EPISODE:4 タンデム
令和の時代に見掛けないもののひとつはこれだと思う。
俺は愛馬に跨りながらチョークを引いた。
キーを捻るとエンジンが唸りを上げる。
祖父さんのメンテもそうだけどホンダのエンジンは凄いな。
右手をタンクに愛撫するように置いた。
そしてキャブレターのご機嫌を伺いながらゆっくりとチョークを戻していく。
インジェクションには無い味わいだ。
排気音とエンジンの振動が安定したら出発だ。
俺はアクセルを捻り爺さんの家のガレージに向かってスティードを走らせ……ようとした。
朔夜が立っていた。
スティードの行く先を塞ぐように。
何故かメットを持って。
「えっ!?えっ!?えっ!?」
昨日のことを鮮烈に思い出した。
そんな俺の戸惑いなどお構い無しに、朔夜はスティードの後ろに腰を下ろした。
「遅刻するわよ、出して」
メット越し、くぐもった声が聞こえた。
それでもまごまごしているとタンデムシートから背中を強く押された。
「痛い痛い!」
俺は背骨を押された痛みに耐えかねてスロットルを開いた。
小鳥が飛び立つ中切り裂いた風は、頬に心地よい冷たさだった。
マズいと思った時にはすでに赤色灯が回っていた。
制服姿でタンデムだ。
まあ、止められるよな。
バイクを路肩に停めた俺に朔夜が「どうしたの?」と聞いてきた。
「多分2ケツで切符を切られる」
多分、朔夜を責めるような口調だったと思う。
きっかけはどうあれ運転したのは俺なのに。
「だって免許持ってるんでしょ?」
「持ってるけど、バイクは1年目は二人乗り禁止なんだよ」
俺が力なく言うと「ごめんなさい、私のせい」と消え入るように言った。
そして「私に任せて」とヘルメットを脱いだ。
「おっ、おい」
朔夜はひらりとバイクから降りると、俺の静止も聞かずにパトカーへ歩いて行った。
再び昨日の光景が浮かんだ。
まさか警官に何かするんじゃ——
俺も慌てて後を追った。
運転席と助手席のドアが開いて制服姿の警官が降りてきた。
朔夜は運転席側の警官に近づくと、にこやかに言った。
「こんにちは。ううん……おはようございます、かしら?」
「キミは後で事情を聞くから、運転していた彼と話させてくれるかな?」
警官はそう言って俺に向かって歩いて——来なかった。
「お巡りさん、今日は帰りましょう」
朔夜が穏やかに微笑んでそう言うと、警官は踵を返して運転席に戻って行った。
もう一人の警官が呆気に取られていると、朔夜は再び口を開いた。
「あなたも帰りましょうか」
その声に、警官は無言で助手席へと乗り込んだ。
パトカーの赤色灯がゆっくりと遠ざかっていく。
「良かったわ。見逃してくれたのね」
朔夜は安堵したように微笑んだ。
ウソだ。
表情も、言葉も、みんなウソだ。
なんなんだ、この女は。
怖い。ヤバい。絶対にダメだ。
逃げなきゃ、と思うのに。
身体は錆びついた鉄のように動かない。首さえ回らなかった。
そんな俺の横で、朔夜が「さて、と」と小さく呟いた。
そして俺にメットを放ると「お爺様のガレージで」
そう言い残して走り出し、ガードレールを軽々と飛び越えて歩道に消えていった。




