EPISODE:42 宣戦布告
世の中が何もなかったようだ。
主語を最適化すると、俺たちに何もなかったようだ。
桜井さんは普通にサキュバスで接客してるし、ヴァンパイアになった朔夜はチェキで荒稼ぎをしていた。
そして何より何もなかった象徴が、チェキの太客が岡田(仮)だった。
いや、朔夜。
なんで普通に二人でハート作ってんだよ。
挙句、クリーチャーコスの俺を見て「こわ〜い」って朔夜に抱きついていた。
頭が痛い。
俺はお前が本気で怖いよ、岡田(仮)。
ってか、どうして俺を斬ろうとするんだ朔夜。
あのダンボールの剣、まだ持ってたのか。
岡田(仮)は、最後まで居た。
開店から閉店まで居た。
朔夜が指名で離席する度に、チェキやオプションで呼び戻していた。
帰り際の岡田(仮)の手には、カードバトルのデッキのような写真束が握られていた。
なんだろう。
眩しいくらいの笑顔だった。
大きな瞳に日本人形のような艶やかな黒髪。
色白の頬は薄ら上気している。
薄桃色の唇の端を緩やかにあげると、小さな笑窪を作った。
普通に可愛いとさえ思う。
——昨日のことが無ければ。
朔夜に手を振って朔夜も振り返す。
お辞儀をして見送る俺の前を過ぎた時だった。
「もう一人は効いたけど、貴方と朔夜様は覚えてるのね」
背すじに悪寒が走り、全身が粟立った。
ハッとして顔を上げたが、その表情を見ることは出来なかった。
不意に肩に手を置かれた。
「お疲れ様」
朔夜だった。
「花音ちゃん、今日がとっても楽しみだったみたい」
「誰?」
「敷島花音。彼女の本名よ」
コースターに名前を書いて見せた。
俺が唖然としていると「チェキにサイン書いたもの。『敷島花音ちゃんへ』って」とサラッと種明かしをした。
「明日の後夜祭は生徒のみだからって言ったら、残念がってたわ」
「納得したのか?」
「自分勝手な人はキライって言っておいたから」
「ウソだろ」
それで納得するなら、俺の命懸けの説得はなんだったんだろう。
あの空気をも切り裂きそうな鋭利な髪の毛。
彼女が本気だったなら、瞬時に胸でも頭でも貫かれていただろう。
俺が生きていたのは彼女の気まぐれだ。
あの時の朔夜の怒りはもっともだと、今更ながら思う。
「そんなロマンチストな女かよ」
俺の言葉に朔夜は口許だけで笑った。
「とてもロマンチストよ、花音ちゃんは」
冷たい笑顔だった。
「——だってこれは、彼女の宣戦布告だもの」
窓が風に揺れ始めた。
遠雷が鳴り、音を伴った雨が篠を突く。
朔夜の髪が逆立つように見えたのは、怒りのせいや天気のせいか——
いや、分からないふりはやめよう。
敷島花音は狂気の魔女だ。
俺は俺の戦いをしよう。
そう心に誓った。




