9.虹色ハワイアン
こんなにも落ち着かないのは何故だろう。……いや、その理由はわかっている。
こんなにも不安なのは何故だろう。……いや、それもわかっている。
何故、わかっているはずなのに、わからなくなる感覚に陥るのだろう。
……それはわからなかった。
「……今日、だよね? その叔父さんとやらが来るの」
アマ姉が僕の顔を見て言う。
真剣そうな表情をしていて冷静に構えているその姿は、なんだか頼もしいとまで思えてしまうほどだった。
その様子ならあまり心配する必要はないだろう。バレる可能性は低いだろう。そう考えはするものの、やはり何処か心の奥底には不安という心の動きを錆びつかせるものが存在していた。
じわじわと押し寄せてくる緊張の波。じんわりと痛み出してくる心臓や腹部。
待っているのは物凄く短い時間であるはずなのに、何故かもう既に一週間や一ヶ月は経過しているようなくらい、時の流れが遅く感じる。
スローペースで進むその時間は、僕達の心境などお構い無しに刻限を狂わせていた。
静寂しかない。いや、正確には呼吸の音くらいは聞こえるが。
でも、それくらい場は静まっていた。
……暫くして、シア姉が言う。
「いい? 叔父さんの前では絶対に帽子を脱がないこと。……無礼ではあるけれど」
「貴方に言われるまでのことではないわ」
アマ姉は帽子を深く被り、そっけない返事をしてぷいと首を振った。その光景がいつも見ている様子であったため、何故だか少し心が安心したような気がする。
「そのインターフォンとかいう合図の機械が鳴ったら、勝負ね」
アマ姉はインターフォンを指差して、淡々と呟いた。
勝負……。さて、どうなることやら。もう、あとは天命に任せるしかない。
そう、空を拝んで切羽詰まった表情をすると、今までで良い方向に向かったことを感じたことはなかった運にお願いをする。
さあ、頼む。どうにか、こうにか、無事に終わってくれ。
そんなことをした後、少し経って合図の音が鳴った。
ピンポーン、と高く鳴り響くその音は、まるで僕らの命を根絶やすつもりなのではないか、と思ってしまうくらい残酷であった。
玄関の方に急いで移り、靴を履く。その靴の感触は冷たかった。
「ハイハイ、今出ます」
と、そんな返事をして鍵を開け扉を開いた。
「……よう、リン! 元気にしてたか? いやー、叔父さんいろんなところ転々としてたら、なんかいつの間にかこんなんになってた。ガハハ!」
そう言って、叔父さんはニカッと銀歯の混じった歯を見せて笑ってみせた。
何故かハワイアンな格好にシルクハットを被ってゼブラ柄のグローブをしたその姿はなんだか不格好で、似合ってなかった。何処の民俗の格好なのだろう、と思わずツッコミしてしまいたくなるような格好だ。
一見すると変人……いや、それで間違ってはいないのだが、なんだか「おかしい」の一言では足りないくらいの変人感がもう見た目から表れている。
おまけに、叔父さんが背負っていた大きなリュックサックと持っていたスーツケースからは見たこともない変なものが飛び出していた。
リュックサックの方からは棒のようなものに蛇のようなものを巻きつけた何かがリュックに納まりきらんと言いたげに突き出ているし、スーツケースの方からは「マイペース、イズ、オマエ。☆哀愁の秋……ッ!」とか、よくわからん言葉が書かれたタオルのようなものがはみ出していた。
「ええっと、なんか、スゴい大荷物だね。あはは……」
言葉を迷い、なんと言ったらよいのかわからなかったが、とりあえず返す。たぶん、引き気味で。
「持つよ」
「ああ、大丈夫大丈夫。それに、中には取り扱いに注意する必要なのもあるし」
「えっ、それをそんな雑な感じで持ってきちゃって大丈夫なの?」
「……あっ。……まあ、大丈夫大丈夫」
「今、『あっ』って聞こえたんだけど……」
なんだか、ちょっと別の意味で心配になってきた。大丈夫、なのだろうか……。
「ふぅ……それで、えっとそこの方達は?」
そう訊かれて、僕はウッという表情になる。叔父さんのお気楽さに、思わず二人の存在を忘れてしまっていた。
「えっと、友達……かな……? ……居候してる」
最後の方の言葉をボソボソとぼかして答える。誤魔化せたかはわからない。
というか、どのみち居候してるということはバレてしまう。だから、ぼかす必要性もなかったのだが、ただまあなんというか、バレる瞬間を遅らせてその間に少しでも心の準備をしたかったのだろう。そう思う。
「なるほどね。うんうん、それは良いことだ。めでたい!」
