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怪物の帰還



 顔に落ちる水滴で僕は目覚めた。石造りの壁に藁のベット、そしてこの鉄格子。そうか、ここはラ・ファルトレス要塞だ。


 「おはよ、先生」


 「あぁ、ルナか。どうなった?」


 「今日死刑だってさ。革命裁判所で決められたみたい。私たち最後の死刑囚だって」


 革命裁判所は僕が気に入らないと感じた人物に対して反革命的とレッテルを貼って即刻処刑する為に設立した機関だ。その革命裁判所が僕に対して死刑判決を出した。まこと皮肉である。


 「そうか、くそ」


 藁のベットに向かって拳を振り下ろす。本当は壁を殴るつもりだったが、左足の怪我で立てなかったのである。


 「読み違えたな、完全に」


 僕を下したやつが次の大統領だ。つまり次の大統領になるなら僕を下すことが手っ取り早い。だからタレイラーが大統領になりたいと野心を燃やしていたならば、僕を下しに来るのはもう少し後になると思っていた。ここが間違っていたんだ。


 「タレイラーは大統領になる気なんてなかった。僕は昔の僕を彼に重ねて、それに気付けなかった。なんて間抜けなんだ」


 ルナの言うとおりタレイラーは金儲け好きだった。それは僕や彼女が思っていたよりそうだったし、昔の僕に似てなんかいなかった。彼が僕の思考を読んで似せたという可能性もあるが、考えても意味がないな。


 「…やけに冷静だね。処刑されるって言うのに」


 僕よりも冷静で、いつもと変わらない面の彼女が僕にそう言った。


 「そうだな、自分でも驚いているよ。でもわからないんだ。この冷静さが、僕の性格による物なのか、はたまた、ここから逆転できる一縷の希望を見出してしまったからかもしれない」


 今日が熱月(テルミドール)の10日、つまり僕の誕生日である7月28日であること、ジョシュア達が僕の逮捕から即刻処刑を選択したこと、何より僕が最後の処刑者であること。これらを加味すれば、賭ける価値のある賭けができる。


 「そう、で。その方法には何が必要なの」

 

 一度天井を見る。そして三粒ほどの水滴が落ちてから僕は答えた。


 「一度しか言わない。ルナ、僕の為に死んでくれ」


 彼女の濁った瞳には何も映らなかった。


 「いいよ、その代わりキスして」


 躊躇うことはなく、ゆっくりと彼女の唇にキスをした。僕は最後の最後まで、彼女を本当の意味で救うことは出来なかった。


 「私ね、あの路地裏で生きてて、梅毒になって15歳くらいで死ぬんだろうなって思ってた。でも先生のおかげでそうはならなかったし、夢まで見せてくれた。だから救われたんだ、私はね。こんな薄っぺらな言葉しか出ないけど、事実だから。だから先生、あまり気負わないでね」


 彼女は救われたと言ってくれているが、違うんだ。


 「僕は最初、君の過去を聞いて君を不憫に思った。でも、それはそれとして君のやった事に対して報いを受けるべきだと考えていたし、今もそう思っている。でも、君と長く過ごし過ぎたな。君は…」


 良い母に引き取られて、人殺しなんかせずパン屋の娘かなんかやって客引きをして、八百屋の若旦那と結婚するような人生を歩むべきだった。でも僕はそうさせなかった。僕は彼女を救って、そして自分の目的のために彼女の人生における当事者意識を奪って、その場所に僕と言う存在を無理やりねじ込んだ。


 「やめてね、先生。私は私で、今が一番幸せだから」


 ルナの顔はいつもの顔だ。多分、最後の最後まで慈愛に満ちた微笑みの顔は崩さないんだろう。しかし対して僕の顔はどうだろうか。きっと酷くて醜い顔をしている。苦しい顔でもあるし、冷酷な顔でもあると思う。でもここには鏡なんてないので、僕自身で僕の顔を知ることは出来ない。


