表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

売れない小説家

作者: エンピツ✍

カチカチと時計の音だけが耳に残る。対面して間に机を介して椅子に男二人が座っている。一人は編集者。

もう一人は作家、というか私應武 平(おおたけ たいら)である。前者は渡された原稿を黙読し、後者は両手を膝に視線を落として慣れない空気の終わりを今か今かと待っている。持ち込みはこれが初めてではないにしろこの空気は慣れそうにない。

 やがて編集者は原稿を読み終えるとトントンと原稿の縦と横を揃え、封筒にしまう。そして大きなため息。ポケットからライターと煙草を取り出し火を点ける。天井に煙を吐いてゆっくりと話し始めた。


「應武君」


「はい!っ・・・・・・」


 突然名前を呼ばれ肩が震え声が少し高くなった。


「うちに原稿持ってくるのこれで何回目だっけ?」


「えっと・・・・・・五回目です」


「あーうん、そうかそうか。五回目ねぇ・・・・・・うんうん」


 頭をかいた後腕を組みまた一服。天井に煙を吐く。


「いやぁ~なんだろうね、つまらないってわけじゃないんだけどね。特に面白いってわけでもないし他と違って尖ってる部分もないしね」


「はぁ・・・・・・」


「一つアドバイスするなら物語はわかりやすく書いたほうがいい。何がしたいのかわからない、何の話だったのか分からないって読者に思われたらそれだけ損だからね」


「はい・・・・・・」


「あともう少し物語の展開に緩急をつけた方がいいかもしれない。ほら、こことか・・・・・・」


 担当が僕の作品に感想とアドバイスを述べていく。結果は散々。作品に多大なる時間と労力をかけ思い入れも深いためここまで酷評だと傷つくし自信も無くす。何度か徹夜もしたことあるのでなおさらだ。

 まあビジネスの世界に思い入れなど一円の価値もないのだが。私の持ち込んだ原稿は金を払う価値もない、そう判断されたのだ。

 作品を返却され「またよろしくお願いします」と挨拶をして出版社を出る。重い足取りで東京駅へ。

14時10分発の新幹線に乗り地元の岡山を目指して約四時間の旅へ。疲れた体を休ませるため少し仮眠をとる。

 当初一時間の予定だったが、次に起きたとき新幹線は姫路駅に到着していた。それほどまでに疲れていたということだろうか。とにかく反省会だ。担当から言われたことをメモにまとめ自分の作品と照合してみる。作品のダメだったところ、良かったところをもう一度確認する。

 作業の2割ほどを終えたところで新幹線は岡山駅へ到着した。荷物をまとめ新幹線を降りる。改札を抜け馴染みある岡山の街へ。すでに夕暮れ。西日に照らされた街が夜の訪れを告げている。家に帰る前にスーパーへ寄り缶ビールを三本買って家路に着く。鍵を開けドアを開けると、


「お父さん、おかえりなさい」


 娘の(ゆき)が帰りを迎えてくれた。娘と言っても血は繋がってない義理の娘だ。幸の両親は彼女がまだ十という若さで交通事故によって他界してしまった。彼女の父親の弟、俗にいう叔父という立場である私は身寄りのない彼女を養子として迎えたということだ。

 僕は妻子をもたない。正確には持てなかったという方が正しい。それでも今は帰りを待ってくれている娘がいる。そう考えれば結婚も今は必要ないなと思ってしまうのである。


「ただいま。幸」


「お風呂沸いてるよ。ご飯ももうすぐできるから」


「ありがとう幸。先にお風呂入ってくるよ」


 荷物を置き、着替えの準備をする。脱衣所で脱いだ服を洗濯機に放り込み洗剤を入れ浴場へ。汚れた体を洗い流してから湯船に浸かる。疲弊した体が癒される。体の芯から浄化されるようだ。十五分ほど体を温めてから湯船を出る。タオルで体を拭きながら余韻に浸る。僕は風呂が好きだ。特に疲れてから入る風呂は至高だとも思っている。バスタオルを洗濯機に入れる。洗濯機のボタンを押して大きな音を出しながら稼働する。彼の仕事はここから始まるのだ。

