EPISODE:7 残滓
俺はガレージの前で思案していた。
また居たら……?
シャッターに手を掛けては離すを幾度か繰り返していると「何してるの?」と背中から声を掛けられて「ひっ」と声が漏れた。
もう声で分かる。
朔夜だ。
「いないわよ」
朔夜はそう言ってシャッターを一気にあげた。
ガラガラと、金属が巻き上がる大きな音が響いた。
俺はガレージの中よりも、近所が気になってキョロキョロと見回した。
「何?だからいないわよ」
「そうじゃなくて、ご近所迷惑!」
この時間は朝ドラを楽しみにしているお年寄りも多いのだ。
騒音が原因で学校に通報でもされたら、色々と終わってしまう。
「ああ」
涼やかな朔夜の目が大きく開かれた。
「ごめんなさい」
そう言って、朔夜はふっと笑った。
バイクをしまった俺はシャッターを、ゆっくりと下ろした。
『こうやるんだ』と言わんばかりに振り向くと「まだ時間があるから、今後について話しましょう」と全く無関心に言われた。
少しモヤっとしたが確かに昨日のアレは——
「おい、アレが今後もあるのか!?」
俺は思わず大声を出してしまった。
咲夜はワザとらしく周囲をキョロキョロして見せると、人差し指を立てて「シー」と唇に当てた……俺の。
朔夜の少し冷たくて柔らかい指が唇に触れた。
俺の唇よりも柔らかいんじゃないかと的外れな事を考えて、少しポーっとした。
「ねぇ、近所迷惑だから中に入って話しましょう」
朔夜はそう耳元で囁くと、玄関ドアに鍵を差し込んだ。
俺は昨日のアレくらい目の前の光景が理解出来なかった。
この家は亡くなった祖父の家だ。
今は空き家で、俺の叔父さんが管理してて、俺が草むしりしてて、だからええと……
「なんでお前が鍵を持ってるんだよ!」
結局また大きな声を出してしまった。
久しぶりに入る祖父の家は懐かしい匂いが……全くしなかった。
とても甘い香り。
ああ、女の子の部屋ってこんななんだな。
無意識に深く息を吸っていたことに気付いて、誤魔化すように辺りを見回した。
褪せていた壁紙も貼り替えられ、残っていたはずの家具も無くなっていた。
「朔夜、家族は?」
玄関には他に靴も無く、生活感も感じられない室内湧いた疑問だった。
リビングにはテレビすら無い。
「……居ないわ」
それ以上の追及を許さない口調だった。
俺は質問を変えた。
最初の質問だ。
「なんで鍵を持ってるんだ?」
「借りたの」
『当たり前でしょ』と言わんばかりの表情。
「駅前の不動産屋さんで紹介されたのよ」
そう言えば『貸家』の看板が数日前から消えていた気がする。
「そうか。そうだな」
俺は自分を納得させるように頷いた。
「そこ、座ってて。お茶を淹れるわ」
朔夜はそう言うと、唯一の家具のようなテーブルを示した。
(え、お茶?)
そう思いながら、敷かれた淡い水色のクッションに胡座をかいた。
(ここだけ女の子っぽい)
俺は何気なくポンポンとクッションを叩いていた。
湯呑みが置かれ、急須からお茶が注がれた。
湯気と共に緑茶の馥郁たる香りが立ち上がり、鼻腔を満たした。
「俺、急須って初めて見たよ」
そう言う俺に「どうぞ」と朔夜は差し出した。
朔夜が俺の前に座った。
テーブル越しに見る朔夜の姿は美しく、美しく……
頭が痛い。
酷い頭痛に襲われた。
内から外に向けて何かが割ろうとするように。
まるでそう、羽化する雛が卵を割るような感覚だった。
うずくまる俺の意識の遠くで朔夜の声が聞こえた。
俺の名前を呼んでいる。
……俺の名だろうか。
絶叫するような声だ。
耳の奥に、いや——
記憶の残滓というのだろうか。
緑の香りを運ぶ風が髪をなびかせた。
川面に波が立つ。
(今日はもう十分か)
俺は竿を引き上げると、ずっしりと重たい魚篭の感触に頷いた。
(さぁ帰ろう。朔夜が待っている)
そう思い空を見上げると、陽は天頂から幾分傾いていた。
(母さんの昼飯には間に合わなかったな)
俺は頭を搔くと、それでも大漁の高揚感に大股で歩き出した。
集落の入口に朔夜を見つけた。
「朔夜、今日はこんなに魚が穫れたよ」
俺は手を振り、大きな声で朔夜を呼んだ。
「まぁ、磯城様。病床のお義母さまの滋養にも良いでしょうね」
駆け寄った朔夜は、腰の魚篭を見て嬉しそうに言った。
そんな朔夜は編み籠に沢山のきのこや木の実を入れて抱えていた。
「朔夜も随分頑張ったね」
俺がそう言うと「きのこは木の実と交換で頂いたんですよ」と笑った。
俺は朔夜の笑顔が大好きだった。
涼やかな声も美しい所作も全て愛していたが、この無防備な笑顔が何よりも愛おしかった。
「うぅぅ」
自分の呻き声に目が覚めたが、瞼が重たい。
頭の痛みはもう無かったが、少し気だるい。
そしてなにか夢を見た気がした。
懐かしくて優しい夢だった気がした。
このまま目を開けずにもう一度眠れば、続きが見られるのだろうか。
そなことを考えているうちに、身体が徐々に覚醒してきた。
ようやくぼんやりと視界が開けてきた。
そこには不安で泣き出しそうな顔をした朔夜が、俺の顔を覗きこんでいた。