 「ごめんな、それとありがとう」


 カツンカツンと靴の音が響く。しばらくて鉄格子の前に人が立つ。黒髪で白い肌をして、目の下は赤く泣き腫らした後がある。


 「テルール、出て」


 シャルロの声は今にも消え入りそうな声だった。彼女は震える手で錠を解いて牢の扉を開ける。隣のルナは既に立ち上がっており、僕も立とうとしたが途中で転んでしまう。


 「ルナ、シャルロ、手伝ってくれ。一人じゃ立てないんだ」


 左脚に生暖かい感覚がある。多分、傷口が開いたんだろう。


 「ありがとう、二人とも」


 彼女らの肩を借りて、牢を出る。そしてしばらく歩いて要塞の外へ、そして晒し台のような荷馬車の椅子に座った。まるで出荷される豚のようだ。


 「テルール、いつかこうなると思ってた。貴方は馬鹿だから」


 ルナは一つ前の馬車で晒しになっており、僕はその後ろ。そしてその横にはシャルロが立っている。


 「貴方はこんなことをやる人じゃなかった。法律をやるか商売をやるかして、殺人とは無縁の人生を歩む人だったんだ」


 馬車はゆったりと進む。民衆が晒された僕を見つめる。僕に対して裏切り者、悪魔、あるいは人殺しと叫ぶ人々。


 「シャルロ、僕はさ、君が思うように真っ当な人間じゃないよ。それは今も昔も、多分君と出会う前からずっと捻くれた人間だったと思う。だから僕は、テルールという人間はこうなるか、あるいは死んでいくしかなかったんだと思う」


 「それは私を慰めているの?貴方を止められなかった私を」


 「そうかもしれない。僕が死ぬ時、君に何も残したくはないからね」


 「馬鹿だよ本当に馬鹿。私から処刑人の剣を取り上げてくれた事には感謝してるよ、でもさ、私の中には貴方への情が残る。だって貴方は約束破ったんだもん」


 「何より私は、私は貴方の母様と貴方自身を殺しておいて、自分だけ他人と世界を愛する自信はないんだ」


 「君に僕は殺させないよ、絶対に」


 3時間ほど市中に晒され、たどり着いた先は王が処刑された場所であるコンコード広場だった。


 「わかってると思うけど先にあの子だからさ」


 彼女は前の場所に移動し、晒されているルナの縄を解く。彼女らが何か話しているが、僕には聞こえなかった。やがて彼女は処刑台に挙げられ、ギロチンを見上げる。

 そしてコンコードに集められた群衆の中からこんな叫びが産まれた。

 大統領の売春婦(プロスティテュエ・ドゥ・プレジダン)


 「マドモアゼル、ルナ。告解を」


 群衆に向かってルナは叫んだ。僕が用意した言葉を、僕が生き残るための言葉を叫んだのだ。


 「私は私の行為について、一切の後悔をしていませんし、許しを求めることもしません。何故なら私には一切の罪がないのですから」


 ギロチンを前にしても毅然とした態度を崩さず、ましてや一切の罪がないと言い切る彼女の姿に群衆は興味を惹かれた。


 「数年前のパリスはどうでしたか?ほとんどの街灯は点かず、失業者と乞食で溢れかえっていましたし、女性は春を売る以外に生き方を選べませんでした。そして私もその一人であります」


 「ですが今は違う。街灯は点いているし、失業者も乞食も適正な数字に落ち着いた。私のような女性であっても行政の保護を正常に受けれる社会になった。つまり私はこのラソレイユにとって善となることをやったのです。ですから、私に一切の罪はありません」


