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第一章(3)

 ホームルームが続く中、左利きの亜樹也はプリントを机の左側に寄せた。プリントに書き込むこともないのに、シャープペンを持ってプリントの上にペン先をとんと小さく音を立てて置く。香夜子がそちらに視線を動かしたのがわかった。

 とんとんと今度は二度、亜樹也がノートの上でペン先を鳴らしたから、香夜子はそれが自分へ向けられているのだと気付いた。 

 見つめていると、亜樹也の手が動いた。

 左利きの亜樹也の手の向こうに「大丈夫、安心して」と記された。

 どうにか考え付いた一言は捻りもなにもない。そもそも、「安心して」なんて、安易だと思う。けれどもそれが亜樹也の精一杯だった。

 なにをどう話せばいいのか、いまいち見つからない。どうしてそんな風になっているのかも全く不思議だ。

 香夜子は自分もプリントを寄せて返事を書こうとした。けれど勇気が出せなかった。

 できなくて俯いてしまった。

 横目にそれを見た亜樹也はわかりやすい子だなと思った。

 プリントは寄せたのに、シャープペンまで持ったのに、書かないのではなく書けないのだと気付いた。香夜子の俯く顔でわかった。

 香夜子は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。気を遣ってくれたに違いないのに「ありがとう」の一言も書けないなんて。きっと彼を嫌な気持ちにさせてしまったと思うと悲しい。



 シャープペンを握り締めたままひたすら俯いていたら、視線の先に、すっと消しゴムが現れた。

 香夜子が俯いていた顔を上げて亜樹也の方を見ると、彼は真っ直ぐ前を向いて担任教師の話を聞いている。

 消しゴムはまだ新しかった。きっと新品だと香夜子は思った。よくよく見るとケースに向かって小さく赤い矢印が書かれている。矢印の方向を辿ると、消しゴムとケースの間になにか挟まっている。

 ケースをずらしてみると、小さく折り畳まれた紙が出てきた。

 亜樹也の方を見ると、先ほどと同じさまだ。だから香夜子は紙を取りだして開いてみる勇気が持てた。

「僕もね、こう見えてあがり症なんだ。一緒に頑張ろう?」

 亜樹也の気遣いは成功して、香夜子をほっと和ませた。

 横目に見た香夜子が少し微笑んでいるようだった。やっぱりわかりやすい子なんだなと思うと、亜樹也は適当な冊子で顔を隠して笑ってしまった。

 隣から聴こえた微かなくすくすという笑い声にさり気無く亜樹也を見遣って、香夜子は思った。あがり症なんて書いてあるけれど、彼はきっと明るくて気遣いが出来る人。まるで臆病な自分とはきっと違う。

 亜樹也への羨望と共に、どうしてか香夜子は心を軽くした。不思議だった。



 こんな風になりたいという自分が香夜子にはある。そんな自分まではまだまだ遠く手が届かない。

 ボーイッシュな風貌の彼女は性格とは他所に、笑うとつらつさが滲む。

 他人の目にはそう映るようだけれど、本当の自分はまるで違う。きっと違う。香夜子は自分に対して臆病さを隠しきれなくて、自己嫌悪に苛まされる。

 亜樹也の気遣いは少し勇気をくれたかもしれない。

 嬉しくなり、香夜子は勇気もなにも要らずに返事を書いて消ゴムに挟めた。

 亜樹也の机の上に左端にそっと置く。すると左利きの亜樹也の指と自分の手が当たってしまい、気恥ずかしさを覚えた。

 どきどきする。そして香夜子はうきうきとしている自分も覚えた。それは決して亜樹也に対するものではなかった。

 香夜子と同じような感覚を覚えながら、亜樹也は挟んである紙切れを丁寧に取り出した。 

 人と接することに躊躇いがないくせに、どうして勇気が必要なのだろう。文字でしか話しかけられずにいるけれど、伝わったようで良かったと思いながらメモを開いた。

 「ありがとう」と丁寧に一言書かれた返事は惚れ惚れするほど綺麗な字だった。



 自己紹介が翌日に持ち越されてほっとした放課後、香夜子は躊躇うことなく亜樹也にお礼を言った。

「消ゴム、ありがとう」

「消ゴム忘れて来ると不便でしょう?」

 そう言ってまた香夜子に消しゴムを渡す。また紙が挟まれている。

「消しゴム、小さくなっちゃってさ。新しいのたまたま持ってた」

「ありがとう。ちゃんと返すから、少しの間だけ借りていても良い?」

 香夜子がそう尋ねるてみると、亜樹也が「どうぞ」と言った。

 まるでお守りを手に入れた気分だった。

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