第2話 ねずみとカエル
「ひぃひぃふぅ」
「リリアナ、それじゃなにかが産まれちゃうよ」
これはわたし。ひいひい言ってるのは聖女のわたし。
これはブロー。ひいひい言ってる聖女のわたしの、頭の上に乗ってるカエルさん。
これは桶。ひいひい言ってる聖女のわたしの、頭の上に乗ってるカエルさんが出てきた、井戸のお水を入れてきた桶。
とっても重い桶。
マッチョ一直線よ。
「はふぅーおしまい!」
「おつかれさま」
わたしは室のすみっこに、お水の入った桶をおく。一日分の井戸のお水よ。これでなんとかやり繰りしなくちゃ。ときどき底ついてまた汲みにゆくけど!
「大変だねぇ」
「ほんとよ。これがまいにちなんだから」
カエルさんはぴょこんと降りて、わたしを見あげてしみじみと。カエルさんでも知らないことよ。苦心さんたん悪戦くとう。お独りさまってとってもたいへん!
いつかぜったい腰にくる。ヘクセンショスよ、レストンヴィー!
さてこの子。井戸のなかから出てきた子。青ガエルよりはおおきめの、りんごサイズのまるっこい、みょうちきりんな、おしゃべりガエル。さすがは魔法のある世界、ゾンビも走ればカエルもしゃべる。
名まえはブロー。セラクラス! 凄いかっこいい名まえよね、ブローニングさんとおそろいで! こっちは井戸のカエルさんだけど。ちなみに、男の子だそうよ。
「むむ、また失礼なことを考えてるね? ボクは“旅の”カエルだってば」
「ウェーウェー、そうよね。井戸にはわたしの戦いに、煽られよろけて落っこちた」
「渇き癒やそと思ってきたら、泣きっ面におおきな蜂さ」
カエルさんはぷりぷりするけど、“旅の”と“井戸の”のちがいには、ぴんとこないの仕方がないの。だってわたしはお嬢さま。カエル社会の事情など、とんと知るわけないじゃない?
「ところでなんで室のすみ、桶がいくつも転がってるの?」
「うふふ、それはねカエルさん、女は朝が弱いもの。夜はばたいてバタフラィ、朝はゆっくり翅やすめ、こころはつぎなる舞踏会……」
「それで蔵によってたわけだ。水くみ用の桶を忘れて?」
「フェㇵムラ! 乙女のお茶目なごあいきょう、見て見ぬふりも紳士のたしなみ!」
「乙女かなぁ……?」
お城の中庭には井戸がある。もひとつおまけに蔵がある。庭の手入れや水くみ用の、桶やらなにやら詰まってる。まいあさ桶を忘れては、蔵から桶をひっぱりだして、水をくんで持ってくる。そのうち山になっちゃって、たくさん抱えて返しにゆくわ。
オゥディア……。さっそうと、すてきな朝を決めたわりには、ちょっぴりけ足りない締まらない。
「さあ! 気分をいれかえて。お茶にしましょうティータィㇺ!」
わたしはくるくるまわって手をぱんぱん。右足だして、腰に手をあて、踊りながらにおまじない。
《かくしを叩けばクッキーひとつ。もひとつ叩けばもうひとつ。ふしぎなおかしなお菓子がたくさん、叩くたんびに増えちゃうの! みんなもいっしょにやってみよー!》
呪文を唱えりゃ、あらふしぎ! テーブルの上にクッキーが、どこからともなく湧いてでる! お皿にざらざらひろがって、色とりどりの味がする!
味はばらばら、選べない。これがわたしのクッキー魔法。チートのおまけの隠し芸! ……まさかこれでいのちを繋ぐ、なんてことになるとはね。王子さまでも知らないことよ。
まいにち独りで歌って出してる、まぬけな感じも味わい深いわ。ティスティ!
「こんな魔法は見たことないよ!」
「おみそ汁も出せたらいいのに」
「なにそれ」
「わたしにとってのマドレㇴよ」
カエルさんは頷いてるけど、ほんとに通じてるのかしら?
わたしはお父さまのご都合で、ちいさな頃からあっちへこっちへ。ふうらいぼうの風むすめ。おかげで言葉もなんだがごちゃまぜ。時どきね、じぶんがいったいどこの何語を、しゃべっているのか迷子になるわ。
お友だちもびっくりまなこ。白黒させてぱちくりさせて。いつでもそんな風だったけど! なんでわたしが、なにかを言ったりやったりするたび、泣いて止めたりするんだろう。エストラーノ!