 リビングへ移動すると食卓には素晴らしい料理の品々が僕を待ってくれていた。全て幸が用意してくれたのだろう。迷走神経が刺激されたことで胃腸は消火活動の準備を始めたみたいで腹の虫が音を立てて暴れだす。それは幸も聞こえたようだ。


「さあご飯にしようか。お父さん、座って」


「ああ。悪い」


 二人は席に座って合掌し言った。


「いただきます」


 幸と食卓を囲みいただく夕食は美味だ。

今この瞬間は幸せな時間だと感じている。二十分ほどで完食し僕は食器を洗いながら幸にたずねた。


「なあ幸。今年は受験生だろう?進路とかもう決まっているのか?」


「えっ?う、うん・・・・・・就職しようと思ってる。・・・・・・でもどうして?」


「就職?進学しないのか?やりたいこととか・・・・・・」


「うちに大学行くお金なんてないでしょ」


「何を言う。一人娘のお前を大学に行かせることなんてわけないぞ。私立、国立どんとこいだ。見てろ。そのうち俺の小説が賞を受賞して印税ガッポガッポだ」


「はいはい」


 僕は娘の不安を払しょくするように夢を大きく語ったというのに幸は呆れながらも笑顔で返した。いまいち信用されていないらしい。だが、こんな二人で笑いあえる日常が好きだ。



☆★☆★☆★



 夜が明けた。月曜の朝。幸は学校を行く準備を、僕は昨日言われた修正箇所の見直し・・・・・・をしたかったが、会社に行く準備をする。僕は普段しがないサラリーマンだ。

 大成しない小説は趣味で書いているもの。幼いころから物語を考えることが好きで暇さえあればよく自分の世界を創造していた。ちなみに小説を書いていることは職場の人間には言っていない。娘しか知らない秘密である。

 車を走らせ十分。小さな株式会社だが、生活するには困らない給料と福利厚生がしっかりしているありがたい存在だ。職場には人数が両手で数えるほどしかいないが、皆優しくとても居心地がいい場所だと僕は思っている。いつも昼休みなどを利用して少しずつ下書きを進めている。

 だが、次回作はいつものように順調とはいかず行き詰っていた。当然といえば当然である。出版社に持ち込む作品は僕にとってその時に出せる最大限の力を注いでいる。それを一度ならず二度、三度となれば心が折れて当然だろう。

 実は僕は次回作の考案と共に幸の将来も心配している。幸も今年高校二年生。来年は受験生になる。彼女が大学や上京、一人暮らしを夢見ているのであればそろそろ現実をもなければいけないだろう。僕は筆を折る決意を少しずつ固めていた。幸のために執筆をやめ、副業も視野に入れていかなければと。

 求人情報誌やインターネットを使い良さそうな求人を探す。隙間時間を使って一円でも多く稼げる仕事。そこで見つけた夜勤バイト。深夜の勤務にはなるが、手当てもつき一回で一万近く稼げるので副業にはもってこいだった。僕の会社は週休二日の週5勤務だが、金曜、土曜の夜を使えば何とか働けることができる。僕の足は速かった。履歴書を作成し応募。面接を通し採用された。

 夜間警備の仕事。ある時間の巡回を済ませ、何事もなければ基本フリーな時間が多い。それを使って次の小説のアイディアを練る。やはり次回作は難航している。青春、恋愛、ミステリー、SF、ファンタジーあらゆるジャンルに手を出しては編集にNGを喰らっていたからだ。書き出しを考えていればあとは流れに任せて書けるかもしれないとペンを持つも何も浮かばない。筆が走るときはスラスラ辞め時を失うほどにかけるものだが、今はどうもダメらしい。と、そこでコールを受けた。仕事に向かう僕。頭の中はぐちゃぐちゃだ。

 そこから三週間が経過した。次の小説はおろかアイディアすら出ていない状況だ。焦れば焦るほど頭は回らない。淡白な毎日だけが過ぎていった。

 日曜日。今日は会社もバイトもない。一週間で唯一の休み。僕は幸と一緒に朝食をとっていた。


「・・・・・・さん・・・・・・・・・・・・うさん!お父さん!!」


 幸の言葉でハッと我に返る。どうやら朝食中にも関わらず眠ってしまっていたようだ。


「ああ・・・・・・悪い。どうした幸?」


「どうしたって・・・・・・大丈夫なのお父さん?・・・・・・やっぱり無理してるんじゃ」


「なに平気だ。昨日はちょっと仕事が長引いちゃってな、ははは」


 無理して笑顔を作る。本人が望むなら本人には少しでもいい大学に入ってほしい。そのためには金がいる。文章で稼げないなら体で稼ぐしかない。せっかく軌道に乗ってきたっていうのにやめるわけにはいかない。今日しっかり休めば疲労も回復するはずだと僕は自分を騙すように言い聞かせた。だが、ゆっくりと確実に足音を立てながらそれは近づいていた。


