第五章(2)
朝、いつも落ち合う交差点に佇む寛太を遠目に見つけたなずなには、待っていた寛大がいつもと少し違うように見えた。
悩ましい案件はとっとと片付けるに限るし、今日はどんよりとした曇り空だった。そろそろどんよりとした寛太が待っていると思っていたのに、まるでそんな雰囲気を醸し出していない。なずなはそのさまに、まるで天気と不釣り合いだなどという失礼なことを思った。
「遅いよ、お前……」
なずなを見つけるなり苦言を吐いた寛太はどこかすっきりした顔をしている。
「ごめん! リーダーの宿題ノート取りに戻ってた!」
寛太は珍しいなと思った。律儀ななずなが忘れ物をすることなど滅多にない。その辺り、彼女はきっちりとしている。前の日にしっかり翌日の準備をし、きちんとしているか確認をしてから眠る。
試しに寛太は尋ねてみた。
「なーんかあったの? 考え事?」
いつもの調子で寛太が聞いてきたから、なずなはむっとした顔をした。思い詰めていそうな寛太を心配していたからそこ心外である。その反面、この様子なら心配なさそうだ。なずなはこっそり胸を撫で下ろした。
のんびり歩きだしながら、それでもなずなは寛太に問い詰めることにした。
「経緯。それくらい話なさいよ」
なんでもお見通しかと思うと悔しいけれど、なずなに心配をかけたのは確かだ。寛太は一瞬だけ困った表情を浮かべたものの、きちんと話すことにした。
「あーでも」
なにをどこから話したらいいものか。寛太の抱えていたジレンマをなずなが全て知っているわけではない。いつだか屋上で香夜子にあんな風に言ったのは自分に言い聞かせるためのようなものだった。香夜子が好きだという気持ちを先行させないために。
「最初はさ、ぼんやりとしてたんだよ」
寛太はそんな曖昧な言い方をしたが、付き合いの長いなずなには何が言いたいのかよく理解できた。
「ぼんやりしてたらさ、なんか変な風な感覚してさ。ホームでアリ先輩見かけた時」
「うん知ってた」
「なんで?!」
すっとんきょんな声を上げた寛太をなずなが誇らしそうに見上げた。
「寛太ってわかりやすいもーん!」
思わず寛太は、滅多に直接的に褒めようなどとは思いたくないなずなを、羨望も込めて褒め称えた。
「お前ってさ、ほんと視野広いよな。すごいよ」
「寛太に褒められるとか、気持ち悪い!」
そう言ってなずなはきゃっきゃと笑ったけれど、言葉とは裏腹に声も表情も嬉しそうだ。
「好いなあって思ったんだよね」
どうしてか寛太は照れくさそうにそう言った。そのさまに、なずなはおバカだなあと若干呆れた。その好いなあが微笑ましいなのか羨ましいなのか、きっとどっちもだったのだろうとなずなは思う。
「でも、胸が締め付けられるんだよ。そういうことなのかなって思った」
亜樹也に「寛太はどうなの?」と訊ねられた時に自分の思いに気付いてしまわなければよかったと、何度思ったかわからない。応援したいと感じたのに胸は苦しくて、もやもやしたものが付き纏う。どうしたら抜け出せるのか答えがわからない。放課後の寄り道になずなと亜樹也を巻き込んだ時だって、結局答えは見えなかった。
「だからあの時、伝えるだけ伝えちゃえばいいのにって言ったの。あんたって立ち直り早いから」
あの時、亜樹也も同じことを言っていた。「振られてすっきりするのもいいんじゃない?」と二人は言ったけれど、寛太は怖かった。
香夜子を困らせたくない。気を負わせたくない。
自分はすっきりしても、香夜子はきっと困った顔をする。そのさまが想像できてしまうのだった。
そう思ったら、どんどん苦しくなってきてしまった。
黙り込んでしまった寛太の背中を、なずなが思いっきり叩いた。痛さに寛太が悲鳴を上げた。
激励なのだか間抜けと言いたいのだか、どっちだよと、寛太は恨めしくなずなを睨みつけた。でもきっとどちらもだ。心配性のなずなの思い遣り。
なずならしいと思ったら、次に寛太は苦笑いを浮かべた。そうしたら、意気地なしとでも言いたいような白い目で刺された。
なずなからすると、誰か好きな人が出来た時の寛太はまるでわかりやすい。そうしていつも寛太はすぐに行動に移す。そんな寛太をずっと見てきたから、余計に今回が心配で堪らなかった。長い付き合いの寛太の落ち込むさまは見ていたくない。
なんだかんだと言い合いながら一緒に過ごしている寛太は元気の塊だ。大らかで明るくて、そんな寛太がなずなは友達として大好きだ。
「言っちゃえば?」
となずなが言った。
「は?」
もう失恋していて自分の気持ちの形にも納得しているのに、どうして今更告白なんてしなければいけないのか。寛太にはよくわからなかった。
香夜子に対する好きの意味は、亜樹也の変な例えですっきりと解かれて胸に留まれた。
こんな風な好きもあるんだなと思い、それが好いなと感じたから、もやもやがさっぱり消えてくれた。解決ということで構わなかった。
のんびりと話しながら歩いていたら、時間が危うくなっている。駅の改札をすり抜けると、二人は駆け足でホームへ向かい、電車に駆け乗る羽目になった。そうしてほっと胸を撫で下ろした。
この二人は小学生の頃から無遅刻無欠席を通している。体調不良ならともかく、こんな理由で電車に乗り遅れて遅刻なんて絶対に嫌だ。
初めて乗った遅刻ぎりぎりの電車は随分と空いていた。
なずなと寛太の最寄駅は学校まで少しだけ遠い。遠いけれども、いつもなら席が空いていても座らずに立って揺られる。元気が取り柄の自分たちには座る理由がなかった。
「亜樹ちゃんにさ、なんか変な例えで荒治療された。そしたらなんだかすっきりしちゃった」
そう言うと、昨日のことを思い出した寛太は笑いそうになってしまった。
まるで亜樹也らしい発想にはっとさせられて、そうして納得してしまえたからすっきりとした。
そんな寛太は、今日香夜子と会話を交わすのが待ち遠しい。自分の気持ちの確認などではなくて、素敵だなと思うありのままの香夜子の姿へ無性に触れたくて、こころが躍っている。
大切な友達の笑顔は元気の源、寛太はそう思う。
「やっぱり伝えるべきだと思う」
電車に揺られながら、もう一度なずながそう言った。