まぁ、異世界のひとには翻訳の魔法で、わりとほとんど通じてる。通じないのはこっちにはない、テーㇵ特有の物だとか。たとえばそうね、おみそ汁とか。とっても残念なことだけど、こっちにはおみそ汁がないみたいなの。というか、こっちのひとには“ミソスル”って聞こえてるみたい。なにそれ、ちょっとかっこいい。なんだか魔法っぽいひびき。
ちなみに、おみそ汁の“お”は行方不明よ。たぶん、むだな冠詞として省かれちゃってる。
「コモタレヴ?」
「元気だよ?」
「コモタレヴ?」
「お菓子の魔法なんてびっくりだ!」
「鯖?」
「元気だってば」
魔法もかなりフレクシヴㇽよ。コメスタ?
さてあとは、お城の厨房からちょいと拝借してきた、高級なお紅茶を淹れましょう。……お水は出せないけど、なぜか沸かすことはできるのよ。エストラーノ!
ちなみに、聖ポワーヌ王国は常春の国で、茶葉は国内生産よ。よかったことね、じぶんの国で栽培できて。どこかのだれかを不幸にしてまで、お紅茶のんでもおいしくないもの。
さあシㇽヴプレ! お城のお室でカエルさんと、ちっちゃなお茶会ふしぎなじかん。銀器のポットに陶器のカップ。洒落たお花の柄もよう。
お淑やかにお紅茶のんで、クッキーはちっちゃくおくちにぽいっ。
「おいしい! これおいしいよ!」
クッキーほおばるカエルさん。笑顔うかべて、くちもとぺろり。そりゃあデリツィオーゾでしょう。ウブリにゴーフㇵ、ニオルにガレット、ルㇶソルにフワㇲにパンペㇵデュ。こっちのお菓子は蜂蜜べとべと、生地もぱさぱさなんだもの。ディジョンのカラシがほしいところよ。
でもね、まいにちだとキツいの。うふふ、クッキー地獄の路づれよ。覚悟なさいなカエルさん。
ドレスを脱いでクローゼットにきちんとかけて、かくしの小袋とコルセットをぽいっ。モデル九七をだいじに立てかけ、それを留めてた、ももの布も取っちゃおう。
革のブーツを放っぽらかして、そしてやっとにスモックすがた。ふかふかベッドに勢いダイブ! ふわあ、サフェドゥビヤン!
ドレスはいいけど、コルセットはきつい。女子高生にはなじみがないもの。そもそもわたしは痩せ型だから、コルセットいらないんじゃないかしら。
「はしたないよ、リリアナ」
「なんでそっちを向いてるの?」
くすくす笑ってからかうけれど、ブローは頑としてこっちを見ない。ずいぶん優しいカエルさんよね。ケジンティーレ!
……そりゃあ、お嬢さまがはしたないとは思うけど。だってコルセットつけたまま戦うのって、とってもたいへんなんだもの! だいぶ慣れてはきたけどね。
さいしょはびっくりしたものよ。
お城の侍女がよってたかって、ぎゅうぎゅう紐をひっぱるの! なかみが出ちゃうかと思ったわ。お食事どきにも着けたまま。それじゃなんにも食べられない!
だってわたしは花も恥じらう十六歳の乙女だからね。成長ざかりよ困っちゃう。おっぱいが縮んじゃったらどうしてくれるの。これいじょう減ったらマイナスよ!
聖女さまは霞を食べて、生きているって思われちゃうわ。青い顔して青息吐息。お城のディネーの豪華なお食事。それを前にし飢えに苦しむ滑稽さ! お持ちかえりを頼むわけにも。
つくり笑いにひきつる笑顔。殿方たちのお話きいても、右から左にスコーロノ!
テーブルならぶクーテレリ。わたしのおなかはくぅくぅ鳴って、まわりのみんなは喰うてれり!
こっそり横目で見たけれど、きれいなドレスのお姉さまたちも、みんな普通に食べていた。あれはきっと魔法よね。がんばって覚えなきゃって思ったわ。
いま? いまはね、ちょいと紐はゆるめで……こほん! じぶんで着けるの大変なのよ? せなかに手をまわして、よっ! はっ! って紐をしばるの。肩かんせつの可動限界にちょうせん! ヨガ!
