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脱走


 ロールキャベツを食べ終えた。僕好みの柔らかくて汁たっぷりのロールキャベツだった。


 「風呂を沸かしておいてくれ、少し作業をしてくる。あぁあと、美味しかったよロールキャベツ。僕はああいうのが一番好きなんだ」


 再び書斎に戻り、イーゼルに立てられた白紙のキャンバスを指でなぞる。ざらついていて乾いていて、大方僕の想定通りになっている。


 「ホットココアをお作りしましょうか?」


 「いや、いい。実はホットココアは嫌いなんだ」


 彼は不思議そうな顔をした。無理もない、昨日砂糖たっぷりのホットココア頼んできた相手が明日にはこれだ。だから僕は彼に理由を説明する義務があるだろう。


 「あのホットココアはある人が好きだったから頼んだんだ。でも口には合わなかった。多分、僕は水以外の飲み物は好きになれないんだろう」


 「それはお酒とかもですか?」


 酒か、確かに僕は酒が嫌いだ。だって酒は本音を暴いてしまう。だから嫌いなんだ。僕は僕のこの醜い本音というものをはっきりと認識したくない。


 「そうだね、お酒は嫌いだよ。僕下戸だからね」


 「…結構子供っぽいんですね」


 「僕のプライベートな部分を知った人はみんなそう言うよ」


 さて、彼と話ている内に仕込みは済んだ。風呂場に向かおう。


 「そろそろ風呂が沸いた頃だろう。君たちも後で入っておけよ、この辺は海が近くて湿気も暑さもあるから毎日は入らないと身体が臭くなる」


 風呂場につき鏡を見る。


 「なんて顔だよ」


 ここ数日規則正しい生活をしてきたからだろう。目元の隈は消え健康的な顔をしている。


 「ぬるま湯に浸かって何になる」


 服を着たまま浴室に向かって浴室の窓を開ける。ポケットからさっき持ち出したヘラとチューブを取り出す。チューブを柵のネジ部分に近づけ、ネジに中身の油絵用の溶き油をかける。正直これが潤滑油代わりになるのかはわからないが、念の為だ。


 「やはり僕は運がいい」


 ヘラを使ってネジを回す。すんなりと回せれば良かったのが、そう上手くはいかなかった。


 「錆びている」


 ネジを無理やり回して柵を外す。窓に乗り上げて着地点たる海を見下ろす。


 「いい所だったな」


 水に向かって落ちて行く。バシャンと音を立てて自分の身体が沈んでいく。冷たさが肉体を包んで僕と言う存在を溶かして行くように感じる。地面に足がつき、一気に生の方向に感覚が揺り戻される。身体を起こした時水面はちょうど口に入るくらいで、塩辛さに味覚が支配される。

 震える肉体で水を掻き分け岸へ急ぐ。辿り着いた時、僕の身体は酷く凍えていた。気候が気候といえどやっぱり冬なのである。


 「寒い…」


 火の魔法の光で追跡されてしまっては元も子もないので、少なくとも2時間は使えないな。

 僕は濡れたままの体で一歩一歩歩く。10分ほど歩いた時、身体の震えは無くなっていた。


 「くそ、ゲホッ…」


 口に手を当てた時、手に温かい感触があるのがわかる。血を吐いたんだろう。


 「うっ…ゲホッ、ゲホッ…」


 急に胸が痛くなり蹲る。ゲロを吐くように大量の血を吐いた。肺が痛い、心臓も頭も全部痛い。でもこの血は温かい。まさか自分の血で暖をとる日がくるなんて思いもしなかった。でもここで蹲ってても何にもならない。先を急ごう。

 それから10分ほど経った時、ある違和感を覚える。誰かにつけられてる気がするんだ。しかもそれはおそらく人ではない。

 横の草むらが揺れた。今、風は吹いていなかった。


 「出てこいよ」


 僕は歩くのを辞めて立ち止まってみる。すると草むらの中から黒い何かが4匹ほど出てきた。野犬である。

 もう仕方がない、石を拾って魔法を使う準備する。

 野犬達は低い唸り声を上げながら涎を垂らして僕を睨みつける。


 「辞めた、意味がないな」


 僕は石を落とした。ここで魔法を使えば追跡されるし、何より野犬に勝つビジョンが僕には見えなかった。だって僕は今までケンカで一度も勝ったことがなかったじゃないか。国王の時だってラパイヨーネの時だって。いつも僕が一方的に殴られて終わりだった。だから野犬4匹に勝つなんて僕にはできない。

 野犬の群れは僕に吠えた。奴らは今にも僕を噛み殺して腹を満たそうとしている。


 「ある意味、面白いかもな」


 ここまでやって、最後がこれか。どうやら僕の最後は野犬の餌で終わりみたいだ。惨めだ、でも相応しいかもしれない。だって僕がここで野犬に食われて死んだらどうなる?少なくとも噂程度にはなる筈だ。でもタレイラーやラパイヨーネはこの噂を否定する。だって自身に不利になるのだから。つまり僕が野犬に食われて死ぬことには何の意味もない。だから相応しいんだ。

 世界を変えようとして中途半端にしか変えれなかった男に対する相応しい報いだ。


 「食えよ、きっと君たちには意味があるだろうからな」


 僕にとっても世界にとっても意味がない。でもこの野犬が僕を食うことには意味がある。だって僕を食えば少なくともこの野犬は腹を満たせるじゃないか。

 あぁそうか、これが他人を愛すると言うことなのか。

 僕はシャルロの為と言って、人々の為と言って身分制度を解体したし死刑制度を廃止にもした。でも肝心の彼女はそれを望んでいただろうか、人々はそれを望んでいたのか。

 シャルロは僕がいればそれでいいって言っていたし、人々だって食が提供されればそれでいいと思っていた。だから身分制度を解体すること自体に意味こそあれど、それを真に望んでいる人というのは少なかった筈だ。

 でも今は違う。この野犬は僕の肉を求めていて、僕はこの野犬に全てを差し出そうとしている。これこそが他人を愛するという言葉の意味なんだろう。


 「ごめんね、シャルロ」


 野犬が僕に襲いかかる。僕は目を瞑った。しかし痛みはこない。僕はその異様さを不審に思って目を開けた。


 「ごめんってなにさ」


 そこに居たのはシャルロだった。

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