☆★☆★☆★



 一ヶ月が経過した。変化が起きたのは幸が学校の昼休憩で友達と話していた時だった。


「應武さんいる!?」


 担任の先生が血相を変え教室に飛び込んできたのだ。


「どうしたんですか、先生?」


「應武さん。あなたのお父さんが・・・・・・」


「えっ?」


 担任から聞かされた言葉は驚くべきものだった。

 なんと平が会社の勤務中、倒れて救急搬送されたのである。幸は早退し、飛ぶように父が運ばれた病院に駆けつけた。

 幸いにも担任が来るまで送ってくれたため通常より短時間で到着することができたのである。

 感謝を述べ受付に向かった。

 應武 平の家族だと告げると看護師が病室へ案内してくれた。病室はベッドが四床ある多床室で平はその右奥のベッドで横になっていた。右腕には点滴が繋がれている。


「お父さん!」


 ここが病院だということも忘れ叫んでいた。幸いにもここは他に患者がいなかったので迷惑にはならなかった。


「幸か・・・・・・」


 平はかすれた声で呟いた。倒れた原因は過労と心身のストレスとのこと。弱弱しい姿を見て怒りと悲しみが同時にこみ上げてきた。


「もう!・・・・・・心配したんだから」


「すまない」


 平の布団に顔をうずめる。涙で濡らしてしまっているが、今の幸にはそんなこと関係なかった。父が無事でいてくれた。ただそれだけで。

 幸は過去に両親が失っている。またそうなると考えると恐ろしかったのだろう。

 その後、平は安静と栄養を摂り徐々に回復し退院できた。副業で入れていたアルバイトは全て解雇され、本業の会社からは怒られ休職を言い渡された。平はなんと愚かなことをしたのかと身に染みて感じた。

 そして幸に約束をした。もう二度と無茶はしないと。

 余談だが今まで稼いだアルバイトのほとんどは入院費で消え、本末転倒という結果に終わった。




☆★☆★☆★




 心地よい春の風が街を吹き抜ける。あれだけ肌寒かった気温も二桁に上がり、暖かい昼を作っていた。天気は晴れ。こんな日に外に出て散歩でもすれば素晴らしい気分を味わえるだろう。そう確信させてくれるほどに。

 そんな中、平は自室で小説を執筆していた。家には今誰もいない。娘の幸は友達と出かけている。

 つい先日まで一文字も書けなかったあの日の自分とは打って変わって今は右手に握っている鉛筆が止まってくれない。頭の中に絶えず文章が流れそれを書き写していく。新しい物語が生まれる。いや、作ったというよりは語らねばならないという使命感に駆られているという感覚のほうが正しいかもしれない。

 そして原稿を完成させた。電話をかける


「あっ、はい。お疲れ様です!應武です。今お時間よろしいでしょうか?はい、はい。また作品が書けたので読んでいただきたいのです」


 平は編集を話しをして四月十日の平日に許可を取ることができた。同時に吹っ切れた感じがした。この作品がどの評価を受けようともおそらくこれが最後になると考えたからだ。

 作品のタイトルは『父と娘』。不器用な父親と優しい娘との絆を描いたストーリーだ。何度か衝突を重ねながらも次第に仲が深まっていく。そんなヒューマンドラマ。

 その日の夜、二人で食卓を囲みながら幸に報告する。


「えっ、すごいじゃん。また作品を見てもらえるんだ」


「うん。だからその日はまた遅くなるかもしれない」


「いいって気にしないで。今度は賞取れるといいね」


 平は一瞬手を止めたが、すぐに「あぁ」と言って食事を再開した。”今度は”かと。何度も何度も挑戦したときに思っていた言葉。

 だがそれも次で最後だろう。

 当日。新幹線に乗って東京へ。そして出版社。受付を済ませ、担当に原稿を読んでいく。平が世界で一番嫌いなこの時間。時計と紙の音だけが空間を支配するこの沈黙。握っている拳に汗がたまる。平は裁判で被告が判決を言い渡されるまでの時間の気持ちはこんな感じなのかなとふと思っても見ないことを考えていた。

