宵風と鍛練
晴れ渡る空の下、その日羽雅藍簾山村では大掛かりな鍛練が大庭で行われていた。
ある者は稽古槍を構え、ある者は脇差しを腰の両側にそれぞれ一振ずつ差している。
各々(おのおの)、得意な武器を手に決められた者と相対していく。
それを宵風は他人事のように羽雅藍簾山村一の大木の大ぶりな枝に横向きに寝転がり頬杖をついて眺めていた。
「皆よくやるねぇ、かったるいこった。」
そう眠そうな半眼で、からす一人ひとりの動きを目し呆れた声で呟く。
「俺等は羽があるが故に地上では不利になりやすい。そんな俺等が地上でも戦えるために鍛練をすることには意味があるのだろうが、翼の使い方から教えてやらんと戦えるものも戦えんだろ。」
宵風は、独り言を誰もいないから聞こえていないだろうと言うことで、普段より大きな声で口から吐き出した。
「そもそも、伸びる速度は個々で変わり熟れる者とそうでないものもいるわけだ。十把一絡げでしては上手くいくものも全て頓挫すると思うがな。」
そう言うと仰向けになり青く澄み渡った空を一瞥し、一つため息をついて目蓋を閉じて昼寝を決め込んだ。
宵風がぶつくさ言って怠けている頃、大庭では氷凍盧が懸命にからす相手に身一つで挑んでいた。
からすは羽があるが、雪の子である氷凍盧にはあるわけがないため、不利も不利、中々攻撃が当たらないでいた。
その事を予想していた黒能は何か武器を使ってみては?と促したのだが氷凍盧はそれを断り、身一つの戦いを望んだのだ。
しかし氷凍盧は自らの特異な能力を加味し、からすの強みである羽を根元から掴み、冷気で驚き隙が出来た所を狙って拳を急所に打ち込み勝ちをもぎ取っていく。
この事に黒能は感心しつつもからす達の怠慢に思わず眉間に皺を寄せて鍛練の様子を傍観していた。するとあることに気づく。
宵風がいないことに。
「…」
僅な怒気を滲ませた瞳を宵風がいる大木に向け、凝視する。
「…バレたな。」
昼寝をしていた宵風は目を閉じたままそう呟くと、起き上がり黒能がいる方を見た。
「…ったく。ご自慢の千里眼に感情を乗せてくるとはよほどお怒りらしい。」
立ち上がり、服についた屑や埃を手で払い伸びをする。
「はいはい、今行きますよっと。」
そう言って枝から直立のまま飛び降りた。
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黒能は氷凍盧と他の勝ち進んできたからすを確認しては特徴や弱点を分析しつつ、宵風が現れる時を待っていた。
「お待たせ致しました」
大勢のからすが捌けて広くなった大庭に深みのある重く低い声が響き渡る。
その場にいた皆がそちらを向けば、更にその人物は続けた。
「隠空無宵風、お呼びに与り(あずかり)ただいま参上致しました。」
そして宵風が顔を上げると驚く者もいればはしゃぎ喜ぶ者もおり、反応は様々見られた。
ただ一人、眉間に皺が寄った黒能は皮肉混じりに宵風に問う。
「随分遅いお見えでしたね、隠空無の黒羽色。」
「いやいや、これでも申し訳ないと思っているのです。長には良いものを見て貰いたい故に、一人で研鑽しておりましたらいつの間にやら定刻を過ぎていたようでしてな。」
それに宵風は申し訳なさそうに、それでいて試すように答える。
それを黒能は静かに聞き、そしてほお…。と一言溢した。
「いいでしょう。そんなに良いものが見せられるように己を磨いてきたのであれば存分に拝謁させていただきます。」
「ありがたきお言葉。」
黒能は笑顔を張り付けた顏で宵風を見据えると、宵風も澄まし顔を見せ、形ばかりの礼を口にした。
その途端突風が吹き荒れ黒能と宵風の姿はなくなった。
否、無くなったわけではなく早くて見えなかったのだ。
その早さに他のからすはおお…!と嘆息をあげ、雪の子である氷凍盧に至っては早すぎて見えず、呆気にとられていた。
「久々ですなぁ!こうして霰染慧佳黒能補翼殿と刃を交えるのは!」
宵風は腰を低く落としつつ足を狙うように稽古槍を鋭く振るう。己のすぐ傍に落ちていた武器がなんであれ、それを手に取れたならば幸運と言わんばかりに構え、即座に手に馴染ませて振るう。
羽を使わずに地を駆け、蹴り、跳ね上がっては向かい合う黒能を容赦なく攻撃する。
しかし黒能も長の右腕であり、羽雅藍簾山村の有能な強者である。
