第1章「閉門」1
退屈だと思っていた。
生まれた時代を間違えたと思っていた。
英雄になりたかった。
物語の主人公になりたかった。
なれると思っていた。
それなのに。
なあ、教えてくれよ。
誰か教えてくれよ。
おれはどこで間違えた。
一体どこで。
男の絶叫が空を震わせた。
<第1章「閉門」>
<1>
その一言が引き金だった。
頭のどこかで気付いていた。引き返すなら、今だと。
だが、止めることができなかった。
言葉が次々とあふれ出る。
堰を切った思いが、刃となって聞く者の心を傷つける。
若い男が止めようとする。
「どうしたんですか?『らしくない』ですよ」
「らしくない?」
あなたらしくない?おれらしくない?
どんなおれなら、おれらしい?
どんなおれなら。
「くはは」
男は笑った。
「おれはおれだよ。これがおれだよ」
勘違いするな。
これが本当なんだ。
そんな目で、おれを見るな。
「おまえらとは、違うんだよ」
男が言い放つ。
それが決定打となった。
「帰ろう」
5人の男女が次々と立ち上がる。
一人の女が言った。
「最低だよ」
その目に涙が浮かんでいるように見えた。
最低か。
上等だよ。
去っていく背中を横目で見ながら、男が口の端で笑う。
玻璃の盃に残った酒を一気にあおり、音を立てて卓に置く。
そこが限界だった。
酒瓶に手を伸ばそうとして、姿勢を崩した。
その手は宙を掴み、その体は半回転して床に落ちる。
右の肩を打ち付けた。
苦痛に顔がゆがむ。
「ちくしょう…」
男が呟いた。
立ち上がろうとして失敗する。
頭は働いていなかった。
わずかに残った理性が体を動かす。
財布に手を伸ばし、あるだけの札を抜いた。
卓に札を置き、椅子を支えに立ち上がる。
一歩、二歩。よろける男に、若い男が駆け寄った。
振りほどこうとする。
だが、できなかった。
抗いながら、戸口へと向かう。
店の外に出た。
足を踏み外した。
支えを失い、男が歩道に転がる。
外はいつの間にか、雨が降っていた。
時刻は22時を過ぎたばかり。夜とはいえ、宿場街は明るく賑わいがある。
笑い声が聞こえた。笑われている気がした。
「ちくしょう…」
また男が呟いた。
「大丈夫ですか?」
若い男が手を差し伸べる。
その手を男は跳ねのけた。
「うるせぇ!ほっとけ!」
大きい声を出したつもりだった。
思惑通りの大声は出ていただろうか。
男は、よろめくように立ち上がり、1歩、2歩進んで、今度は馬車道に転げた。
道には水たまりができていた。
髪も服もすぐに濡れる。
「ちくしょう…、ちくしょう…」
ただそれだけを言葉にしながら、男は本能で雨を避けようと立ち上がり、路地裏に入り込む。
半ばまで進み、足を取られて派手に転げた。
酒樽の間に転がり込み、もう動けなかった。
こみ上げる嘔気に逆らうこともできなかった。
逆流する酒が喉を焼く。
雨は止む気配を見せなかった。
降り続く雨が、男の顔を濡らす。
「ははは。ははは。ははははは」
雨に濡れて、男が笑った。
頬を伝う雨は、塩の味が混ざっていた。
こんなはずじゃなかった。
どこで間違えた?
おれは、どこで。
空を見上げ、男は思った。
いっそ何もかも消えてしまえばいいのに。
壊れてしまえばいいのに。
一人の人間の、小さな呟き一つで変わるほど世界は狭くない。
世界の主人公は一人じゃない。
だが、その翌日、世界は変わった。
酔った男の吐き捨てるような言葉と無関係に。
泥にまみれたその姿と無関係に。
物語が、幕を開けた。