EPISODE:17 亡き悪童の為のパヴァーヌⅢ
城館の中は不気味な程に静まり返っていた。
自らの心臓の音すら響くような静寂。
茶々丸は槍を捨て脇差しを抜いた。
目指すは継母 円満院と弟 潤童子の居室。
長い廊下を草鞋のまま駆けた。
不意に障子を破り槍が突かれた。
気配は無かった。
穂先が左の脇腹を貫く寸前、茶々丸は左手で刀を引いた。
刀身が露わになり金属音が響く。
穂先をいなした刀身は、鎬を削り火花を散らした。
重心を崩された茶々丸は、攻撃を防いだものの大きく飛ばされ転がった。
素早く立て直したところに槍の連撃が繰り出された。
疾い。
そして確実に急所のみを狙ってきた。
強烈な突きが心臓目掛けて放たれた。
茶々丸は半歩だけ体を躱すと、槍を脇の下に挟み込んだ。
そのままの勢いで捻りこむと一気に叩き伏せた。
「腕を上げたな潤童子。だが殺気が強すぎた」
「一生地下牢に居れば良かったものを」
「良かったな、貴様は"一生この城館だ"」
茶々丸の右手の脇差が、潤童子の脇腹から心臓を捉えた。
潤童子は大きく目を見開き、すぐにその瞳から光が消えていった。
最期——何かを言おうと口を開いたが、喉の奥からゴボゴボと血が溢れるだけだった。
茶々丸は潤童子の瞼をそっと閉じると、汚れた口許を自らの袂で拭った。
「何かが違えば......いや、詮無きことか」
茶々丸はそう独りごちると立ち上がった。
そして囲まれたことを悟った。
「人外か」
脇差しを構えた。
じりじりと迫る気配だけは感じる。
そしてその囲みは確実に狭まっていた。
獣の臭い。
微かな風に乗り上手から漂って来た。
——天啓。
茶々丸は下手に向かって脇差しを水平に薙いだ。
ギャンという短い悲鳴と血しぶき、そして落下音。
床に血溜まりが生まれ、その中心に獣が徐々に姿を表した。
「ヤマイヌか」
周囲に無数の小さな光の点が姿を見せた。
それは爛々とした目の輝き。
茶々丸が床を蹴った。
そのまま一気に間合いを詰めると数匹を斬り伏せた。
「キリが無い」
脇差しを持つ腕が重たい。
肩で息をしているのが自分でも分かった。
獲物が弱る気配を敏感に察したヤマイヌ達の唸りが次第に大きくなった。
茶々丸は脇差しを上段に構えた。
少しでも大きく見せようと思った。
ヤマイヌ達の動きが鈍くなった。
——仕掛けるか。
茶々丸の膝が沈んだ瞬間だった。
ヤマイヌの群れがざわめき、潮が引くように下がった。
澱んだ空気が更に澱みを増した。
「おやおや、騒がしいと思えば」
よく通る、だが冷ややかな声だった。
十二単を纏った女が、その奥からゆっくりと姿を現した。
「妾が五衣唐衣裳か」
「妾は元来公家の出。おかしなことなどなかろう」
茶々丸の挑発に動じる様子もなく、冷徹な視線を向けた。
「潤童子は死んだぞ」
茶々丸は円満院に向けて、一気に間合いを詰めた。
渾身の一撃を叩き込む。
円満院は怯む様子も狼狽する様子も無く、冷笑を湛えたまま避ける素振りも無かった。
「あの世で潤童子に詫びろ!」
振り抜いたはずの脇差しが、激しい衝撃とともに弾き飛ばされた。
茶々丸もそのまま床に転げた。
「潤童子や。其方、死んだらしいぞえ」
円満院は喉を鳴らして笑った。
「母上様、お戯れを」
そこには確かに死んだはずの潤童子が、槍を手に茶々丸を見下ろしていた。




