渚の一軒家
113 渚の一軒家
漣の音が聞こえる。僕はただ、海辺に建てられたコテージのベランダで椅子に座っている。どうしてこうなったのか、どこで間違えたのか、どうすればよかったのか、そしてどうすればここから逆転できるのか。
まずどうしてこうなったのか、それは僕の病故だろう、僕が病気でなければラパイヨーネやタレイラーがつけあがる隙なんてなかった。
次にどこで間違ったのか、これは紛れもなく議会を解体してしまったことだろう。でもこれは必要なことだった。議会を解体しなければタレイラーが力をつけて今度はタレイラーに僕の地位が脅かされることになっていただろう。ジョシュア・ラモーヌの時のように。
どうすればよかったのか、多分僕はリスクを承知で本格的な世界征服をするべきだった。アルビオンとの世界分割ではなく、ラソレイユ単独による世界征服を。そうすればラパイヨーネが裏切ることはなかっただろう。しかし、それでもだ。僕と言う象徴がないままラソレイユが世界征服をできるのか、あるいはラパイヨーネがどこかでラソレイユの限界を超えてしまうのではないかという懸念があったんだ。だからどうすればよかったのか、これだけはわからない。
どうすればいいのか、まず僕は奇跡を起こした男だ。これはあの処刑だけでなく、三部会に大戦争にと、度重なる奇跡を起こして進んできた。だから僕にはその奇跡の残光が実績という形で残っている。つまり僕が一声出せばこの状況なんてひっくり返る。だから最もたる問題はここで僕が奇跡を起こして責任を取れるのかという問題だが、これが難しい。だってパリスに戻って僕がやるべきことは沢山ある、あの爆弾の方針を決定すること、千年後を見越した(ミレニアム)三位一体のユーロ改造論を完結させること、これを一年以内、悪ければ半年でやらなければならない。正直僕にはこれをやる自信が無いし、何より怖いんだ。もう正しいと言って、自分には権利があると言って誤魔化しに人を殺すのは嫌なんだ。
「甘えるなよ」
こんな恐ろしさ、ずっと感じていたことだ。たまたまコテージで一人きりになって一人の時間が増えてセンチになっただけだろ?きっとやるべきことはずっと変わっていない。だから僕はここから脱出するべきだ。
しかし現実としてどう脱出する?常に三人近くに見張れている状況、そして街までは丸2日かかる。さて、どうしたものか。
「すまない、ホットココアを頼む」
大統領は体調を著しく崩し、政務も儘ならぬ状態であり別荘で療養中、その体をとっているからこのコテージにおいては僕は比較的自由で、しかも使用人も付けられている。それでこの使用人というのが見張りの三人だ。
「畏まりました、すぐに用意致します」
「砂糖は多めで頼むよ」
さて、どう脱出するか。まず正面玄関は論外だな、例え真夜中に忍足で抜け出そうとしても鍵が掛かっているのが明白だ。でも真夜中に脱出はありだ。では場所は?できるだけ僕が一人で居る時間が長くなる場所が良い、つまり風呂だ。風呂場の窓の下は確か海だったはずだ。真夜中に風呂場の窓を開けて海に飛び込んで逃げる。低体温症が怖いがマルサイエーズの気候はマレ・ノストルム海性気候、冬でも暖かく多湿、そうであれば多少海に入るくらいで死にはしないだろう。
「ホットココアで御座います」
でも風呂場からの脱出には問題がある。自殺防止だかなんだか知らないが、風呂場には鉄柵が設けられておりこれを外さないと脱出できない。
「ありがとう」
ホットココアを啜り身体を暖める。しかしこんなに身体が休まっているのはいつ以来だろう。大戦争前、いや革命前、もっと前だな、オーレン大生時代よりももっと前、10歳くらい、ヤブノウサギを狩るために野原を駆け回っていた頃だな。そうか、そう思うともう10年前でそして僕も20歳か。
…僕は20そこらで死ぬのか?後悔はないが、まだやってみたいこととか色々あった。いや、待てよ、僕のやってみたいこと?僕って何をやってみたいんだ?思想とかじゃなくて、純粋に自分の楽しめることって…
「空っぽなんだな、僕」
何か考えておこうか、全部がダメになった時のために。
「なぁ、画材とか筆とかって調達できないか?油絵がいいな」
「はい、すぐに手配致します」
今度は味わってココアを飲んでみる。シャルロが好きだからと言うので飲んでみたが、なんだかあまり美味しくない。真夏に3時間放置したホワイトチョコレートって感じで何か気持ちが悪い。
しかし僕のこの捻くれた舌ベロとは裏腹に身体は正直だ。血糖値が上がって眠くなってくる。こんな状況で贅沢だが、このまま潮風の中で居眠りというのもいいかもな。
「少し眠るから、風呂でも沸かしておいてくれよ」
皮肉にも僕の人生において一番我儘だった瞬間というのはここなのかもしれない。だってココアを作れと頼んで絵を描きたいから道具をくれとせがんで風呂を沸かしておいてと頼む、それでいて自分は昼寝なんだから、まるで子供のようだ。
その日、僕は潮くさい肉体をよく洗って床に就いた。柔らかくお日様の匂いがする羽毛布団によく温められて、僕の肉体は深くマットレスに沈んだ。




