サン=ベルナール・ロベスピエールの処刑
116 サン=ベルナール・ロベスピエールの処刑
「野犬を追い払ってくれたのか、ありがとう。それと教えてくれ、貴方はシャルロ・アンリ・アンサングか?」
僕は目の前のシャルロに聞いた。僕は僕の脳味噌を信頼してない。だからこの目の前のシャルロがシャルロだと確信できなかった。
「私がシャルロ以外の何見えるのさ」
「僕は貴方がシャルロにしか見えない、それは僕の脳味噌がおかしいせいだ。だから答えてくれ、貴方はシャルロ・アンリ・アンサングか?」
彼女は一瞬だけ寂しそうな表情を浮かべこう答えた。
「…この辺にはさ、ヤブノウサギが住んでるんだ。何でか知ってる?」
彼女の顔が月光に照らされてはっきりと見える。僕の心臓はそれに見惚れてうるさくなった。
「狩猟用に持ち込んだ種が大繁殖したたんだろ。僕らの父親はそう言っていた」
彼女は僕を、この血だらけで泥だらけの僕を抱き締めた。心臓が更にうるさくなる。でもいつもの激痛は無いし、むしろそのリズムを心地いいと感じてしまっている。多分、僕は心の底から嬉しいんだろう。もう彼女とは二度と会えないと思っていた。
「なぁシャルロ、手伝ってくれ。僕はパリスに行かなくちゃならないんだ」
彼女は抱擁を解いて少し歩き、そして剣を抜いた。剣先の平たい処刑人の剣に光が反射して眩しさを感じる。
「私はそれを容認できない。だって私は貴方の看護師として雇われたからね」
「じゃあ退いてくれ、僕は一人で行くから」
彼女の横を通り過ぎようとした時、その剣先の平たい剣先の腹は僕の首元にあった。
「私は看護師であるから患者の安全配慮の義務に従い貴方がパリスに行くことを制限しなくちゃならない」
「患者?面白い事を言うな。確かに僕は病気かもしれない。でも、病状について診断されている訳ではない。よって君は僕の如何なる移動を妨げることはできない」
彼女は少し笑って答えた。
「シャルロ・アンリ・アンサングはアンサング家の長女。よって私はラソレイユより正式に認められた医師だよ。そして私は今、私は貴方を転移性腫瘍病(長老殺し)と診断した」
「君は法務省の定める所の医師国家試験に合格していない。よって君の免許と医籍は停止されている。だから君は医師ではない」
「バカだね。特別処置としてアンサング及びその系譜にあたる処刑人の医師は精錬された医療技術を特別認め医師国家試験を免除とする、これを定めたのは貴方でしょ?私が食いっぱぐれないようにってさ」
やっぱりシャルロには勝てないな。でも、僕はやらなくちゃならないから。
「なら今すぐパリスに行ってその処置を取り消してくる。君は看護師だから食いっぱぐれないだろ」
剣を退かして一歩踏み締めようとした時、心臓と肺が悲鳴を上げた。
「ぐっ!こんな、こんな時に…」
地面に伏して血を吐く。心臓の痛みが止まらない。彼女は剣を地面に捨てて僕に寄り添う。
「比較的海が暖かくて外も湿度があるって思って水に飛び込んだんでしょう?逃げる時に必要だったからとかってさ。確かにテルール、貴方は正しい。普通の人なら低体温症のリスクは低かった。でも、貴方の身体じゃ無理だ。これが貴方の身体の限界だから」
滝のように血が噴き出して、彼女の服も僕の服を汚してゆく。
「しゃれろ、シャルロ、僕は行かなくちゃならない」
血が垂れ続ける僕の顔を彼女はビンタした。水に浸かったせいだろうか、ジンジンとした頬の痛みが肺の心臓の痛みをほんの少しだけ誤魔化してくれる。
「黙って!」
彼女は自らの服で僕の口元を拭いた。
「…息が上がったせいで傷口が開いたんだね。ここで少し休まなきゃ、身体も乾かさなきゃだし」
彼女は木の枝を一ヶ所に集める。貧血からだろうか、僕は立ちあがろうとしたのに立ち上がれなかった。
「火よ(フュー)」
木の枝は燃え始め、僕の身体を暖める。チリチリと一定の周期で鳴る音は僕の心を落ち着かせて眠気を誘った。
「一旦寝てもいいよ。貴方の身体は私が魔法で暖めておくからさ」
「ダメだ、僕は…」
「寝て、そして何もしないで」
「嫌だよシャルロ」
「今の貴方にはもう何もできない。精神とかじゃなくて、肉体的な面で動けないからね」
僕の肉体は僕の精神を裏切って瞼を閉じた。
「…私は貴方の看護師、でもそれとは別に貴方をパリスに行かせちゃならない理由がある。それはね、テルール」
返事をすることすらできない。指一本すら動かせない、酷く眠くて、もう次の瞬間には意識を失ってしまいそうだ。
「私は第四代ムッシュ・ド・ソレイユ。もうその名前は法律上消えたけど、サン=ベルナール・ロベスピエールの処刑は私がやらなくちゃならない。だから私は処刑人として彼を殺す。そして貴方はただのテルールになるんだよ」
僕は彼女の声を聞きながら深い眠りに落ちた。




