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6 あーんなことや、こーんなこと!


 家に帰った俺は──。あまりの痛さに大急ぎで冷凍庫から氷を取り出し、殴られたこめかみを冷やした。


 五円玉だ。あいつ、五円玉を握りながら殴って来やがったんだ。


 異常な痛さの答えへと辿り着き、腸がさらに煮えくり返っていると──。


「お兄、どしたの? もしかして喧嘩〜?」


 リビングでくつろいでいた妹の真奈美が俺の元へと駆け寄ってきた。


「どーもこーもねーよ。いてーよ」

「は? 主語」


 妹は中学二年生にして、属性は今を煌めくギャルだ。

 いったいどこでDNAを掛け違えてしまったのか、俺とは違って持って生まれて来た妹だ。


 ギャルゆえに、お兄ちゃんと『ちゃん』付けで呼ばれることはないが仲間睦まじい兄妹だと思っている。


「だから! いてーんだよ! 見て察しろ!」

「うん。それは見ればわかるんだけど。同じこと二回も言わせんなし?」


 幸いにも母ちゃんはママさんバレーで居なかった。不幸中の幸いとはまさにこのこと。

 まさかにも「隣の家の環奈ちゃんに五円玉カッターでキズモノにされちゃった!」なんて、ご近所付き合いがある以上は言えるわけがないからな。


 そうなれば誰にやられたのかを吐かせるのが母ちゃんの仕事。


「ちくしょう……」


 なにがちくしょうなのか。ちゃんちゃらおかしな話だった。

 俺にグーパンしてきただけではなく、あまつさえ五円玉カッターで切り掛かってきた。


 そんな女の身の安全が保障されたことにホッとする自分に腹が立つ。


「ちっくしょー!」


「いや、だからさ、どうしたのって聞いてんだけど? ふざけてんの?」


 おっと。いかんいかん。怒りで妹の存在を忘れていた。


「……環奈にやられたんだよ」

「え? 嘘でしょ? その傷、環奈ちゃんにやられたの? なになに? どういう状況?」


 とはいえ妹に隠す必要はない。

 下手に隠そうとすればボロが出るのは目にみえているからな。


 ギャルとは感受性豊かで、口の悪い生き物だ。


「だからそうだって言ってるだろ。少し静かにしてくれよ。まじで痛いんだから……。……お兄ちゃんはもしかしたら、今日死ぬかもしれない」


 本当に痛い。病院に行ったほうがいいだろ、これ……。


「うける! なになに? なにがどうしてそんなになったの? 早く言ってごらん?」


 ギャルに隠し事は無謀。ってことで、すべてを話すと──。あろうことか妹はお腹を抱えて笑い出してしまった。


「なにそれ! まじうける! 環奈ちゃんらしいわ〜! ってことは今頃はパンツを見られて顔を真っ赤にしているわけだぁ! ちょっと様子見てこようかな」


 待て、妹よ。そうじゃないだろ?


「殴られたんだぞ? 大好きなお兄ちゃんがぶっ飛ばされたんだぞ?」


「うーん。大好きかどうかはさておき、それを自分で言っちゃうお兄はまじでキモいけどさ、話を聞く限り悪いのは普通にお兄だよね?」


「……は?」


 俺が悪い……? お兄ちゃん大好きっ娘の妹である真奈美が俺を肯定しないだと……?


「あのさ。いつも言ってるじゃん。環奈ちゃんはお兄のことが大好きなだけなんだってさ。そろそろ気持ちに応えてあげなよ〜。そんなんだから殴られちゃうんだよ〜」


 あぁ。なんだよ。そういうことか。


 ったく。真奈美は困ったちゃんだぜ。


 大好きなお兄ちゃんだからこそ、こうであってほしいという願望が現実を捻じ曲げちまうんだよな。こればかりは仕方がないか。


「あぁ、そうかよ。じゃあ俺はちと病院行ってくるからな。母ちゃんが帰って来たら適当に誤魔化しといてくれよ。帰りにお前の大好きな苺アイス買ってくるからさ」


「あー……」


 何故か真奈美は考えるような素振りを見せた。そして──。


「ねぇ、やられっぱなしでいいの? お兄も催眠術覚えて仕返ししちゃいなよ! そうすれば絶対に面白いことになるからさ!」


 なにをバカなことを言って……。とは思うも〝やられっぱなしでいいの?〟という言葉が脳内で木霊する。


「うっ……」


 言葉に詰まっていると、真奈美はさらに続けた。


「一年間もさ、環奈ちゃんの催眠術に付き合ってきたんでしょ? ってことはさ、お兄は催眠術のノウハウを学ばずにして身につけてると思わない? だったらさぁ、やられたらやり返す、催眠術で! って思うのが普通じゃない?」


 うっ……。思うか思わないかで言えば、思うよ。


 俺の心は復讐の業火で煮え滾っている。


 けどな。お前に一部始終を話す際は端折ったけど、俺はおっパ〇通いのしょうもない男だ。どうしたって、それに対する後ろめたさがある。


 そんな俺が復讐を実行したら、今よりずっと惨めになるだけだろうが。


 叶わぬ恋と認められずに、ストーキングに走る男と同列になっちまうよ。


 だからもういいんだよ。俺の中で環奈は終わったんだ。

 十年に及ぶ片思いは、始まりから既に壊れていたんだよ。すべては嘘に包まれていたんだ。


 あいつにとっては……今日、グーパンチをするためだけの関係だったんだ。腐れ縁なんかじゃなかったんだ……。


 ……ちくしょうめが……クソッタレ……。


 だから俺の答えは、NOだ。


「思うわけないだろうが。ていうかもう、環奈の話はやめてくれ……。お腹いっぱいだ。あいつのことなんて、思い出したくもない」


 言いながら立ち去ろうとするも、真奈美は間髪入れずに続けた。


「いやいや、お兄。よーく考えてみ? 環奈ちゃんを催眠術に引っ掛けたらさ、エロいことだってできるんだよ? 命じるがままにやりたい放題、好き放題♪ あーんなことや、こーんなこと♪ わかる? あ、ていうか環奈ちゃんって、おっぱい超大きいよね。柔らかそうだよね〜」


「──────ッ?!」


 あ・ん・な・こ・と・や?!


 こ・ん・な・こ・と?!?!




 俺の中でなにかが弾けて飛んだ、瞬間だった──。

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