テルール=テルミドール
目が覚めた時、僕はあのコテージの寝室で寝ていた。
「おはようテルール」
昨日のことを頭の中で整理する。僕は昨日、真夜中に海に飛び込んで森の中を彷徨った。そして血を吐いてその匂いに釣られた野犬が僕を襲おうとした時、シャルロには助けてもらった。その後に僕は倒れて今ここで寝ていると言う訳だ。
「シャルロ、僕が丸2日歩いて街の方に行けると思うか?」
「無理。貴方の体力的に絶対に不可能だよ」
体力的に不可能か、じゃあ僕は完全に詰んだのか。つまり僕はここで終わり、このコテージでただ朽ちて死んでいくだけか。
「そうか、そうなんだな。つまりサン=ベルナール・ロベスピエールは完全に死んだ訳だな」
身体を起こして水を飲む。口と喉に残った鉄の味を洗い落とす。
「彼は世界にとっても君にとっても意味のあった男だったと思う。でも君は彼を望んでいなかったんだよな」
「そうだね。私はむしろサン=ベルナール・ロベスピエールのことは嫌いだよ。彼はテルールを私から奪って、それでテルールを損なうだけの存在でしかなかった。」
「何より、さ。私は処刑人やるのは嫌だし、私の子供が処刑人になのも嫌だった。でもそれよりも貴方と居られなくなるのが嫌だったんだよ」
そうであるのならば、サン=ベルナール・ロベスピエールの存在は彼女にとってなんでもない存在だった訳か。
「そうか、そうなのか」
「なぁ、シャルロ。もし僕が駈落ちしようって言ってたら、君は駈落ちしてくれたか?」
「もちろん、絶対に」
彼女は僕の問いに即答した。多分、考えるまでもなかったんだろう。
「そりゃ、ははっ」
僕のなんとも言えない反応を聞いた後、彼女は部屋から出て行った。
「僕は最初の僕を裏切ったんだな、僕はずっと僕に負けてばかりだ」
やっとわかった。なんで僕が誰かに必要とされたいと願ってしまったのか。僕は誰かに必要とされることで、自分の内面を直視することから逃れようとしていたんだ。
あぁそうか、だからか。だから僕はシャルロと駈落ちできなかったのか。シャルロは生真面目だから駈落ちしてくれないと言って、誤魔化していたが、本当はシャルロと面と向かって向き合うことで自分の内面の醜さを知るのが嫌だったんだ。
「臆病者なんだな、俺って…」
これが僕の、俺の内面なのか。俺はこの醜さを知るのが自殺するよりも嫌だったんだ。俺は、臆病者なんだ、俺は自分が傷つくことを極限まで恐れている。その結果俺は自分が傷つくのが嫌だから革命と大戦争という形で世界の人々を傷つけて救ったんだ。
「あぁ、そうか。僕は僕自身の内面を冷笑することができなかった。それがこの結末の本質じゃないか、僕が自分自身の醜さを笑い飛ばせるような性分だったら僕はもっと上手く、いや、少なくとも僕と僕の周りは幸せにできたかもしれない」
悔やんでも仕方がない、もう後戻りはできない。僕の身体は反省をしてこれからを生きるには脆過ぎる。
わかっているのになんでこんなに涙が溢れるんだ。僕は後悔しないって、言ったじゃないか。
あぁ、醜いな、僕は。
「僕は、バカだ」
その時、寝室の扉が開いてパンと目玉焼きをトレーに乗せたシャルロが入ってきた。
「ずっと言ってたよね、テルールは馬鹿だって」
「そうだったな、やっと自分でも気付けたよ。僕は馬鹿だ、大馬鹿者だ」
机の上に置かれた目玉焼きを手に取って食べる。カリッとしていてどうも美味しい。何より出来立てだから熱い油が乗っていて舌によく味が伝わる。
「何かを成そうとして僕は成した。完全とは言えないが、偉大なる事をしたと信じている。でも僕の手元には、僕の中には何一つ残るものはなかった」
割れた目玉焼きが溢れて白分の手に掛かる。少し熱くてベトベトして、不愉快だ。でも面白いじゃないか、僕の手に残ったのはこの目玉焼きの崩れた黄身だけだ。
「本当に馬鹿だね、私は今でも貴方の事を愛している。だから最低でも私は居るでしょ?」
黄身が手を伝って手首に落ちる。僕はそれをハンカチで拭いて綺麗にする。
「…君に愛してると言った時の僕はもう居ない。今の僕はあの時の強さを持っていないんだ。だから…」
彼女は僕の話を遮って話し始めた。
「だから他の人を愛してほしいって言うの?これで何回目なの?私は貴方じゃなくちゃ嫌なの」
「違うんだ、違うんだよ、シャルロ。僕はこう言いたいんだ、君の愛したテルールは居ないんだって。ここに居るのは、そうだな、残骸なんだよ。強がることが取り柄だったテルールという人間の残骸だ。自分が傷つきたくないからって全部を傷つける様な剥き出しの醜さを持った独り善がりの臆病者なんだ、だから君はそれをわかって、わかってくれ。そして俺から離れて、どうか幸せになって欲しいんだ。僕はもう一生不幸でもいいから…」
自分でも何を言ったのかよくわからない。でも、これが僕の本心だと思う。
「やだよ、それじゃ貴方は一生不幸なままだよ、私もね」
「それにさ、私は今の貴方好きだよ。いつもはカッコつけようとしてるけどさ、今の貴方は違う。やっと本音で話してくれるようになったんだねって思う。だから残骸なんて言わないんでよ、貴方はテルール、テルールそのものだよ」
彼女はただ僕をまっすぐ見つめてくれた。僕はその光景に心が救われた様な気がした。そして再び涙が溢れた。
「あぁ、あぁ。君は僕のこの醜さを笑わないのか」
「別に貴方の本音なんて何も面白くないでしょ。だって臆病なのは私もうそうだもん」
「私だってさ、怖かったんだよ。貴方に拒絶されるのが怖くって、だから貴方を止めることはできなかったんだ。それでさ、貴方の前で気丈に振る舞って気障なこと言って、貴方の事を馬鹿って言ってだけど、私だって馬鹿だったんだよ」
あぁ、僕たちはお互い様だったのか。なら、もう躊躇うことはないだろう。
食べかけのパンを皿に戻してベッドから立ち上がり、僕は彼女を抱き締めた。
「僕達は馬鹿だ、お互い素直になれたなら、きっと…なぁ、シャルロ、今からでも遅くないかな」
「うん、きっと遅くないよ」
俺はあの人の子なんだな。俺は愛する人にすら素直になれなくて取り繕ってしまったんだ。だからもう、僕って言って取り繕うのは辞めにしよう。




