1−1 偽り 其ノ壱
「そろそろ庭の木の葉っぱも散り始めてるなぁ……。掃除が大変そうだ」
僕、『ルクロ=ショウシ(ルクロ)』は枯れかけている庭の木々を見上げながらそう口にした。
春の時は桜も満開で、偶に街の方々も見に来られていたのに今では見る影もない。まぁ、僕も『枯れた木でも見に行こう!』となんて誘われたこともないから、それはごく自然なことなのかもしれない。
春に咲き誇り、夏も緑を茂らせ、秋には紅く染まりいずれも季節の風物詩に数えられるほどの実力を樹木という存在は秘めているというのに、冬になればすっかりこれも見る影もなくなってしまう。悲しいが、再び春にこの木が人生を謳歌することを期待しよう。
「おっと、いけない。今日も掃除はあるんだ。早く終わらせよう」
誰にも聴こえるはずのない独り言を呟いて、持っている箒を動かした。
「この庭、相変わらず結構広いよなぁ……。一人は流石にキツイよ」
愚痴っても、誰にも聞こえない。幸運でもあり、不幸でもある。
ゴーンと、午前十時を鳴らす鐘が鳴った。街の中心部にある役所の鐘だ。
十時ともなれば流石に大体の人が起きている。つまり、この敷地内にいる『お嬢様』もきっとそろそろ起きていることだろう。極端に朝に弱いが、昨日は早く寝ていたはずだ。
そう言えば昨夜『明日は早起きすると誓おう』と言っていたし、珍しいことだが既に起きているかもしれない。
「っと……、ボーッとしている時間が長すぎたかな? こんなことを言っても掃除は終わらないし、早く済まさないと。昼御飯に遅れればお嬢様も機嫌を悪くするし……」
枯れた桜に同情するのを止め、僕は手を動かし始めた。この桜の木達には是非とも自身の葉っぱを風に煽られるごときではびくともしないような頑丈な身体を目指していってほしい。
もしくは、自分が散らした葉っぱを自分で回収する自己完結能力でも構わない。あ、この目で一度くらい見てみたい気もするし、やるとするならできれば後者優先で。
ただ、そんな僕の儚い願いを却下するようにいつもより少し強い風が吹き、木達の枝を煽る。
それと同時に、地面に置いてあった僕が集めた葉っぱも煽られる。そして、飛ぶ。散らかる。
「あっ……」
思わず声を発した。結構掃除も佳境に入ってきたところなのに、ここで一からやり直しは流石にやる気がなくなってしまう。それだけはなんとしても避けなくては。
でも僕は風を自由自在に操れるなんて便利な能力は持っていなくて、無力にもそこに立ち尽くすことしかできなかった。
「ああ……」
口から悲痛な叫びが漏れる。頼む風。止まれ。僕が掃除をしてる最中だけ、二度と来るな。
そして、風に乗った愉快な葉っぱ達は、この屋敷のドアを僕の視線からちょうど隠すようにして舞っていた。
そして次の瞬間。
「はーっはっはっは! 愚民どもよ、その膝をついて私に敬意を払うのだ!!」
と、謎に元気の乗った声が庭中に響き渡った。
一瞬だけ、驚いた。が、こんなことをする人間はこの屋敷に一人しかいないはずだ。
僕は、葉っぱが飛んでいった悲しみも乗せて少しため息をついてから、その人を呼んだ。
「……どうされたんですか? シラハ様」
「こっちの台詞だな。どうしたのだ、そんなため息などつきおって。幸福が逃げるぞ」
「あ、大丈夫です。既に逃げたんで……」
そこにいた『シラハ=ケンラン(シラハ)』お嬢様は少し考えたあと、僕の方を向いて「まぁ、どうにかできるだろう」とでも言いたげの顔を浮かべた。
「いや、それがどうにもならないものでして」
「……何故私の言うことが分かっているのだ、お前」
「え? 顔に書いてましたよ。例え狐でも狸でも、言葉を教えれば読み取れたと思います」
