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比翼の朔夜  作者: 浅見カフカ


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75/78

EPISODE:75 ヒーロー

花音が気絶しているのは不幸中の幸いだった。

意識があれば大量出血を誘発していただろう。

朔夜は傷口に手をかざすと、祝詞を唱え始めた。

骨折も大きな傷口も治すことは叶わないが、止血と穢れを払うことは出来そうだ。

ただ、事態は一刻を争う。

病院へ、手術と治療が必要だった。


「磯城!俺に力を貸せ」

少年の力強い呼び掛けに磯城が応じた。

「月詠から力を貰っただろ、お前」

この場に居た全員が身震いをした。

月読命を呼び捨てになど、畏れを知らぬ人の子にしか出来ない芸当だった。

「早く!」

夜刀が三叉槍を杖に、立ち上がろうとしていた。

「分かった」

磯城はそう言うと、自らの身体をくさびに変え少年の手に治まった。

「影に!!」

楔の姿で短く言った。

少年はすぐさま夕陽に伸びる夜刀の影に向かって、楔を打ち込んだ。

影の中心に刺さった楔は、夜刀の動きを止めた。

それも日没までの猶予だ。

影が消えてしまえば夜刀は自由だ。


-祝詞を止めて花音と夜刀を殺す-

-夜刀と磯城を置いて花音を運ぶ-


前者の選択が正解だろう

後者は悪手だ。

動き出した夜刀の手に掛かって、磯城が死ぬ。

更に、花音も搬送が間に合わずに死ぬ。


この簡単な引き算。

永い時間の旅路が無ければ、朔夜は即答しただろう。

花音を捨て置き、夜刀の首を刎ねて封印の儀を行う。

そうするだけだ。


だが——

祝詞が止むことはなかった。


朔夜は息継ぎすら忘れたように、祝詞を唱え続けた。

陽が翳り、影が細く棚引く雲のようになっても、誰も朔夜を止めなかった。


そこに場違いな、甲高いエンジン音が響いた。

遅れて土埃が風に流れてきた。

まだ止まりきる前の後部座席が開いた。

「朔夜ちゃん!花音ちゃん!」

文乃が名を叫びながら飛び出した。

そして次に花音の名を呼んだ時は、ほぼ悲鳴だった。

次に助手席から老女が降り、ゆっくりと三人に近付くと「朔夜さん、久しいわね」と目を細めた。


「ルリ子さん、ごきげんよう」

朔夜の祝詞が止まった。

「ごきげんよう。さぁ、その子を運びましょう。文乃さんは自転車を下ろしてくださる?」

その言葉に、文乃は車に向かって駆けた。

朔夜はそっと花音を抱きかかえると、ゆっくりと揺らさないように歩いた。


後部座席をベッドのように倒した車内に、花音を横たえた。

車内に鉄錆の臭いが漂った。

陽子はシートが血で汚れることなど気にする様子もなかった。

花音の手首に指を当て暫く黙ると、傷口の確認を始めた。

そしてスマホを取り出すと「16歳女性、外傷性ショック、開放骨折、30分以内、意識無し、脈拍、血圧共に低下」そう一方的に言うと「今から搬送する」と言って通話を切った。


「じゃぁ、ルリ子婆ちゃんをお願いねぇ」

そう言うと行ってしまった。

唖然とする皆に「陽子は外科の勤務医なのよ」とルリ子は言った。


「それで、あの子はどうしてこうなったんだい?」

ルリ子は曲がった腰をさすりながら一同を見回した。






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