EPISODE:41 落涙
「これ、どうしようか」
俺は廃墟と化した旧校舎の惨状に途方に暮れた。
本校舎だって壊滅的な場所が幾つかあった。
「平気よ」
朔夜は全く気にした風でもなく、桜井さんの傷の手当てをしていた。
「かしこみかしこみ申す。遠つ神笑み給え。桜井文乃の傷を穢れを祓い給え。葛城朔夜ここにかしこみかしこみ申す」
「神主さんみたい」
桜井さんがそう言うと「よく効くおまじないよ」と朔夜は笑った。
(よく効くおまじないだって?)
桜井さんは気付いていない。
彼女の傷や腫れは、もう消えていた。
「指揮様も」
そう言われて、俺はのこのこ朔夜の前に立った。
朔夜は優しく微笑むと俺の頬に手をかざした。
血はもう固まっただろうか?
そう思ったのも束の間、沁みるような痛みが走った。
満面の笑みの朔夜が、両手で俺の頬を挟んでグリグリとした。
「痛いですか?そうですか。続けますね」
「イダイイダイダイダイ」
「聞こえませんよー」
指先がぐにぐに動いた。
「ひぃぃぃいぃ」
「痛いの痛いのー」
「どんで、とんで」
(お願い飛ばして)と切に願った。
「このままー」
「ひぃぃぃぃぃ」
朔夜の手が止まった。
そして笑顔も消えた。
「死んでしまったらどうするんですか」
「......」
「取り返しのつかない大怪我だったら——」
「それでも、朔夜に人を殺させたくはなかった」
俺は、鼻先が触れそうな距離の朔夜を真っ直ぐに見た。
「貴方はバカです」
朔夜の瞳が潤んだ。
大粒の涙が目尻からこぼれて、頬を濡らして顎へ伝った。
次の瞬間、朔夜は俺を反転させた。
胸と肩に手を当てた一瞬で。
そして背中に朔夜の額の感触。
「あんなことは二度とダメです」
震える声に短く「ああ」と答えるしか出来なかった。
ザッザッ——
音の方を見ると、桜井さんが掃き掃除をしていた。
(この人もなかなかマイペースだな)
そう思ったが、この惨状はどうにかしなければならないのは事実だ。
「文乃ちゃん、平気よ」
朔夜は再びそう言うと、短く祝詞を唱えて柏手を打った。
すると朔夜を中心に光の輪が広がっていった。
光が過ぎたところから普段の校舎が姿を現していく。
「出られなかったでしょ、校舎から」
「ああ、逃げられなかった」
「結界の幻覚の中にあったの」
信じられなかった。
あのガラスの欠片のリアルな感触も、壁を蹴った反動も、全てが結界の中の幻だなんて。
「感覚は全て私たちの知識や常識が補完しているの」
「じゃぁ、実際にはガラスの欠片で怪我とかは——」
「するわよ。脳が痛みを知覚して皮膚が裂けて血が滲むわ。高いところから落ちれば脳が死を知覚するでしょうね」
朔夜の言葉に身体の芯の方から寒気が広がっていくのが分かった。
「ただ、校舎に入る前のアリスの衣装の汚れや擦れは戻らないわね」
朔夜の言葉に桜井さんが反応した。
「アリスがどうしたの?」
「ああ、アリスの衣装は直らないなって話」
「そう、残念」
桜井さんはあまり残念ではない風に言った。
「ところで、あの女子とは何を話していたの?」
「えっ!?」
とぼけているようでは無かった。
「あの髪の毛がものすごい風切り音で私たちには何にも」
「ああ、ああ、そう......なんだ」
半ば朔夜への告白のつもりだった俺は、また膝の力が抜けてよろけた。
少し涙目だった。