「うぐぐ……、まぁ良いか。流石だということにしておいてやろう」
なんて分かりやすい人なんだろうか。
「そろそろ言及しておく必要があると思うのですが……、最初の挨拶、それ何ですか?」
僕は最初から思っていることを素直にぶつけてみた。
「うん? ああ、これのことか。 先ほどまで暇だったものでな、外行き用の挨拶を考えていたところだったのだ! 感想はどうだ?」
まさかの答えに、僕は絶句した。
「えーっと……。感想、ですか?」
「そうだ。感想だ」
「お嬢様……、その挨拶に至った経緯を教えてください」
僕は遠慮がちに聞く。
「もちろん構わん。今、私は一応この家の当主な訳だが……」
「そうですね。周りの当主の方々に比べるとかなり若いですが」
「そう、それだ! 名家の当主たるもの、例え年齢が幾つであろうと敬意を払われなければならない。そこで、普段の行いを意識しようと思い、挨拶にも威厳を持たせなくてはなと思ったわけだ! どうだ、威厳は感じられたか?」
「はっきり申し上げると、『威厳』と『傲慢』の意味を履き違えていませんでしょうか?」
「……そうか?」
自覚がないのが恐ろしい。いつか図らずとも敵を作ってしまいそうで、とても怖い。
「普段、他の方々に対してどのような挨拶をなさっていたのですか?」
「流石のお前なら当然知っておるだろう。もちろん、『私はケンラン家当主である、シラハ=ケンランです』とだな」
「それでいいじゃないですか、一番無難で。正直、先程の挨拶だと要らぬ敵を作ってしまわれそうですよ」
再びため息をついて、僕はシラハ様を諭した。
「うむ……、そうか。まぁこれ自体遊びで考えただけの代物だからな。案ずるな」
「良かったです。僕は頭がとうとう逝カレてしまったのではないかと……」
「何か言ったか?」
「いえ別に何も言っておりませんよシラハ様」
ギリ聞き取れるくらい早口で言った。後が怖いから。
「ところで、朝食はもう済ませたんですか?」
「つい先程な。今日のフレンチトーストも大変味が良かった。サアカもまた腕を上げたな」
「僕もそう思いますよ」
『サアカ=ゼンテ(サアカ)』さんはこの屋敷専属の女性料理人だ。元より人が極限に少ないこの屋敷の人への食事を作るなどのことをしている。
腕は確かで、本人の前職は一流レストランのコック。事情があってやめたところをシラハ様にスカウトされたらしい。
ちなみに、ここケンラン家と言えば知らない人の方が少ないほどの名家だが、先代当主でもあったお嬢様の両親は既に亡くなっている。その為現在はシラハ様が当主であり、この人の意向により召使いは極限まで減らして僕一人。プラスで料理人のサアカさんくらいしかこの屋敷を出入りしないのだ。
召使いが僕一人なのは、経費削減の為。お金に困っているわけでもないが、彼女曰く
『そこまでの数なんて要らないだろう』と。言っていることは合っているのだが、一人で庭掃除をする僕の身
にもなってほしいという感じは少しする。まぁ、それが僕の仕事なんだけれども。
「……ところでなんですが」
「なんだ?」
僕は、よくよく見たら寝癖がついているシラハ様に気づいて、そう聞いた。
「今日、何時に起きました?」
「つい先程だが? 九時半は少し過ぎていたかもしれない」
沈黙が流れた。というか、僕が流した。
「……あの、お嬢様」
「なんだと言っておるだろう。どうしたのだ」
「『朝、早い時間』って……、どのくらいを指します?」
「人によるだろうが……、私は七時八時だと思う。それがどうかしたか?」
僕は再び沈黙を流した。
「シラハ様……、寝癖を直しておいた方がよろしいかと」
そして、あとで今「あっ……」とでも言いたげなこのお嬢様に目覚まし時計の購入を勧めようと固く誓った。