 群衆という人の塊は人昼食後の熱と夏の熱に浮かされて思考は鈍る。そして彼女の言葉によって理性から野生に傾いて行く。


 「以上、告解を終わらせていただきます」


 ざわざわと声が聞こえる中、彼女は跳ね台に寝て、そして首を預けた。シャルロはギロチンの刃を支える縄を剣で断ち切る。そして刃は彼女の首に落ちた。

 シャルロは縄が詰められた箱の中から彼女の首を取り出す。彼女の顔はいつもと変わらない顔をしていた。


 「アデュー、ルナ」


 僕は小さく呟いた。僕は悲しみを感じてはいけない、これは彼女の終わりに対してノイズになる。


 「ルイ・イトワール・ルナ=ジャスティカの処刑はシャルロ・アンリ・アンサングの名において執行された!」


 群衆の中からラソレイユ万歳と叫ぶ声はあるが小さい。僕の予想通り、彼らの相違としては戸惑いがあるんだろう。

 完璧だよ、ルナ、君の死の意味、それは戸惑いを作ることだったんだ。

 刃を清掃した後、シャルロは僕の方に近づいてくる。


 「テルール、貴方の番だよ」


 「わかってる」


 彼女は手首以外の縄を解く。僕は彼女を支えとして荷馬車から降りた。

 処刑台の階段を一段、一段と上がる。その度、左の太腿から血が吹き出しそうになる。

 十三段、上がりきった時、支えとなってくれたシャルロは静かに泣いていた。


 「シャルロ、大丈夫。アジャラカモクレンテケレッツのパーだ。僕はギロチン如きじゃ死なないよ」


 それは僕の記憶に何故か残っていた言葉だ。死神を遠ざける言葉だったと思う。


 「…なにそれ。意味わかんないよ」


 「わからなくていい。時期にわかるから。さぁ、告解をするよ」


 彼女は一歩下がり、僕は処刑台で跪く。幾人もの群衆、凡そ二万人程だろうか。彼らの前で跪き、そして真っ直ぐな目で見つめた。


 「サン=ベルナール・ロベスピエール大統領、告解をお願いします」


 群衆の瞳を見つめる。鉱夫の瞳を、農奴の瞳を見つめる。あの婦人の瞳を、商人の瞳を見つめる。群衆を毅然とし、まっすぐと見つめて緊張による熱が最高潮になるのをただ待つ。

 頭は冴えてる。肺も痛くない。懐かしい、まるで今の僕はあの時の僕のようだ。

 静けさによる緊張で人が倒れ始めた。今だ。


 「パリスの人々よ、私はこのラソレイユという国を幸福にした。これは間違いない事実だ。そして私のその原動力たるもの、それはただひとえに諸君に対する兄弟愛であったことを認識してもらいたい」


 「だが私は今ギロチンの露に消えようとしている」


 この静から道への転換、緊張を利用して個人が完全に溶けて一つの集団となった時、仕込みのサクラですら叫べない。


 「それは偉大なる兄弟である諸君らの正義が私を悪と断じたからか?あるいは…」


 火が起こる時、ジョシュア・ラモーヌは全てを察して僕の演説を取り止めようとした。しかしもう遅い。だってこの空気でこの演説を壊そうものなら一気に火は燃え広がるし、何よりその処刑を執り行うのはシャルロである。シャルロには僕の告解を止められないんだ。


 「強欲な個人による暴走だろうか?」


 火は巻き起こった。アナリースを救出したあの時のように、群衆は策を破壊して処刑台に流れ込んだ。

 我らが大統領を助けろ!

 群衆は叫びながら全てを破壊して行く。


 「テルール、貴方は…」


 「言ったろ、君に僕は殺させないってさ」


 シャルロは寂しい目で僕を見つめ、そして部下に命令をする。


 「この場は引け!殺される!」


 僕は波の中に飛び込みそして消えゆく。僕は再び勝利した。熱月(テルミドール)の反動を超えたのだ。



 サン=ベルナール・ロベスピエールの処刑未遂、後にこれは"偉大なる熱月テルミドールの奇跡"と呼ばれる。

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