EPISODE:23 帰り道
街並みが見慣れた景色に変わった。
日曜の夕暮れ。
団欒の和やかさと、明日から始まる一週間への諦念が混ざり合う不思議な時間。
一言で言えば名残惜しさ——
俺の名残惜しさは、やはり背中に感じるこの温もりなんだろうな。
意図せず始まった二人旅が、もうすぐ終わる。
せめて同じ寂しさを、彼女も感じてくれていたら嬉しいと思う。
不意に朔夜が話し始めた。
インカム越し、電気信号が再構築した声。
これは朔夜の声であって声ではない。
それでも俺はこれを朔夜として認識する。
電話は完全に合成した音声だ。
本人に限りなく寄せた声を、コンピューターが作って聞かせる。
俺たちはそれを本人の声として認識する。
俺は俺なのだろうか——?
最近、妙に気になる。
祖父の......朔夜の家で意識を失ってから。
朔夜が死んだと思った時も。
あの時見た夢は誰の夢だった?
俺の雑多な記憶を再構築しただけだろうか?
電気信号の声のように俺の記憶として認識しただけだろうか?
飛べない人間が空を飛ぶ夢を見る。
夢の中で自分が飛べない事に気付いた時、人は墜ちる。
あの夢を見た時、自分の記憶ではないと気付いたらどうなったのだろう?
意識を失くした時、もしも保っていられたら何を見たのだろう?
大きく息を吐いた。
どうにも最近考えすぎる。
考えて分かるならいいけど、これは科学も常識も超越している。
無駄だ。
俺は何者なのか?
そんな哲学はきっと必要無い。
「ねえ」
「おーい」
「聞いてるぅ」
「もしもーし」
最後のもしもーしで背骨を押された。
「痛たたたっ、痛い」
もう何度目だ、これ?
「他に方法ないの?」
俺がそう聞くと「声を掛けても応答が無いのに、他に方法はあるの?」と逆に聞かれた。
残念だもっともだ。
潔く「無い」と答えると「よろしい」と褒められた。
もちろん嬉しくはなかった。
「それで、話は?」
俺が改めて聞くと「もう遅いかも」そう言って朔夜は俺の肩に手を掛けた。
そしてタンデムステップに立つと、そのままバク宙で飛び降りた。
背中にあった温もりが、スっと消えていった。
ミラー越しに綺麗な回転が見えた。
インカムに雑音混じりで「止まらないで逃げて」と声が入った。
妖魔——
それ以外は考えられない。
戻ったところで俺は無力どころか足を引っ張るだけだろう。
「ひふみ」ザッ
「...いむ」ザーザザッ
そこで祝詞はノイズの向こうに消えた。
スティードを右に傾けて大きく転回した。
小回りが効かないスティードだと、映画のようにカッコよくはいかなかった。
スロットルを開けて一気に加速する。
エンジンとマフラーの咆哮が日曜の夕暮れにこだました。
ハイビームの向こうに薄らと影が見える。
随分離れてしまった。
「弱くても俺は男で、強くても朔夜は女の子だよな」
俺はそう小さく呟いて身体を前傾させて加速を促して突っ込んだ。
朔夜の息遣いがインカムに入りだした。
朔夜が強く息を吐く度に、マイクが剣戟の音を拾った。
ヘッドライトが巨大な四つ足の妖魔を捉えた。
その先で朔夜が振るう太刀の、蒼い閃光が見えた。
——囲まれている。
俺はタンクに付けていたバッグを片手に持つと、スティードの勢いを借りて一匹に叩き付けた。
グシャリと潰れる感触と同時に、バッグが持ち手から千切れ飛んだ。
一撃で得物を失った俺は、そのまま朔夜に向かってスティードを走らせた。
片膝を着いて下から斬りあげる朔夜の太刀筋が見えた。
割れるようにふたつに別れた妖魔の間を俺は抜けた。
朔夜の顔が上がった。
メットのシールド越しに目が合った。
俺は大きく左手を伸ばして右に逸れる。
朔夜も大きく左手を伸ばして俺の手を掴むと、地面を蹴った。
一気に身体ごと腕を引いて朔夜をスティードに寄せた。
俺の全体重は右斜め前に全力で寄せた。
腕が肩から抜けそうな衝撃があった。
首から肩にかけてブチブチと嫌な音が聞こえた。
不意に全てが軽くなった。
代わりにスティードが僅かに沈んだ。
朔夜がステップの上に立った。
「逃げてって言ったじゃない!」
インカムから朔夜の怒声が響いた。
「逃げたさ、二百メートルも。情けない」
俺は言い返すと「どいつから行く?」と聞いた。
「あとで説教。一番右から反時計回りで」
「りょーかい」
俺は、俺が空けた包囲の穴の右端にスティードを寄せた。
朔夜の太刀の光がミラー越しに長くなったのがわかった。
太刀を真横に持ち替えて刃を進行方向に向けた。
両断された妖魔達が地面に崩れて泡のように消えていった。
そして最後の一匹。
ひときわデカイのが威嚇するように後ろ足で立った。
正直、怖さよりキモさが勝っていた。
「突っ込んで」
朔夜から無慈悲な指示に鳥肌を立てながらアクセルを全開にした。
速度が乗った所で「フルブレーキ!!」と叫ぶ。
俺はそのまま前後同時にブレーキを掛けると、朔夜が跳んだ。
太刀を振りかぶって、落下の勢いに任せて振り下ろす。
そのまま脳天から真っ直ぐ下まで切り裂いて落ちて行った。
俺は再びスティードを走らせると、朔夜の落下地点へ向かった。
妖魔の股の付け根付近を通った時、スティードが大きく沈んだ。
「おかえり」
「ただいま」
俺たちはそのまま駆け抜けた。
振り返ることはしなかった。




