第三章(4)
学食に行ってみたい。全員が弁当持ちだから、まだ学食を覗いたことがなかった。お気に入りの、まだ新しい、自分たちの居場所である教室でしか昼食を摂っていなかった。
みんなで弁当を持たずに登校したある日、授業の合間の度になずなが目を輝かせて頻りに楽しみだと連呼している。
初めてのわくわくする学食へ大好きな香夜子と、そして亜樹也と寛太、みんなで一緒に行く。
それだけでなずなは嬉しくて仕方ない。
なずなは楽しみ過ぎて、全員が自分と同じ気持ちであると思い込んでいる。賑やかななずなを微笑ましく見守る香夜子の胸の内も、亜樹也や寛太も、なずなが感じているわくわくとした高揚感でいっぱいだったから、なずなの思い込みは間違いではい。
みんなして手に取るようにわかりやすいから、殊更なずなはご機嫌だ。
お昼休み入った瞬間、なずながお財布を握りしめて勢いよく立ち上がった。幾ら楽しみでも全員が呆れた。
「なずなさ、腹が減ってるのと楽しみなのどっち?」
寛太がそう尋ねると、なずなは「どっちも!」とはしゃいだ表情を浮かべている。
「早く行こう! 学食って混みそう! 売り切れちゃう!」
なずなに急かされて、茶々を入れながらも揃って教室を後にした。
「キノちゃん、早くー」
楽しそうに香夜子の手を取ると、なずなが踊るような早足で廊下を歩き出す。苦笑いを浮かべた香夜子は慌てたような足取りだ。
「よくわからないけど、置いていかれたね」
「うん、よくわからない」
亜樹也に寛太はそう返した後で言った。
「てかさ、アレがよくわかる時の方が怖いよ」
なるほど、と亜樹也は思った。
なずなはわかりやすいようでとても複雑だと思う。そうでなければ変わり者のレッテルなど貼られないだろう。亜樹也はそこがが面白い。香夜子といい、なずなといい、もちろん寛太も。みんなそれぞれの個性が強くて見ていても接していてもとても楽しい。
クラスのみんなや級長会のみんなもやたらと個性的で興味深いのは、きっとこの高校の校風のせいだ。毎日がわくわくで溢れるこの学校にして良かったと亜樹也は思う。
寛太は去っていくなずなと香夜子を見送りながら、微笑みを浮かべていた。
見つめていたのは香夜子の背中。
ひっくるめてしまえば、自分たちは随分賑やかだと思う。そこに香夜子が居ることで、朗らかな賑やかさが生まれているように寛太は思う。香夜子は穏やかな陽の日差しのような感覚をくれる。
なんとも穏やかな表情で廊下の先を見つめている寛太に気付いた亜樹也は、ぽんと寛太を背中を叩くと歩きだした。
「あれ? 思ったより空いているかも?」
学食に辿り着くとなずなが呟いた。
「えーとね、なっちゃん。空いてるんじゃなくて、やたらと広い気がしない?」
香夜子の言った通り、学食はやたらと解放的で広い。
と、理由を思い出した香夜子が言った。
「文化系の部活がね、ここを借りて発表会することがあるって聞いてた!」
「講堂じゃないんだ!」
なずながそう返すと、「うん!」と弾んだ声で香夜子が言った。
「アリ先輩たちが言ってたの納得。解放的で素敵な雰囲気だものね、ここ」
そうして念願の学食の風景を二人は目を輝かせて眺めた。
教室の三倍以上に広く見える学食内を見渡す二人の向こうは全て窓だった。芝生の広がった中庭へ出られる大きな窓が並ぶ。壁に飾られている幾つもの絵画は美術部員の描いたものだ。窓と壁とカウンターと廊下に囲まれた空間に、長テーブルの席が迷路のように並んでいる。
「ねえ、二人とも何してるの?」
後から追いついた亜樹也と寛太はどうせこんな具合だと想像が付いていた。
亜樹也はわざとそんな風に尋ねてみたけれど、寛太は二人とも間抜けだなと思いながら言った。
「……お前らさ、席取っておくとかしてくれてもいいじゃん」
なずながこういう状態でいるのはわかる。香夜子なら気回りが利きそうだけれど、なずなと一緒になってこのさまということは。二人して随分と感銘を受けたのだろうねと亜樹也と寛太は笑い出しそうな目を見合わせた。
「だって、すごいじゃない! 席なんて後!」
そう言ったなずなに対して、目を輝かせたまま香夜子は「ごめんね」と肩を竦めた。
寛太と亜樹也は一度学食を覗きに来ていたから、二度目はもう驚かなかった。なずなと香夜子に学食が面白そうだと教えたのも二人である。反応が面白そうだから、どう面白そうかは教えてあげなかった。
昼食を教室で摂る者、学食で摂る者もいれば、部室や他の場所で楽しむ者もいる。そう考えると、この学食は十二分にだだっ広い。
「そろそろ席取って買いに行こう?」
香夜子が声をかけると、なずなが花を咲かせたような笑顔で頷いた。
とにかく広い。四人が来た時間帯も早いから、まだ席は選びたい放題だ。
うきうきと席を選び悩むなずなを、香夜子は澄んだ心地好さを感じながら眺めた。二人を亜樹也と寛太がやはり澄んだ心地で見つめる。
この一瞬に刻み込まれた自分たちの姿が、まるでくっきりと浮かび上がるようだった。
なずなに席取りを任せるのは間違いだったかもしれない。いつまで経っても気移りして決めてくれない。しかし、口を出せば文句を言われることなどわかっているから寛太は黙っていた。しっかり顔に出ていて、香夜子と亜樹也が何も言わずに笑った。
漸く場所が定まって、食券の購入場所へ向かう。
「売り切れてたらどうしよう」
はらはらしているのは、真剣な顔で発券機の前でメニューの並びを確認していくなずなだけだ。早めに来たのだから売り切れなんてないとみんな思う。
「あった! やったー!」
そう言ってなずなは嬉々とお金をちゃりんと投入してボタンを押した。吐き出された食券を掲げて感動している。
そんななずなを寛太が退かし、それぞれ食券を購入しカウンターへ並んだ。
学食へ来たのは、メニューにも目的があった。
学食の名物メニューをどうしても食べたい。
なずなが急かしたり売り切れると騒いでいたのはそういうわけだった。
カレースパゲッティというものを求めて学食へ遣って来た。
香夜子が昨日級長会のみんなに学食へ行く話をした時に、全員が声を揃えて言っていたのが「カレースパ!」。絶対に食べるべきと念を押されてたからにはどうしても食べてみたい。