EPISODE:77 比翼の朔夜
あれから一週間が過ぎた。
祖父の家はもぬけの殻で、門扉には【貸家】の看板が掛かっていた。
朔夜も磯城も居ない。
俺はガレージをそっと開けて、スティードに跨った。
キーを捻ってチョークを引いた。
ひと呼吸置いて、セルを回す。
キュルキュルと鳴ると、エンジンが震えた。
火が入った——
マフラーの低い排気音が心地いい。
エンジンと会話をするように、暖まり具合に合わせてチョークを戻していく。
歳上への敬意だ。
機嫌を損ねると拗ねて止まってしまう。
ここが肝心だった。
「ビリー、もう行ける?」
文乃がヘルメットを持って待っていた。
「ああ、今出るよ」
俺はスティードをガレージから出すと、シャッターを閉めた。
レースアップのロングブーツ。
ブーツカットのジーンズ。
上はダブルのライダース。
「完璧だな」
「でしょ。バイク雑誌読んで勉強した」
笑う文乃に思わず見惚れた。
流石、学外にも有名な美少女だ。
「えっ、何何?見蕩れちゃったのかなぁ」
「ま、そんなところだ」
否定せずにそう言うと、文乃は急に顔を真っ赤にした。
「行くぞ」
あえてそれを無視して文乃を促した。
リアが沈み、腰に手が回った。
ゆっくりとクラッチを繋ぐと、フロントフォークが僅かに浮いた。
小気味よい排気音が響いて、俺たちは同じ風に触れた。
病院に着くと、待合ロビーに白衣の女性が居た。
陽子さんだ。
文乃は手を振って駆け寄ると、両手で陽子さんの手を握った。
俺は深めに頭を下げて「こんにちは」と無難すぎる挨拶をした。
花音の病室は個室だった。
ドアを開くと、ルリ子さんが花瓶の花を替えるところだった。
「ルリ子さん!」
「あら、来たのね」
柔和に笑みを浮かべながら、ルリ子さんの視線は、俺たちの後ろに誰かを探していた。
「朔夜たちとはあれから会っていないんです」
視線の意図に気付いてそう言うと、ルリ子さんの表情は僅かに曇った。
「きっと神様の国で仲良くやっているのね。二千年以上ぶりの夫婦水入らずよ」
ルリ子さんは作り笑顔を本当にするように、声を出して笑った。
花音は窓の外を見ていた。
俺たちが声を掛けると、毛布をたくし上げて顔を覆った。
片手で不器用にたくし上げた毛布では、上手く花音を隠せなかった。
「見えてるわ、アホ」
俺は毛布を引き剥がすと、頭を掴んで文乃に向けた。
「乱暴にしないの」
文乃は俺をたしなめると、ベッドに腰掛けた。
そして左腕を掴んで、花音にくっついた。
「ごめんなさい、文乃ちゃん」
「ううん、無事で良かったよ」
「朔夜様は?」
そう聞かれた文乃は、少し逡巡してから「磯城さんと天の国に帰ったよ」と答えた。
「そっか。愛が成就したのね」
花音の表情に嫉妬などはなく、喜びよりも安堵に近い顔を見せた。
「お前さんたちは、比翼連理と言う言葉を知っているかい?」
ルリ子さんが静かに口を開いた。
(比翼——いつか朔夜が呟いた言葉だ)
俺たちは首を横に振った。
「夫婦の仲睦まじい姿を表した言葉だよ」
「比翼連理......」
文乃は囁くように口にしてから「綺麗な響きね」と言った。
「天にあっては比翼の鳥に、地にあっては連理の枝とならん。——これが比翼連理の由来」
「どんな鳥なんですか、比翼の鳥」
花音がルリ子さんに身体を向けた。
「伝説の中で飛ぶ鳥さ。雌雄で目と翼をひとつずつ持つ鳥で、共になければ生きていけない鳥だよ」
ルリ子さんはそう言うと、病室の窓の空を見た。
「二千年以上——自らの半身を護り求めた旅路。朔夜さんの孤独は察するにあまりあるのだろうね」
ルリ子さんは朔夜を慮って、そう言葉を置いた。
「文乃に花音、そしてルリ子さん。朔夜の旅路は、意外と孤独なだけじゃなかったんじゃないかな」
俺がそう言うと、三人の表情に光が差した。
「——夜刀は?」
花音が一番知りたいことだったと思う。
「月詠が連れて行った」
俺がそう言うと「三貴子お姉様が、月読命だったのよ」と文乃が続けた。
「ええぇ、そうだったの!?」
花音が驚いた声を上げた。
(おまえ、絶対気付いていたよな)
「夜刀の処刑を花音が救ったんだよ」
花音が驚いた顔で俺を見た。
「花音ちゃんが助けたからって、朔夜ちゃん言ってた」
文乃が俺の言葉を継いだ。
「それにしても神様同士の命の取り合いに割って入るなんてな、よく生きてたよ」
「それはキミもでしょ。......私を助けてくれた」
「でもな、ルリ子さんは夜刀の額にグーパン入れたんだぜ」
その言葉に驚いた花音は、ドア前のルリ子さんを見た。
その視線の先でルリ子さんは、ジャブを二回繰り出していた。
全員が声を出して笑った。
花音だけがギプスを押さえながら「痛い痛い」と連呼して笑っていた。