お小言ブローに根負けをして、室着にしてる、だぶだぶリネンの白いワンピに、袖をとおして再びごろん。まぁ、ずっとうしろ向いてて貰うのも、かわいそうだし仕方ない。さあて、お勉強タィㇺよ。
うんうん唸って魔法書を、横をななめにしてみても、難しいのは変わらない。ベッドの上で右へ左へ、呪文をなんども繰りかえす。おくちとお耳で覚えるの。しぐさはべつに練習してね。いっしょにやったらさあたいへん! 魔法の力が暴発よ!
さいしょはそれで、お室を火の海にしかけたり、魔女の宴会みたいに、とっ散らかしたりしたものよ。ごめんなさい。
おそうじ魔法はまだできないの。便利そうなのに!
いっしょうけんめいお勉強。ちょいと疲れてきたならば、あまいクッキーで栄養ほきゅう! ひと息ついたら童話を読むの。難しいご本のそのあとは、やっぱり軽い読みものね! あたまのきゅうけい! そしてそのあと、また難しいご本を読むのよ、繰りかえし。
ポワーヌの童話はちょっぴりけ独特。お国がらなのか、異世界だからなのか、わたしには理解できないノリというか……。
こう、なんというか、おやくそくを無視してごり押しで押しきっちゃってぶんなげーっ! って感じなの。
こないだ読んだ、竜とお姫さまの謎の熱血バトルものも、なんだか微妙だったのよ。だって竜にさらわれたお姫さま、じぶんで竜を倒しちゃうから、王子さま最後に出てきただけなの。ケコゼ!
でも、今日のもやたらと尖ってる。ポワチューよ。ちなみにこの国の名まえはポワーヌよ。まちがえないでね、だいじなところ。
タイトルは『太陽と火』。セフィロゾフィッキュ! でも、これは童話よ、騙されちゃだめ。しかもポワーヌのよ。内容をざっくり説明すると――
イレテトゥㇴフォア、火が太陽に嫉妬した。火が頑張って挑んでも、太陽はてんで気づかない。ちっちゃい火だもの仕方ない。
太陽の光は凄くって、近づいた火は見えなくなって……ぶらぶらぶら。けっきょくそのまま火は消えちゃった。はい、おしまい。ケコゼ!?
このお話の教訓は、きっとたぶん“ごうまん”ね! 蝋がとけちゃう鳥の羽。わたしもこれでキラキラ聖女なものだから、みんなが嫉妬しちゃうわけ。美しさってやっぱり罪よね!
輝きすぎてぴかぴかと、他人の光を消さないように、せいぜい気をつけなくっちゃね! ……自己暗示、自己暗示。
お箸休めが終わったら、呪いについてのご本を読むの。じつはこっちが本命よ。わたしがこうして本を読むのは、魔女の呪いをどうにかするため。けっして読書に耽溺をして、ごろごろしたいわけじゃないのよ。キリギリスじゃないの。ほんとだってば!
魔法のほうの“呪いよけ”じゃあ、触媒にしたアダマスも、あっという間に燃えつきちゃったし。ケスプルェーコ……。
でもね、いっつも空ぶりばかり。呪いのご本はどこまでも、ぜんぶがぜんぶ的はずれ。丑みつどきと五寸くぎ、じゃないけど、簡単なおまじないばっかりで、へんてこゾンビの呪いどころか、呪殺のひとつも載ってない。
がらくたばかりねフェイドゥシュ。こうも空ぶりばかりが続くと、いっとうおざなりになっちゃうわ。ジョニマー!
だいたい、“覚えがめでたくなる”ってなによ。おっぱいがおおきくなるのはないの!? そうだ、みんなのおっぱいを、わたしよりちっちゃくしちゃえばいいのよ! リリアナってば天才ね!?
……おっと、わたしとしたことが。こほん。
いいこと、テュヴォワ? わたしは痩せ形なの。おっぱいがちいさいんじゃないのよ痩せ形なの!