そんな攻撃で遅れを取ることもなくひらひらりとかわしていなし、冷静に宵風が繰り出す攻撃の軌跡を双眼で追う。
得物をぶつけ合い、入れ替わり立ち替わり拮抗する隠空無と補翼の様を見てからす達は身を乗り出し、歓声を上げ沸き上がる。
氷凍盧は何故からす達が歓声を上げているのかわからず、からす達が見物している方向を追うことしか出来なかった。
「余り己を買い被ることはお止しなさい。でないと、足を掬われてしまいますよ。」
喜び勇んで立ち向かう宵風とは裏腹に、黒能は冷静にそれら全ての攻撃を躱し長巻を蛇が獲物を捕まえるかの如く閃かせ、宵風を喰らい落とそうとする。
しかし宵風も優秀と評価させるだけの実力は持ち合わせている為意にも介さず後方転回をし黒能の長巻を避ける。
「霰染慧佳黒能補翼、些か腕が鈍りましたかな?鋭さが落ちたように思われますがね。」
着地し、今度は見物していたからすの薙刀を拝借し(ぶん取り)、黒能を見据え佇む。そして煽る文言を口走るが宵風も黒能には扇動等効かぬと承知の上で言っているのだ。宵風は本音しか言わぬ。それ故にこれは挑発などではなくただの気まぐれ、思った事をそのまま言っているだけである。
その事を相対する黒能は理解しており目を細め普段は見られない怪しい笑みを浮かべた。
「全く、貴方はいつもそうですね。口が元気なことは結構ですが、調子に乗りすぎると危険因子と見なされ霊山送りになってしまいますよ。」
黒能は俯きため息混じりに忠告をするも、宵風は他人事のように頭を掻きながらぼやく。
「それは嫌ですねぇ、霊山送りは勘弁していただきたい。」
「…そんなことより、続きを致しましょう。」
ニッと口角を吊り上げ歯を見せて宵風は笑う。
そして薙刀を肩に担ぎ一振り。
大風を起こし砂埃を撒き散らす。黒能は視界を塞いで奇襲をかける事を予測し、羽を畳みその場へと座り込む。目を閉ざし感覚を研ぎ澄ませ、どこから来るのかを予測する。
一条、閃光が迸る。
「甘い…!」
宵風の薙刀を半身で避け、背後に回り込み羽を交差させて掴み、振り回して大庭の端にある巨岩目掛けて容赦なく投げ飛ばす。
岩が崩れる轟音が響き渡り瓦礫と共に宵風の体は剰りの衝撃でぽとりと力なく落ちる。
「余り己を買い被ることはお止しなさいと忠告しましたが、まだまだですね。宵風。」
黒能はゆっくりと宵風に近づいて声をかけ、宵風の周りの瓦礫を風を起こして退けていく。
「黒能には俺は敵わんよ。余興としては丁度派手でよかったと思っているが。」
傷まみれになり額の切り傷から血を流しながらひっくり返った宵風は、黒能の言葉に笑いを含めながら答えた。
「ともかく、治療しなければいけませんがその前に…」
黒能は宵風を肩に担ぎゆっくりと立たせ、大庭にいるからす達に聞こえるように声を張り上げて指示を出す。
「からす一同!引き続き鍛練を遂行して下さい!勝ち上がって来た者、各々実力を見せるように!」
黒能が声を上げればからす達は大きな歓声を上げ興奮する。
氷凍盧もよしっ!と脇を締めて気合いを入れ直し勝ち上がる意気込みを見せた。
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鍛練の続行で喝采盛る大庭を抜け、黒能は宵風を医薬家まで運びいれ、手づから治療を施す。
「降ろしますよ、痛みがあるところはどこですか?」
「あー…、体殆どが痛い。」
「座ることが出来るならば大丈夫でしょう。」
下に大きく清潔な白布を敷いて、その上に円座を配し、宵風を上に座らせるとすぐ傍の井戸で盥並々に水を張り、宵風の傍まで持ってくる。空の桶も用意し宵風の隣に置き、薬棚から焼酎と治療用の端切れと手拭いと包帯をそれぞれ取り出し、焼酎で傷を洗い、盥の水に浸し軽く絞り宵風の傷跡を拭く。
「いででででしみしみしみるしみる!」
「大人しくしていなさい。そもそも貴方が怠けなければ、私だとて自ら相手にはなりませんよ。」
傷に焼酎と水が染みて悲鳴を上げる宵風に黒能は落ち着いた声音で施術を進める。
背中の打ち身や腕の切り傷、あちこちに出来た傷跡を丁寧に消毒し、酷いところは端切れで血止めをする。
血止めをした端切れを空の桶に入れては新しい端切れで傷を押さえ包帯で巻いていく。
「…黒能」
「はい」
