第七章(5)
和夫が委員会室を訪れる1番目、大抵は香夜子が2番目。放課後、香夜子はいつも通りを期待しながら委員会室へ向かった。
「あ、やっぱり香夜ちゃんが2番目だ」
温かい笑顔を浮かべた和夫の声がいつものように弾んでいる。
和夫の隣の椅子に腰を下ろした香夜子と和夫は同じことを思った。ほんの少しだけでいいから椅子を寄せたい。けれどもしない。きっと3番目に来る日向に面白可笑しく揶揄われるに違いない。若しくは生温かい目を向けられたりしたら、気恥ずかしさと一緒に癪も覚えそうだと和夫は思う。
「たぶんみんな気付いていると思うんです」
雑談の合間に香夜子が言うと和夫は首を傾げた。
「わたし単純だから」
そうして香夜子は擽ったそうに肩を竦めた。
「まだ話してないんだ?」
意外だなと思いながら和夫が尋ねると、香夜子が柔らかく微笑んだ。
「明日まで、三人には秘密なんです」
「どうして?」
「アリ先輩との初めての秘密が心地好くて」
香夜子はなずなの楽しそうな表情を思い浮かべながら和夫に言った。秘密という言葉にわくわくとした和夫は目を輝かせる。
みんなに言ったらどんな反応をするかと予想し合って二人は最後に笑いだした。
日向は委員会室のドアに手を掛けたものの開けなかった。聴こえてくる楽しそうな話し声に、今入ったら申し訳ないような気分と同時に、まだ入らないほうが面白いことが起きるような気がした。
その後すぐに遣って来た美紅が、ドアに耳を当てる日向の背中をちょんと突くと「なになにー?」と尋ねた。
「今日はいつもと違うかも?」
「じゃあ何?」
美紅が尋ねると日向がにやりと笑った。それと同時に楽しそうな笑い声が室内から漏れてきた。
「……楽しそうだね?」
「でしょ!」
「いや、日向もね」
「美紅だって楽しそうじゃん」
ドアに耳を張り付けてそんな遣り取りをしていたら、聴こえてきた言葉に二人は顔を見合わせた。明らかに会話の内容から和夫と香夜子が付き合い始めたことが垣間見れた。
目を輝かせながら日向と美紅は更にもう少し様子を覗き聞くことにした。仲睦まじく笑顔で話す和夫と香夜子が目に浮かぶ。
焦れったいくらいに仲睦まじい和夫と香夜子の関係にいい加減やきもきしていたところだったから、日向も美紅もほっとした。そして和夫を揶揄うネタが増えたと面白くなった。。
和夫が大好きな日向と美紅は、彼を揶揄うことも大好きだ。優しい和夫は楽しそうに揶揄われてくれる。
「んー、アリ先輩はヘタレとか言いまくってたけど……」
そんなことを言いかけて、美紅はにやりと隣にいる日向を見た。
「ヘタレなのは日向の方かもねー」
「なんのことかねえ?」
いきなり自分へ話の矛先が向いて、日向はしらばっくれようとしたけれど、美紅は逃さない。
「告白一つ出来ないくせに」
ずばりと美紅に言われて、事実だから日向は何も言えない。
日向は美紅に年中恋の相談しているくせに行動を起こそうとしない。聞いていて見ていて面白いけれど、行動派の美紅にはよく理解できない。一喜一憂する前に動いてしまえばいいのにといつも思う。それに比べたら、無意識だとしても、気持ちを素直に全開にして香夜子に接していた和夫は充分に積極的だと思い直した。
「みんな遅かったね」
揃って委員会室に入ってきた三人に和夫が言うと、「やっぱり和夫って間抜け」と小波が言った。笑いを堪える日向と美紅の肩が俄かに揺れている。
「……お前ら、またおれで遊んだだろ!」
恨めしそうに文句を投げた和夫が三人へ何かを訴えるような視線を送ってきた。香夜子を含めた全員が首を傾げる。
なんとなく和夫が言いたいことを察した香夜子はくすくすと笑いながら言った。
「アリ先輩、仕方ないですよ」
賑やかに話をしていた自分たちが悪い。日向と美紅がこんな風に自分たちで遊ぶのは今に始まったことではない。そして、こんな悪戯をしながら見守って応援してくれていたことは確か。
「そうだけどさあ」
言うまでもなくバレたことが和夫は悔しい。
香夜子が秘密と言ったのはこの三人に対してではなくあっちの三人のことで、稔にも既にばれている。そして今日一日でどれだけ遊ばれたことか。朝の鬱憤を晴らすが如く稔は和夫を弄り倒してきた。
畜生と言わんばかりの和夫を日向が楽しそうに揶揄いだす。
「なーにを悔しがってるのかわからないですけど、先輩てば今更ー。ね? キノちゃん?」
そうして何故か同意を求められて香夜子は困った。
「香夜ちゃんに振るのはずるいだろ、日向」
間に挟まれて困りはじめた香夜子へ、小波がこっちにおいでと手招きをした。
和夫と日向の間で始まった不毛な遣り取りを横目に香夜子が席を立とうとしたら、和夫が視線もやらずに香夜子の片腕を捕まえた。
「……アリ先輩」
呆れた声で日向に呼び掛けられた和夫が不思議そうに首を傾げる。
「えーと、アリ先輩?」
最早、引き止められた香夜子の声にも呆れが滲んでいる。
自分の行動に対して呆気に取られた後、和夫は呟いた。
「無意識って怖い……」
香夜子の腕をぱっと離した和夫に、揃って溜息が漏れる。
口々に「キノちゃんも大変だね」という声をもらって、香夜子が苦笑いを浮かべる。
今までの無意識を棚に上げて和夫が言った。
「香夜ちゃん、お願い。おれのこと嫌いにならないで……」
狙って言ったのではないのだろうから、やっぱり和夫は間抜けだと香夜子以外が思った。一所懸命に和夫を慰める香夜子が哀れに感じるほどに間抜けだ。
そこが和夫らしくて良いなと小波と日向、美紅は顔を見合わせてくすりと笑ってから、香夜子に加勢することにした。やたらと自己嫌悪に陥っている和夫を香夜子一人に任せるのは、いくら香夜子が和夫の彼女だとしても可哀想な気がしてきた。