「それで、これからどうするの?」
ブローのことばにわたしは黙考。読んでたご本をぱたんと閉じて、まくらを振るってふくらませ、愛銃かかえてお休みタィㇺ。
「きょうはもう店仕舞い。本気だすのはあしたから」
「まだお昼まえだよ!?」
「舞踏会は午前さま。夜に備えていっぱい寝ましょ」
「えぇ……って、なんでそっちへ」
「細かいことはいーのよ。ブローはお腹いっぱい食べたわね? じゃあまたアスソワ! ボヌニュィ!」
「なんだろう、この自由な子!」
きょうしたこと。お水を汲んできた。おしまい!
くらいくらい、たかいばしょ。おんなのこえが、こだまする。
おそろし、おそろし、ひびくそのこえ。しびとがふるえて、たちすくむ。
「わたしの呪いの糸がすすまぬ。“なりかけ”がきえた。いったいなにがおきているやら。
かがみよ、かがみ……といったところで、なにをうつせばよいのやら」
おんなはひとり、ためいきついた。
かんがえかんがえ、ひとつをきめた。
「くくった、だれかを、ゆかせよう」
おそろし、おそろし、たかいばしょ。くらいくらい、わらいごえ。
みどりのひかりと、つめたいかぜが、ひろいへやをふるわせる。
――ディーン、ドーン、ドーン
礼拝堂の鐘楼が、魔法の鐘を無人で鳴らす。いまは夜の十二時ね。わたしはがばっと飛びおきる。ぼんじゅー!
ブローはすやすや眠ってる。わたしはぱっぱか身支度ととのえ、かがみのまえで指さし確認。ボン!
「ブロー、ブロー、ウニヴァ? ……アレ、アレ! いそいで!」
「ふあぁ……はいはい、いま行くよ。まったくこの子は自由だなぁ……」
寝ぼけまなこでふらふらしてる、カエルさんを頭に乗せて、じゅんびばんたんエンゲィジ!
さあ図書館へゆきましょう。夜はちょいと冷えるから、ショールを羽織ってあったかく。ランタン掲げて暗夜行。
まっくら城のまっくらな路――
お城には燈明がともってないの。だれも油を補充しないから、どこもかしこもまっくらけ。でも窓がたくさんあるからかしら、星の明かりが射しこんで、見えないほどってわけじゃない。
寒ざむしい総石づくりのお城には、グラㇲの窓がたくさんならぶ。……どういうわけだか戦って、なんども割れてるはずなのに、気づけばぜんぶ直ってる。
これも魔女の呪いのせいなの? みんなの服だってもとに戻るし、窓のグラㇲもそうなのかもね。どうせ直るんなら白砂糖にしてくれたって、わたしはいっこう構わないのよ?
戦っても、戦っても、その痕跡がのこらない。まるで悪夢のなかみたい。
ごそごそ、ざわざわ、くらやみで、なにかの音がいつもする。
壁にお顔をむけたまま、ゆらゆらしてる殿方もいる。たのしい?
ときどきだれかの呼ぶ声が、聞こえるような、ないような。
遠くのほうでがちゃんと鳴れば、わりと近くでどさっと鳴って。
くちゃくちゃなにかを食べる音。ごりごりなにかを削る音。
――ぁ、ぁ、ぁ
遠くでだれかの笑い声。近くでだれかの喉が鳴る。
お城の夜は静かなようで、意外とごそごそ音がする。
みんな夜どおし遊んでる。まっくら闇で、たのしそう。
わたしは魔法のランタンを、片手に持って掲げてゆくわ。殿方たちは、音には敏感なんだけど、ふしぎなことに燈りには、あんまり興味がないみたい。
おかげでわたしは助かってるけど、この魔法のランタン、なにがいったい気にいらないのか、わたしの言うこと、あんまり聞いてはくれないの。
ときどき、ぼぼっと音たてて、魔法の火がすっとんきょうに燃えさかり、あちゃって手放しちゃうことがある。いたずらっ子ね、まったくもう、ってわちゃちゃ!
――ぼぼぼっ
なんだか楽しそうなのが腹だたしいわ。ちょっと可愛らしいけれど。
「だいじょうぶ?」
「ベーネよ」
うす暗い石のお通りを、白いドレスの聖女があるく。カエルさんを頭に乗せて、こっそりこそこそ音たてず、しゃなりしゃなりと練りあるく。
夜のおさんぽ、夢のなか。星ぼしだけが、見ているわ――
うしろは振りかえっちゃだめよ。