「その立場は、黒能自身が望んだのか?」
「さぁ、どうでしょうか。」
「…」
閑静な部屋の中、布が擦れる音と水が跳ねる音以外が無い中で無機質な空間に耐えかねたのか、宵風は口を開き黒能に問いを投げ掛けるが黒能は淡白に答えるだけで、またすぐに無機質な空間が戻ってくる。
「さあ、出来ましたよ。」
程なくして手当ては終わり、宵風は試すようにゆっくりと体を動かした。
「どうですか、違和感などはありませんか?」
片付けをしながら具合を尋ねる黒能に宵風は、鼻で笑い余裕の色を滲ませながら返す。
「お陰様で。痛み入ります、霰染慧佳黒能補翼。」
肩書きを態々つけて礼を言う宵風のその姿勢を黒能は相変わらずだと思いつつ、微笑んだ。
「それではお先に失礼致します、黒能補翼。」
「ええ、お大事に。」
宵風の背中を見送り、片付けを終えた黒能は大庭へ戻り、鍛練の様子を確認する。
結果は氷凍盧が途中で敗退しており、他のからすが最優となっていた。
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日も暮れ時、終わりの号令をかけ各からす達にそれぞれの役割をするよう声かけをした後、黒能は長の居室に赴き、今日の鍛練について伺った。
長は寛容に笑いつつ、好しと言い黒能に休むよう勧めた。
それを黒能は聞き入れ、礼を述べた後すぐに長の居室から退出すると、渡り廊下を進み自らの部屋へと戻る。
部屋の前まで来て立ち止まり息を吸った。
「はあ~~…」
そして襖を開け中へ倒れ込み足で襖を大雑把に閉める。
ナメクジのように腹這いになったまま本や櫛箱、作りかけの装束等が散乱した部屋を進み、万年床へ潜り込む。
「めんどくさい…」
そう呟くと黒能はまだ夜にもなっていないのに沈むように寝入った。
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「宵風さん、怪我、大丈夫ですか?」
夕飯時になり、大部屋にからす達が集って、鍛練で体を動かした分、各々が美味しそうにお膳の飯を食べているその一角、端も端の方で宵風と氷凍盧は隣同士で食事を摂っていた。
「んー?まあ死んでないから大丈夫だろ。知らん。」
氷凍盧に心配されている宵風はどこ吹く風、と言ったように答え、眠そうに目を細め、立て膝に腕を乗せ頬杖をして目の前のお膳を眺めていた。
「…食べないんですか?」
氷凍盧は茶碗に大盛りの雑穀米を一口大に箸で口に運びつつ宵風のお膳を眺める。
「食べるが今は痛みと疲れで箸を持ちたくない。もう少ししたら掻き込むから心配せんでいいぞ氷凍盧。」
宵風は氷凍盧の問いに気だるげに返すともたもたと箸を手に取り力なくいただきまーーす、とだらしない声で言い、怠そうに両手を合わせる。
その様子を隣で見ている氷凍盧は微笑みながら、自分のお膳に乗っている皿を空にしていく。
今日の鍛練は色々学べて嬉しかったこと、黒能と宵風が組み合うところを見物できたこと。そんなことを思い出しながら食べていけばすぐに空になってしまった。
「…あ、おかわりほしい…」
そう呟いてお茶碗と汁椀を持って土間の方へと向かった。
「…飽きんなぁ」
その氷凍盧の様子を宵風はしげしげと眺めぽつりと口にする。
「さて、俺もおかわりもらおうか。」
そう独りごちるとみるみる自分のお膳にのっていた食べ物を平らげ、汁椀と箸を手に土間に行き、釜から直接杓子を入れて米を汁椀すれすれまでよそうとその上から汁を溢れない程度に注ぎ、その場で掻き込む。
「行儀が悪いぞ!宵風!」
厨番のからすに注意されるも宵風は知らん顔で食べ終わると、何事もなかったように自分のお膳があるところまで戻った。隣では氷凍盧がおかわりの米と汁を食べていたが、宵風に気づくと満面の笑みを見せ、
「宵風さんもおかわりしに行ったんですか?今日のご飯は美味しいですね!と言うか、いつの間に食べ終わっていたんですか?早いですね。…あれ?汁椀、空じゃないですか?どうしてです?」
そう言いつつ訝しげに宵風の汁椀を凝視する。
「俺はもうごちそうさまだ。」
ニッと笑い汁椀と箸をお膳の上に置き、お膳を土間に持っていった。
訳が解らない氷凍盧は箸を咥えたまま宵風の背中を見ることしか出来なかった。
