サン=ベルナール・ロベスピエールの百日天下
実月10日、首相官邸の執務室にて。
僕の目の前には椅子に縛られた男とその横に立つ青年がいる。
「ジョシュア・ラモーヌ、君についての処分を伝える」
椅子に縛られた男、謀反を企てたジョシュア・ラモーヌである。
「酷い怯えようだな。タレイラー、この男の汗を拭いてやれ」
横に立っていた青年、外相ドラクロワ・ド・タレイラーはハンカチを取り出しその男の額を拭いた。
「さて、ジョシュア・ラモーヌ国会議長、いや、ジョシュア・ラモーヌ元国民公会議長。僕は君の考えがわかるよ。君は分かり易いからね、それ故に君は優れている訳であり、君は自分の命が失われることではなく、自分を支持してくれた人に対して謝罪できないことを、そして自分を支持してくれた人に対して、自分が何ら還元できなくなることを恐れているんだろう」
汚濁を飲み込んで肥やした腹。その腹の黒さは確かに悪だ。しかし完全に悪であるのならば、ジョシュア・ラモーヌは商人をやるべきだった。だって彼には人を騙す小狡さを持っていたしそれを成すだけ老獪さも持っていた。ただ、悪に徹し切れる非情さもなかった上に自分なりの正義も持っていた。だから政治家をやってるんだろう。それも一流の。故に彼も僕と同じく、自分の命よりも支えてくれた他人に対する申し訳なさの方が勝っているはずだ。
「だから君を国外追放処分とする。他国から指を咥えて変わりゆくラソレイユを眺めていろ、これが僕が与える君への報いだ」
男は何も言えず、下を見るしかなかった。
「貴方達二人はクラバット巻いた糞だ」
僕は立ち上がり青年を見下ろす。彼の身長はそれほど高くはなく、顔もどちらかと言えば童顔寄りだ。なのにこうも威圧感を感じるのは本人の言い回しと度胸、そして生まれ持った気質故だろう。
「自分を棚に上げるなよ、タレイラー。僕らがクラバットを巻いた糞なら、君はクラバットを巻いてパルファムをぶっかけた糞だ。しかもそれでいてオーデコロン並みの頻度で吹き付けるから、臭いがきつくてたまらない」
「さて、じゃあ僕はラパイヨーネに用があるからその男は君に任せたよ」
僕は執務室を出て後、首相官邸を退廷して陸軍参謀本部に向かった。
「お待ちしておりました大統領閣下」
門前の兵士が僕に敬礼をする。僕は小さく手を挙げてから彼らを一瞥する。
「案内頼むよ」
彼らに案内され、たどり着いたのは劇場の二階である。
「相変わらずここは変わらないな、ラパイヨーネ」
オーレン公の居城であったパリス・ロイヤル宮殿は陸軍参謀本部となって様変わりした。金の装飾や絵画は取り払われ、それらは地図と駒に変わったのである。しかし、この劇場の二階だけはあまり変わらない。劇場の床にびっしり地図が貼られている以外は。
「私は故人の趣味を取り上げるほど冷血漢ではないので」
オーレン公と話したあの時のように彼と向かい合って座る。
「あれを持ってきてくれ」
彼は部下に命令をし、しばらくして昼食が出される。
「これはなんだ?」
木の皿の上に四角く成形された米の上にエビやマグロ等の切り身が乗っている。そしてこの小皿の中に入ってる黒いソースと緑の物体、これはどうやって食べるのが正解なのだろうか
「アルビオンと分割統治される予定になってる島国の料理ですね。スシという名前です」
妙に馴染みを感じる響きだ。しかしこれ、正直言ってあまり美味そうには見えない。オーレン公が出してくれたムガルの料理の方がずっと美味しそうだ。
「なら、食ってみるか」
エビを選び、その黒いソースに漬けて飛べてみる。食器がないから指で食べるので正解だと思ったが、間違いかもしれない。魚特有の油分が手に残る。だからこう、挟むような食器、箸というやつか、それを使いたいなと思ってしまう。
「美味いじゃないか。特にこのソースは他の食品にも使えそうだ」
口には出さないが、正直この刺身が美味いというよりもソースが美味いんじゃないかと思う。
「オーギュスト14世陛下が絶賛なされた調味料とのことですよ。ソイソースだとか」
「ではこの緑色の奴はどうかな」
緑色の物体、おそらく野菜や果物をすり潰したようなのだろうか、それこそケチャップが一番近いだろう。ともかく、今度はこれをマグロに付けて食べてみる。
口の中になんとも言えない不愉快な感覚が広がる。辛い、と言うよりも単なる苦痛のように感じる。
「うわ、僕は好かないな、これ。まるで薬草を喰んでるような気分だ」
「ワサビと言うらしいですよ。私もあまり好きではありません」
「なるほどな」
着々と食べ、やがて卵が乗ったものにたどり着く。僕はそれを口に含む。ほんのり甘い静かな味が口広がる。今まで食べた中で一番美味い。マグロやエビ、イカと比べても数段美味い。しかし冷めているのが残念だ。暖かったらきっと美味しいのに。
「上に小さなステークスアッシェを乗っけたらいい感じに美味いのが作れそうだな」
「今度料理人に作らせてみましょうか」
互いに飯を食い終わり、口を拭く。互いに睨むような目が合ったので、僕は質問をした。
「今日はやけに素直じゃないかラパイヨーネ」
「でしょうね。だって私は負けたんです、オーレン公との賭けに」
「そうか、賭けの内容については知らないし知ろうとも思わないが、君がそう素直になるのならば相当自信があった賭けなんだろう」
緑色のお茶を飲んで彼は答える。
「はい。貴方は私か、それかジョシュア・ラモーヌのような凡人に打ち負かされると思っていた。でも貴方はあの一瞬、自らが終わろうとする一瞬、その土壇場においてかつての煌めきを取り戻し、貴方自身が受けるべきであった報いを跳ね除けたのです」
「そうだな。あれは天才的な閃きだったと思うよ、自分でもね。そして君の言うように僕は勝った。熱月9日を乗り切ったんだ。
だから言わせてくれよ、ラパイヨーネ。僕の勝ちだ。君の予想は全て外れて、僕は唯一勝者になった。もう僕を阻むものはいない。議会は停止させたしアルビオンだって黙らせた。そして君も僕の指示に従わずを得ないし、タレイラーも議会が停止されて派閥を作れない。はっきり言って、僕の完全勝利だ」
「そうですね。しかし貴方が敗れると言うことは確定で御座います」
負け犬の遠吠え、と言うよりは冷静すぎる言葉。僕はそれを不思議に思い、あるいは僕本人の悪癖によるものかもしれない。ともかく、僕は彼に聞いた。
「誰に負けると言うんだ?この状況で」
「それはもう過去に伝えましたよ」
過去…ラパイヨーネは下したしタレイラーは派閥を作れなくなった以上勝負の土俵にすら上がれない。ジョシュア・ラモーヌも再起不能。ならラパイヨーネがもう一度挑戦してくると言うのか?
「だとしたら愚かだと言わせて貰おう。ラパイヨーネ、貴様の打てる手はない。あったとしても相討ちとなるだけだし、相討ちを受け入れるほどの体力は今のラソレイユには無い」
彼はその後喋らなかった。




