り彼女の横に立った。昔は彼女が1歳歳上ということもあって身長が並んでいたが、今はもう追い越してしまい、横に立つと彼女の顔は殆ど見えない。
「今日も行くの?」
「うん。大事なことだからね、僕にとっても彼女らにとっても。」
晩飯を食べ、糞尿避けの為に黒のコートとハット、そしてヒールを履く。
そして屋敷の馬車を使い夜のパリスに戻り、街中のあるアパートの前で泊めた。
すると近くから2つの人影が近づく。僕の仕事仲間だ。
「ロベスピエール、今日も宜しくお願いね。」
白髮の白濁色の眼をしたアルビノの女、ルイ・イトワール・ルナ=ジャスティカ。
彼女は売春街で産まれて、ある日自分買った相手を刺し殺した。そして証拠隠滅の為に男をバラバラにして犬に食わせたり、あろうことか売り捌いたという経歴を持っている。
正直僕は彼女のことを軽く軽蔑しているが、それはそれとして治癒魔法医師として雇うことにした。
「先生、こんばんは。今夜の患者は12区のシャトロイヤ通り、Bアパートです。」
こっちは元新聞記者のジョナサン・ポール。反政府的な内容の新聞を発行し逮捕された。その後刑期満了にて釈放されたが、就ける職が無かったので死体漁りをして生計を立てていたらしい。そして僕が雇った。
「直ぐに向かおう。」
彼らの共通点、それは人体の理解にある。彼らは僕やシャルロと同じように、心臓が筋肉質でガッチリとした触り心地で小腸が海鼠のようにブヨブヨとしているという事を知識ではなく感覚で理解している。
それは治癒魔法において大きなアドバンテージとなるのだ。
僕らは馬を走らせ患者の元に向かった。




