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生い立ち

私は子供の頃から、第1子だったこともあり我が儘で自己中心的でした。

気に入らない事があると頭打ちつけたりしてました。

思い出せる限りでは4歳かな。

その後も、対処しきれないストレスには自分を叩く等自傷傾向がありました。

昔から打たれ弱く良く泣いてました。


学生時代、真面目で責任感が強く、一つの事に集中する傾向があり良くも悪くも回りが見えなくなる。

優しく、言いたいことが言えない等今に繋がるような感じですね。

(言いたいことが言えないはカウンセリングにより改善はしましたが。)

人と話すのも苦手、発表も苦手。

自己評価が低かったので自信が持てなかったんだと思います。

その分他者の評価は異常に気にしてました。

友達も少な目でした(これが接客業大好きになるとは)

また長距離走がずっと苦手でした。

100メートル越えると苦しくなる。

中学時代、走り終えて苦しく動けない時にたまたま内科検診で医師が来ており、そこで過換気症候群だと判明しました。

高校時代にはストレスから過換気が出始め過呼吸に。

短大に進むも満員電車で過呼吸になるなど、パニック障害に発展してしまいました。

出先で過呼吸になり動けなくなり救急車、が3回程ありました。

今は過呼吸のコントロール出来るのでひどくなる前に抑えますが。


短大に通えなくなり、バイト先の回転寿司で就職。

一応代行責任者の試験合格してましたので。

オールマイティーにはこなせてました。

仕事の覚えが早く、それなりに出来てしまうといった感じです。

広く浅くタイプ。

ただ、あの時は人生経験の少なさから、自分のレベルを周りに求めたり、結構ストレートに発言していたりと今思えば問題が。

しかし、当時は結構ブラックで上の暴力もあった時代でしたので、問題に気付いてなかった。

発言で傷付く人がいたり、自分と同じレベルを求め、そのレベルにどんなに頑張っても到達出来ない人もいることを。

人間関係で苦手な人とぶつかってストレスになるのも、仕事し始めてからですね。

特に感情的になると攻撃的態度をとりました。

学生時代のように避けることは出来ませんから。

最終的には休みの日の呼び出しや、レーントラブルの修理に夜中3時までやったりと、心身疲労がたまり、うつになりました。

この時点でリストカットもやっていました。

1箇所ですが。

この後7年間はやりませんでしたが。

辞めた後も心療内科及び精神科には行きませんでした。

当時は偏見ありましたから。

振り替えると双極性障害の兆候はあったように思えます。

滅茶苦茶調子良い、軽躁状態を普通だと思い込んでましたが。


次に紳士服のお店にパートで行きました。

ここで今までの行動などを見直せる機会&指導をしてくれた社員の方に出会いました。

皆良い方でした。

しかし、対面接客になるため、苦手なタイプのお客様にあたり、裏で過呼吸とかも良くありました。

強く言われて全部を受け止めて傷付く。

これは今もありますが。

なんだかんだ5年続きました。


次に正社員目指してユニクロに行きました。

だんだんと今までの行動などを学び改めて生かせるようになりました。

穏やかにはなってたかな、感情的にならない限りは。

まぁ26でしたし。

忙しかったですが常に全力で一生懸命でした。

完璧主義的になってきたのもあります。

任された仕事は誰よりも完璧にこなそうと。

実際、売変くくり等一番見やすい、レジ閉めは一番やり易いし早い等誉められてさらに頑張りました。

売場でも明るく元気にと。

期待に応えようとがむしゃらに必死に頑張っていました。

1年後ついに社員推薦貰えて、地域限定社員になれました。


ただ、この年は甥っ子が小学校に上がった年でした。

母親代わりとして頑張りました。

学童も月1で集まりがあり、早出の時はお迎えも行きました。

学級役員になり総務部のパソコン担当になりました。

PTA通信の原稿を議会終了後3~5日で仕上げなくてはならず、仕事終わり家で0時から3時までやったり。

次の日早出だと6時起きで軽く死ねました。

そして総務部の一番忙しいイベントは10月のふれあい祭り。

9月から週1、直前は週2で学校に行きました。

勿論お休みの日を当ててます。

さらにユニクロは9月中旬からは繁忙期に入ります。

さらにさらに新たなお仕事としてデイリー(1人1人にその日の仕事内容を振っていく)作成が入りました。

1週分を2時間30分で作るんだったか。

一番忙しいと30人いて休憩やらレジやフィッティングの引き継ぎやら、もうパズルで軽く死ねます。

売変10000枚(帳票で44ページ)の時もでしたが(通しでやってギリ終わるレベルで、通常は2000枚以下で帳票も10ページ以下、5時間以内には終わる)、時間が足りなすぎて余裕がなくなりました。

基本は早出7:30-17、遅出12:45-22:15ですが、人居ないと通しです。

家を6:30に出て帰ると23時です。

で、休みは学校。

学校行事忙しい+仕事も忙しい=その答えは。


寝ても疲れが取れなくなったのはこの時からでした。

ただし、睡眠時間が短い(遅出→早出等)でも元気な日もあったんで躁出てました。


ふれあい祭り前は休みを全部当てたので、実質半月休みなしでした。

ふれあい祭り後、軽く喉の痛みを感じます。

風邪だろうと市販薬で様子見。

暫くすると咳が出始めました。

昔から肺の形が悪化しやすいらしく、咳にくる体質です。

すぐに近くの内科に行きました。

しかし、薬を飲んでも咳が止まらず、緑の痰(緑濃菌感染かな)が出始めました。

さらに声まで出なくなりました(ささやき声程度しか出ない)

受診した内科に行くと声はここでは見られない(耳鼻科)、私は声より咳が辛かったんですが薬の変更だけ。

おかしい、と他の内科に行くと肺炎手前の気管支炎になってました。

点滴と吸入をしました。

その間仕事は休んでいません。


で、声が出ない中、私は本館(ユニクロが別棟)で極暖の特別ブース係。

ハスキー声で呼び込み頑張りました。

モールのマネージメントの人も凄いねって行ってくれました。

宣伝効果もあり売上も良かったそうです。

(そこで高校時代までの親友と再開しました)

次の日に学童の運動で走りました。

声出ない、気管支炎状態で。

正直しんどかったです。


その後、気管支炎悪化で再び点滴。

感謝祭も乗り切り12月、インフルエンザAにかかりました。

朝38度越えたけどすぐ下がったんで出勤(7:30から22の通しだったんで)

しかし当日中に吐いてしまい次の日に受診、判明。

流石に休みました。

むちゃくちゃ忙しい年末年始を乗り越えた1月中旬、インフルエンザBに感染。

またもお休み。

さらに2週間後、嘔吐したため受診。

なぜかインフルエンザAに再び感染。

熱は無し。

お休み。

こんなにインフルエンザになったのはこの年だけです。

2月下旬、咳が止まらず気管支炎、点滴通いながら出勤。

2月からは中途覚醒が出始め、熟眠障害、入眠困難に悩まされました。

睡眠障害が出始めてしまいました。


そして運命の病気。

ああ医療保険入っときゃ良かった。

3月下旬、やはり咳が止まらず内科に。

レントゲン見てうーん。

この日は点滴で帰る。

次の日出勤、レジ閉め中に全身の間接が痛くなる、ついでに吐いた。

さらに次の日に受診。

マイコプラズマ肺炎と判明。

仕事休まない事を知っていた先生は即入院と。


ここから運命の歯車が狂い始めてしまいました。

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