EPISODE:48 魔女の鉄槌
絶叫に振り向いた朔夜が、牽制に式神を一体向かわせた。
だがそれが間に合わないことは明確だった。
大蛇は身体を左右にくねらせて、地面を滑るように迫っていった。
朔夜の式神も直線を圧倒的な速度で差を縮めた。
「ああ」
情けない声が漏れた。
ふたりの頭上で鎌首をもたげ、捕食するように大顎を広げた。
牙からはぬらぬらと雫が垂れていた。
赤く細いふたつの舌先がチロチロと動く。
おそらくは正確な位置を測っているのだろう。
ここに来てやはり式神は間に合わなかった。
もたげた鎌首が鞭のようにふたりに向かった。
身じろぎ出来ずに見ているだけの俺の目に、先輩が子供を突き飛ばす瞬間が見えた。
轟音と閃光と土埃——
何が起きたか俺には理解出来なかった。
ただ、先輩が居た付近の屋台は崩れて原型を留めていない。
子供!
はっとして周囲を見回すと、式神の背に子供は乗って空にいた。
「先輩!!」
俺は屋台のあった場所へ走った。
そこには焦げた大蛇がピクりともしないで横たわっていた。
一部は骨も溶けるように焼け付いていた。
一体何があったんだろうか?
不意に大蛇の一部が動いた。
迂闊だった。
俺は安易に近づきすぎたか。
焦って後ろに飛び退いた俺の目に、人間の手が見えた。
大蛇の下から這い出ようとしていた。
「先輩!」
俺は再び叫ぶとその手を引いた。
「もっと強く引いてくれ!」
くぐもった声だが、力強い声に安心した。
俺は両足を肩幅くらいに開くと、腰を落とした。
両腕で先輩の手をしっかりと握った。
「せいっ!」
「いてててっ。痛てぇよ、馬鹿野郎!!」
めちゃくちゃ怒鳴られた。
「ごめんなさい」
「ふふふ」
誰だよ、こんな時に笑うのは。
「志木くんはなんかズレてるのよね」
——敷島花音!!
慌てて周囲を見回した。
「あははははははは」
上だ。
上から声がする。
野球部の夜間練習の照明灯の上に敷島は立っていた。
紫がかった黒いドレスに、大きなつばの付いた帽子。
そこから伸びた髪は、綺麗に編み込んで後ろに束ねてある。
右手の長い杖に無邪気な悪ふざけを感じた。
「敷島ぁー!!」
「怒鳴らなくても聞こえるわ」
「お前の、お前の仕業か」
俺は構わず怒鳴った。
「どれが?焦げたヲロチは私よ。ちょっとやり過ぎちゃった」
失敗を照れるような口調だった。
「ごめんね。後夜祭はダメって言ったのに、夜刀が......少し遅れちゃったね」
そう続けると左手を大蛇にかざした。
「えっ」
目の前の大蛇が、破れたノートを丸めるようにくちゃくちゃになっていった。
ノートならガサガサと鳴ったのだろう。
大蛇は骨の折れる乾いた音や、何かが潰れる湿った——グチャグチャという想像力を遮断したくなる音立てて潰れていった。
そしてようやく先輩が這い出て来られた。
「なぁ、あの子も後輩なのか」
仰向けになって大の字に身体を晒したまま言った。
「他校の生徒ですよ」
俺がそう言うと「ウチよりやべぇ学校だな」と口の端を歪めて笑った。
「おじちゃん!!」
式神から飛び降りて小学生が駆け寄った。
「無事だったか、坊主」
「ありがとう、おじちゃん。それと、ありがとうお姉ちゃん!!」
小学生は照明の上の敷島に、大きく手を振った。
敷島は腰の辺りで小さく手を振ると、朔夜の方を見た。
右手の杖を突き出し、更にその前に左手を出した。
手のひらを朔夜の方に向けていた。
宙に魔法陣が見えた。
幾つもの魔法陣を、さらに大きな魔法陣が内包する複雑な紋様。
青紫にそれが発光すると、幾条もの光の矢に変わった。
それは、朔夜を取り巻く大蛇達に雨のように降り注いだ。
頭を、胴を——
至る所同時に貫かれた大蛇達は、うねり、のたうち、やがて短く痙攣して果てた。
一匹だけ、敷島の放った光の矢を弾く大蛇が居た。
いや、あれは弾くとは違った。
鱗に届く寸前に、全てかき消えていたように見えた。
角の生えた異質な大蛇だった。
微動だにせず朔夜と向き合っている。
朔夜は両手で正面に太刀を構え、上空を式神が牽制しながら押さえていた。
大蛇はそのまま姿勢で「裏切るのか、敷島花音」と、不快な音を立てた。
黒板を爪でかくのとはまた違う不快音。
低音の不協和音だ。
「私はダメって言ったでしょ。後夜祭はだーめって」
二度目のダメは鼻にかかるような甘えた声だった。敷島はそう言うと「夜刀、朔夜様を困らせないの」とまるで子供を叱るように続けた。
夜刀は少しの間、無言で対峙を続けた。
そして、音もなく下がると砂塵の中に消えていった。
「朔夜様、ごきげんよう」
そう言うと、敷島も夕闇を纏うように消えていった。
いつの間にかもう、陽が陰り始めていた。




