1-3 偽善 其ノ参
「……っ、これで、一つ目……」
「流石だな、ルクロ。あと一往復だ」
「……はい」
僕らは今屋敷の敷地外にある、沢山の人が住む住宅地に来ている。
住宅地とは言ったがほとんどの家はボロボロで、オオカミの吐息で吹き飛ばせそうなものばかりだ。ここまで言ったら分かると思うが、もちろん住むのは貧しい人達ばかり。
僕ら−――、というよりケンラン家は全国各地に点在している名家と呼ばれるような家の一つなんだけど、この時代における名家というものは凄く厄介極まりない。
一つ一つが莫大な富と権力を持ち、好き勝手に一般人から税を徴収することが可能。
しかも政府に賄賂を渡すことでその存在が黙認されている、馬鹿でも見れば分かる名家の貴族と一般人の『超格差社会』だ。
そしてこのケンラン家も、シラハ様が当主になるまではそのような一般人から財産を巻き上げるような家だったらしい。当時は、ていうか今もだけど名家にとってそれは正しいから誰も責める人がいない。
だけど。
「はぁ、はぁ……。シラハ様、運び終わりました」
「ご苦労だったな。休んでおけ」
そう言われたので僕は自分が持ってきた巨大鍋の横に座り込む。そして、鍋に触れて火傷するのを防ぐための軍手を外して、ポケットに入れた。
「おい、今日も来たらしいぜ!」
「本当か!? 早く並びに行こう!」
街中の子供たちが、こっちを指差して騒ぐ。
「サアカ、料理自体は既にできておるのだな?」
「はい。温めも向こうで済ませてあるので、すぐにでも配れます」
「流石だな。なら早速始めよう」
そう言いながらキョロキョロするシラハ様。
「……? どうされました?」
「いや、そう言えば食器が見当たらないなと思ってな」
……え?
「……あ、言うのを忘れていたな。心苦しいが……食器、取りに行ってくれ」
「本当、ですか……?」
もう僕に動く気力はない。けど、召使いの身としてしなければならない。
「……行って参ります」
「ああ。気をつけろ」
同じ日に3回目ともなれば、嫌でも慣れますよ。
「今度こそ動けません……」
僕が運んできたのは食器。皿とスプーンだ。
たかが皿でそんなに疲れるか? 侮らないでほしい。この皿、多分三百枚はある。
今までかなりの回数やってきたものだが、未だにこれは慣れない。毎度の如く疲れ果てる。
「よく頑張ったな。流石だ」
シラハ様が労いの言葉をかけてきた。
「サアカさん……後、頼みます」
「元からお前の仕事はこれ以上なかっただろ。まぁ、任せな」
サアカさんはそう苦笑して、折り畳み式のテーブルを立ててその上にたっぷりのスープが入った鍋と食器を置く。目の前には既に沢山の人が待っていた。
そして、サアカさんは驚異的な速さでスープを皿に入れ始める。
「残さず食べてくれよ」
そう言って、サアカさんは微笑んだ。
「ありがとうございます!」と、貰った人は大体言う。
直接の感謝の対象は僕じゃなくてサアカさんとシラハ様だろうけど、そこに関わっただけでも感謝されるのは気持ちがいい。
平たく言ってしまえばこの家事情は、単なる『ボランティア』だ。
貧しい人達の為に、ケンラン家の財産を使って食事を与える。ただ、それだけだ。
これを週に三回、およそ三百人にする。馬鹿にしようにも逆に馬鹿にされるレベルの費用がかかる。
ちなみに、シラハ様の収入はほとんどゼロと言っても過言じゃない。先代当主やそのまた先代が蓄えた貯蓄を切り崩しているだけだ。まぁこれが膨大な額あるから生活には困ることはないんだけど。
さらにプラスで、シラハ様はこの街内で人々に配る料理に使う食材を買っている。それも、大量に。これでこの街の経済も活性化させようとしているのだ。
他の名家が支配する街は、重税によって元々の貧困に拍車がかかるらしい。
だけどこの街だけはかなり違っているおかげで、市民の貧困も大分マシにはなっているらしい。でも、まだまだ『普通』には程遠いけどね。
「終わりましたよ」
開始から約十五分。持ってきた鍋のスープは底をついていた。
「ああ、流石だ。感謝するよ。お前もな」
「まぁ、毎日やってますけどね……」
言いながら、僕は立ち上がった。空の鍋を持って帰るのは、行きより遥かに楽だ。
「では、私達はこの辺りで帰ろうか。ルクロは皿を頼む」
「ああー……またですか」
「鍋くらいは持ってやるよ。な、サアカ」
「そう言われては。持ちますよ」
シラハ様とサアカさんに鍋を渡して、食器を持つ。さっき持ったけど、想像の四倍はズシッときた。
「帰ったら、また買い物か。ルクロも疲れてるし二時間後くらいでいいか」
「ありがとうございます……」
「今日の夕食の予定は?」
「何にしましょうか……。帰り着いたら決めるとしましょう」
談笑しながら、三人で帰路を辿る。
その時、後ろからヒソヒソ話が聞こえてきた。
「……毎度毎度のように現れやがって。俺達が誰の所為で生活苦労してると思ってんだ」
反射的に僕は、足を止めてしまった。
「何をしたところで昔の家の罪が消えることはないんだよ」
「いっそのこと家壊して死んでくれた方が……」
「馬鹿、聞こえんぞ!」
頭の中だけでも、何か弁解しようとした。けど、何も言葉が出てこない。
「……『偽善のお嬢様』がよ」
咄嗟にシラハ様の方を向いた。
召使いの僕でさえショックを受けたんだ。当事者のシラハ様は……。
「どうしたルクロ、置いて行くぞ? 早く歩かないと」
こっちを向いたシラハ様はいつもと変わらない冗談を僕に飛ばした。
けど、再び前を向いた時に見えた横顔がとても悲しそうだった。
お嬢様がなんでこんなことをし続けるのかは、お嬢様しか知らない。
けど、あの人は優しいから。これだけは、絶対に事実のはずだから。
第一章『偽善』、終わりです。