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「…そういえば、黒能さんが来ていないような…。」
宵風に置いて行かれ一人残った氷凍盧は黙々と食べながらあることに気づいた。
黒能が食べに来ていないことに。
きっとすることがたくさんあるのかも、もしかしたら自室で食べているのかもしれない、と思いつつも氷凍盧は落ち着かないので食べ終わって、まだ誰もお膳を届けていなかったら自分が持っていこう。と思った。
食べ終わり、土間にお膳を持っていくと、丁度他のからすが黒能にお膳を持っていこうとしていたので、氷凍盧は一安心し、厨番にごちそうさまでした。といいつつお膳を手渡した。
厨番もにこやかにお粗末様でした、と返しお膳を受け取った。
大広間を出て、部屋に戻ろうとも思ったが、氷凍盧はそれでも黒能の様子が気になって、少しだけ、少しだけ、と思い黒能の部屋に行ってみることにした。
すると先程のからすと鉢合わせし、忙しいからとお膳運びを頼まれてしまった。
氷凍盧は悪い気もしないし運ぶだけなら、と快く引き受ける。
黒能の部屋の前まで来ると、襖越しに声をかけた。
「黒能さ…、じゃなかった、黒能補翼、お食事をもって参りました。」
「…ああ、氷凍盧ですか。襖の前に置いておいて下さい。態々ありがとうございました。」
少し籠った声が返ってくると、氷凍盧は少し戸惑いながら尋ねた。
「黒能補翼、加減がお悪いのですか?」
「そう言うわけではありませんよ。ご心配、痛み入ります。」
これ以上詮索するのもどうかと思い、これ以上話を続ける事も申し訳ないので、氷凍盧は大人しくお膳を置いてその場を後にした。
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そして氷凍盧は同棲している宵風の部屋に戻り、寝転がり肘をついて本を読んでいる宵風に今日の事を楽しそうに宵風に話す。
「たくさん動いたらご飯が美味しいし、今日はいろんな戦い方が学べた気がします!」
「そうかそうか、ならば今日はよく眠れるな、氷凍盧。」
宵風は愉快そうに笑って答えてやり、氷凍盧をおちょくる。
氷凍盧はムッと口を引き結ぶが宵風がにこにこと笑顔で氷凍盧を見ているものだから氷凍盧は腑に落ちなさそうに
「はい、そうですね。」
と答えた。宵風はそれを見ると目を閉じ、穏やかな声で氷凍盧に話しかける。
「そんな顔をするな、顔がくるくる変わるのはつけ込まれるからな。だがまぁ、氷凍盧はそれくらいでいいかもしれんなぁ。」
そう言ってははは、と笑いながら宵風は本を閉じ、立ち上がる。そして障子を開け月夜を眺めながら独り言のように語る。
「羽雅藍簾山村は中立故、あらゆる弱点、汚点も許されんからな…。今回の手合わせは俺もまだまだと言うことが解ったよ。氷凍盧。」
「宵風さん…」
氷凍盧は悲しそうに宵風の名を口にする。宵風の苦労は知らないが、滲み出ている気持ちを汲み取ったのだろう。
「おっと、俺は同情されることは嫌いだぞ?他に気を取られる前に己を磨いて強くなりなさい。」
宵風は振り返り得意気に笑い氷凍盧を捉え助言めいた事を言う。
氷凍盧はその眼差しにびくっと肩を震わせるもキリッとした顔をし気持ちを切り替え、はいっ!と良い返事をした。
その様子を宵風は、ははは、と声を出して笑い、これからの羽雅藍簾山村の行く末に幸あれ、と願った。
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後日、穂金が宵風を訪ねた。
「その怪我はどうしたのだ?」
「うん?どうしたと思う?」
半裸で包帯が巻かれた宵風を見るや否や、穂金は宵風に問う。宵風ははぐらかし、得意気な笑みしか浮かべないので穂金はムッ…!と小さく唸り尻尾を忙しなく振って怒りを表す。
「盟友なのに教えてくれないのか、宵風はケチだな。」
不機嫌そうに穂金がぼやくと宵風はくっくっと喉の奥から笑いを漏らし答える。
「なあに、灸を据えられただけだよ。」
「どう言うことだ?」
尚もピンと来てない穂金を尻目に宵風は笑いながら空を眺めた。
空は青く澄みきり、時折気まぐれな雲が日を隠してはまた見せていく。
宵風は心穏やかにその様子を目で追う。
またこの空を大切な者達と楽しみたいと望みながら。