 担当が原稿を読み終えたようで縦と横の端を机を使って綺麗に整え封筒にしまった。


「いいよ」


「へ?」


 思わず素っ頓狂な声が出た。


「だいぶいいよ今回は。もう少し修正すれば賞も狙えるレベルになるだろう」


「本当ですか?」


「ああ。俺は嘘が嫌いだ」


 呆気にとられたが、平は素直に嬉しかった。自分たち親娘(おやこ)を褒められているような気がして。

 こうして平の作家人生は終わった。帰りの新幹線で今までのことを振り返っていた。だが、この選択に悔いはなかった。彼にとって一番の傑作を生みだせたのだから。

 駅からタクシーに乗り換え自宅に帰る。幸が出迎えてくれた。

 上着をクローゼットに片づけたり、沸かしてくれたお風呂で疲れをとって部屋でくつろいだりしていたら幸がちょくちょくこちらを見ていた。

 おそらく結果を聞きたいのだろう。だけどまた担当に却下されてその心の傷を掘り起こそうとしてしまっては申し訳ないと思って自分からは話しかけづらいのだろう。

 全くそんな気遣いは無用だというのに


「幸。小説の結果な・・・・・・」


 幸の体がビクッと震える。自分が聞きたくても聞けなかった話題を本人から振ってきたのだ。驚くのも無理はない。


「だめだったよ」


「え?」


「もう一歩というところまでは行ったんだけどな。どうやら及ばなかったらしい。でもいいんだ。今までの全てを出し切った結果だから」


「お父さんはいいの?」


「あぁ」


「そうなんだ・・・・・・」


 幸は少し寂しそうな顔をするが、自身を納得させ笑顔を作る。


「今日は美味しいご飯いっぱい作ったんだ。励ましになるかは分からないけどお腹一杯食べてほしいな」


 食卓には豪華なごちそうが並んでいる。全て幸が作って帰りを待ってくれていたんだなと考えると平は胸が熱くなった。

 その日食べた夕食を平は生涯忘れることはないだろう。



☆★☆★☆★



 あれから三ヶ月が経った。季節は夏。

 平はサラリーマンとして今日も会社に出勤している。衣替えを済ませたというのに夏の暑さは勢いを増し、人々に過酷な労働環境を強いていた。

 だが、それも幸のことを思えば苦にはならない。充実している。前の生活が嘘のように。

 そんな幸が進路について相談したいと言ってきたのは涼しげな夏の夜のことだった。


「女優になりたい?」


「ダメ・・・・・・かな?」


 今まで自分の手の中で育て、苦労をかけさせていた幸から聞いた初めての夢。

 最初は戸惑いもあった。だが、今まで自分のわがままを聞いてきた幸に恩を返す時が来たのかもしれない。

 幸は夢をかなえるために必死に努力していた。演技や発声練習

 そして養成所へ見事合格。それは東京にあるためこの四月から一人暮らしを始めることになった。

 新幹線の改札前で別れの挨拶に来ていた。


「これ、良かったら食べて」


「ありがとう」


「生活リズム乱すなよ。辛いときがあったら電話するんだぞ」


「ふふっ、お父さんがそれ言う?」


「うるさい。経験者は語るってやつだ」


「わかってるよ。お父さん心配しすぎ」


 あまりの過保護に笑みを零す幸。こんなやり取りもしばらくできなくなると考えると平は寂しくなった。だからと言って止めることはない。


「それから幸の活躍楽しみにしてる」


「うん・・・・・・あっ、時間だ。じゃあねお父さん」


 改札を通り新幹線のホームへ向かう。平は娘の姿が見えなくなるまでずっと手を振り続けた。

 幸も同じように手を振っていた。世界で一番大好きな父に。

 数年後、ネットやテレビで活躍する彼女の話はまた別の話。



                         ~FIN~

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