PASTING
ぺたぺた
ぺたぺたぺた
ぺた
ぺたぺた
一歩踏み出すたび、私の体に張り紙が増える。真っ白な壁からにゅるりと生えてきた肌色の手が、楽しそうに嬉しそうに、私の体にぺたぺたぺたと。
何なのだろうと思いながら、私はそれを受け入れ続ける。
一定数の距離を進むと、こうして体に紙を貼られる。長い間歩き続けて、それがこの道のルールなのだといつからか気付いていた。
無機質な白い壁から生えてくる肌色の手。最初は気味悪く思ったが、もう慣れた。
ぺたん。
また貼られた。
今度は足だ。右足と左足を繋ぐように一枚。
困ったな、と私は眉根を寄せた。歩けないほどではないが、これは少々邪魔くさい。
ううん、と唸って、閃く。剥がして別の場所に貼り直そう。
そうだ、そうしよう。私は右足のそれに手をかけた。へばり付くそれを、私は力いっぱい引っ張る。
が。
取れない。
どれだけ力いっぱい引いても剥がれる気配はない。押して駄目なら引いてみろという諺もあるにはあるが、この場合、押したところで更に剥がれにくくなるだけだろう。
さて、困った。喉の奥で、うぅ、と濁った音を出す。
と、そのとき。
「何をしているの?」
声が聞こえて、私は後ろを振り返る。そこには一羽のウサギがいた。
真っ白なこの道の上にひょこんと一羽で佇むウサギのその黒い体は、私の目にはとても鮮やかに見えた。
ウサギはその長い耳をぴぃんと真っすぐに立てて、私を眺めていた。
他に手はない。ウサギに頼んでみることにする。
「剥がして、これ」
「どうして?」
「邪魔なの。私の力では剥がれないのよ。手伝って」
けれどウサギは言った。それはできないよ、と。
不満。私は唇を尖らせて抗議する。
「どうして」
「剥がせないからさ」
無駄なものを得てしまったね、そう言ってウサギは悲しそうな顔をした。
「剥がれないものなの?」
「ああ、そうだ」
「だったらこれは、どうしたらいいの?」
「切ってしまえばいいよ。鋏を貸してあげよう」
「切り捨ててしまうのは勿体ないわ」
「なら諦めて、そのまま歩いて行くことだね」
その言葉に見捨てられたような感覚を覚えた私は、悲しくなって、その場に座り込む。疲れも相まって、ぽろぽろと涙が零れ出した。
「困ったなぁ。泣かないでおくれよ」
「だったら助けてよ」
「無理だよ」
「どうして」
「僕には助けてやれないからさ」
顔を上げる。
ウサギは困ったように私を見ていた。丸く小さいその瞳が何故か遠い。そう思ったのは気のせいではなくて、少しずつ少しずつ、私とウサギは遠ざかっていたのだった。ウサギも私も動いてはいない。ただ、まるで私から救いを奪うように、その距離だけが開いていく。
涙に滲む視界の中で、ウサギの姿が次第に遠くなっていく。その姿に向けて、私は大声を張り上げる「助けて!」。
だがそれでもウサギの遠ざかる速度は落ちない。だからその声が届いたかどうかも定かではない。
泣き疲れ、だんだんと意識が薄れていく。閉じそうになる瞼を必死で開ける、けれどもウサギはやはり遠ざかる。
意識を失う直前に見たウサギはもう、米粒よりも小さくて――
――しかし最後に聞いたその声だけは、何故かとても近かった。
君が決めるしかないんだよ
と。
*
目を覚ましてまず思ったことは、何故こんなところにいるのだろう、だった。
しかしすぐに思い出す。電車が来るまでのひととき、私はどうもうたた寝をしてしまっていたらしい。
私は夢を見ていたのだ。誰もいないホームの中で、声を上げて笑う。その夢の滑稽さに。私はなんという夢を見たのか。
そして同時に理解する、黒兎の言った言葉の真意を。
――間もなく一番線に列車が参ります黄色い線の内側に。私以外に誰もいないこの場所にお決まりの放送が流れて遠くから列車の音が近づいてくるがたんがたんがたんがたん。
私は自分の姿を見下ろして、また笑う。
黒い鞄。
黒い靴。
黒い服。
ああ、ああ、ああ! なんと下らない光景か!
待ち望んだ列車がようやく来る。座っているわけにはいかない。しかし込み上げてくるおかしさは止まらない。だから笑いながら立ち上がる。私は笑いながらゆっくりと歩いていく。
ホームの端に立つ。
再び聞こえる。
『君が決めるしかないんだよ』
――わかったよ、黒兎。
おまえが何を言いたかったのか。
呟いて――
私は線路に身を投げる。