3LDKのお姫様
白を基調とした、荘厳な造りのザッハ王宮の。
その屋上にある、青く輝く天空薔薇園で。
少年と少女の二人は見つめ合っていました。
少年の名はトルテ。この国の王子様。
少女の名前はエクレア。この国のお姫様……になる予定の主人公。
トルテ王子はエクレアの手を取ると、左手の薬指に指輪をはめました。
「恐らく、僕は君が現れるのを待ち続けていたんだ。これは運命の人、だと。」
王子の淡い碧眼が月の光を受けて、エクレアを包み込みます。
「私も……幾千層も王子様のことをお慕い申しておりました。」
エクレアも、この日のために何度も何度も練習した、とっておきのセリフを、一言一句丁寧に発します。
王子がそのままエクレアの手を引き寄せると、二人の距離はより縮みました。ほのかに香る、甘い薔薇の香りがエクレアの鼻孔をくすぐります。
王子のクリーム色をした髪の毛がエクレアの額に架かると、エクレアは一瞬、びくっと体を揺らしました。
「大丈夫。怖がらなくていいんだよ。」
髪の毛が目に入るのを恐れたエクレアでしたが、王子はそう解釈してエクレアのほほを撫でました。
「さあ、誓いの口づけを。」
二人の顔が近づきます。エクレアはぎゅっと目をつぶりました。そして。
「エクレア……」
「トルテ様……」
王子はエクレアの、エクレアは王子の気持ちを受け止めようと、お互いに両手を広げて……。
★★★
「……めるみゃ!」
外野から、雑音が聞こえる。こんなところにはいないはずの生物の声。
(うっさいなぁ、いいところなんだから邪魔しないで。)
声は無視。エクレアは両手を広げ、口を3の字に突き出した。
(トルテ様!いつでも来ていいのよ。準備はばっちりなの!さあ、はやく!)
「ん~❤」
「やめるみゃ!ぼくみゃ!」
目を開けると、そこにいるのは王子ではなく、黒ウサギ。目前に迫る獣の顔に、エクレアは思わずおののいた。
「ギャー、シルキィ!何やってんの!」
「それはこっちのセリフみゃ!」
エクレアは、人語を話すその小動物を勢いよく突き飛ばすと、慌てて口を拭いた。
「まったく、口の中が毛玉まみれになる所だったじゃないの!」
「僕のせいじゃないみゃ!」
怒ったウサギを横目に、あたりを見回す。
見慣れた勉強机、見慣れた本棚、見慣れた天井。エクレアは自分が王宮にいるのではなく、自分の部屋であることを認識した。
「あれ?トルテ王子は?ひょっとして夢?」
エクレアは、一瞬落ち込みかけたものの、しかし、左手に燦然と輝く魔法真珠の指輪がはめられているのを見つけた。
(夢、じゃない!)
エクレアがにへらぁ、と若干気持ち悪く笑うのをシルキィは生暖かく見守る。
王宮に呼ばれた、あの日。間違いなく、エクレアは妃候補の内の一人に選ばれたのだ。思い出すだけで、エクレアの気持ちが高揚する。
「指輪も、あのキスも夢じゃなかったのね!」
「キス?あの儀式にそんなものはなかったみゃ。捏造してはいけないみゃ。エクレアのスケベ。」
「うるさ~い!」
顔を真っ赤にしたエクレアは、手元にあった枕でシルキィの頭を叩いた。
「しかし、何とか無事に婚約の儀を執り行えてよかったみゃ。王子様を騙し通せてよかったみゃ。」
「騙し通す?なぁ~に失礼なこと言ってるわけ?」
「本当のことみゃ。」
エクレアはすました顔で会話するウサギのほっぺをつんつんした。
この、みゃ~みゃ~うるさい黒うさぎは、使い魔のシルキィ。小生意気にも白いタキシードを着こなす彼(……彼女?)はその胸ポケットから花柄の白いハンカチを出し汗を拭った。
「大体ねぇ、ウサギだったらぴょんとか言ったらどうなの?」
「ウサギはそんな鳴き方はしないみゃ。」
「じゃあどんな鳴きかたをするのよ。」
「知らないみゃ。勝手に調べてみるみゃ。」
ウサギが無責任な態度をとったので、エクレアは本棚から、少し埃を被ったどうぶつ図鑑を引っ張り出した。そして、埃を手で払うと、ページをめくってウサギの章の記述を読み下げる。
「なになに、ウサギは声帯を持たない?声帯を持ってないのにどうしてしゃべってるの?」
「知らないにゃ。魔法世界には現実世界の理はきかないんだみゃ。」
シルキィは反論するが、エクレアの耳には入らない。
「えっと、声帯を持たないのでぶ~ぶ~鼻を鳴らすんだって。へぇ。」
エクレアの口元がにんまりと歪む。実に邪悪な笑顔である。
「みゃあ、なんて気取ったこと言わないで言ってないでブーブー言いなさいよ!」
「いやだみゃ!使い魔の沽券に関わるみゃ!」
「ウサギの癖に、ずいぶん難しい言葉使ってるわねぇ?こけんって何よ!」
二人(一人と一匹?)がそんな風に騒いでると、一階からのんびりした声が聞こえてくる。
「エクレア~?起きたの~?早くしたないと朝ごはん片づけちゃうわよ~?」
「ママ!ちょっと待て!今行く!」