叔父さんはそう言うと、「何故居候してるのか」とかそんなことは一切追求せずに逆にそのことに思いっきり喜んでくれた。
そんな様子を見て、僕らは一瞬、ポカーン、としてしまう。そりゃ、普通の人ならこんな反応にはならないだろうから。
ただ、僕らは状況が状況なだけに、一先ずそれを良しとして、固まっていた時を動かさせた。
「クローゼット使ってもいいかー?」
と、既にクローゼットの中を開けてゴソゴソと物の出し入れをしながら、僕に訊く。行動が素早かった。
「いやーそれにしても、リン、お前……羨ましいぞー。そんな年上のお姉さん達とお友達になるなんてなー。いやー、俺もガキの時、そんな風なライフを送りたかったぜ……」
そうウリウリとニヤケたかと思えば嘆き、表情を忙しなくコロコロとさせて、僕の肩に手を置く。謎の柄をした服をもう片方の手で持ってうなだれながら。
どうやら、不審に思うどころかむしろ好印象のようだった。
……性別と容姿というものは、こんなにも人の心に影響するものなのだろうか。
そんなことを思ったが、「まあ叔父さんって元からこんな人だし、別におかしくはないよね。おかしくはあるけど」と、よく分からない納得をして頷いた。
「いっぱいお土産とか持ってきたんだけどさー、好きなもん適当に持ってっていいよ。そこにあるビックリ箱に時計付けてみちゃいました、みたいな感じのはオススメだぞぉ~?」
そう言って、僕の顔にジョリジョリの髭を押しつけてくる。
「欲しいか? 欲しいよなぁ! 欲しいだろぉ~!?」的なニュアンスで。
うん。一度使ったらビックリ箱の機能がいらなさすぎて、たぶんもう使われなくなるやつだ。
そんなことを思って僕は叔父さんの顔をジトリと見た。
「はぁ、もうしょーがねぇーなぁー。リンはモノの良し悪しに厳しいからなぁ。うーんと、どれどれ。ふむ。これなんかはどうだい?」
ゴソゴソとリュックの中を探って、ツンツン頭の叔父さんは僕に虹色に光を放つペンダントを僕の手に渡した。
七色の光が昼間でも眩しく僕の手から放たれている。綺麗だ。
煌めくその輝きは山頂から見上げた星空のように美しく、神秘的であった。
そのペンダントをつけて、また手に取って眺める。何度見ても、その輝きは飽きそうになかった。
「どうだ、気に入ったか? 値段的にはそれは大したことねえ。でも、叔父さんもそれを見たときは思わず見蕩れちまった。こんな素晴らしいもんがまだ世にあるなんて、世の中捨てたもんじゃねえな、って思った」
叔父さんは抑揚をつけて呟くと、へへッと軽く笑って鼻をすすった。
「ありがとう、叔父さん」
「ん、それくらいいいってことよ。お前と居てやれてないからなぁ。それはほんのお詫びさ」
シルクハットを脱いで申し訳なさそうに言われる。一部が脱色されていて茶色とくすんだ金色が混じった髪が見えた。
その髪の先を少し弄ってそれを邪魔そうに見つめてから、一つ息を吐いた。
どうやら、転々としているうちに伸びてしまったらしい。
「さてと、俺はお前のお父ちゃんとお母ちゃんに線香でもあげてくるわ」
しんみりと呟くと、叔父さんは仏間の方へと向かっていった。その背中は大きくもあり、小さくもあるように見えた。悲しいのは叔父さんも一緒なのだ。
僕はその背中が部屋から見えなくなるまで見守ってから、二人の友達の方へと振り向く。彼女らの様子を気にするように。
二人は複雑な表情をしていた。
見てはいけないような。ここにいてはいけないような。そんな表情をして。
今、ここに、人とか魔物とかそういったことは関係なかったのだ。僕らはそのことに気づいた。気づいていた。分かろうとした。
僕は二人の視線がこっちに向いているのに気づき、笑う。
下手くそではある。わざとらしくはある。
でも、それでいい。
「なるほど、そういう感じなのね」
アマ姉が納得して何かをぼかすようにぼそりと呟いた。
「なるほどね」
シア姉も何かに納得するかのように頷いてみせた。
「そういう感じです」
僕はクスリと笑って、何かを理解したかのように頷いた。
「……おお、仲良さそうだなぁ。天国のお父ちゃんとお母ちゃんも仲良さそうにニッコリと笑ってたぞ」
用事を済ませた叔父さんが戻ってきて、嬉しそうに言う。
叔父さんはそうしてからワシャワシャと僕の頭を撫でて、笑った。
「久々に叔父さんがたかいたかーい、してやろうか?」
「もう赤ちゃんじゃないし、いいよ」
「そうか、そうだな。大きくなったんだなぁ……」
二度頷いてから、感慨深げに言葉を漏らした。優しい眼差しで、優しい声色で、ひとつひとつの思い出を丁寧に丁寧にしまい込むかのように。
過去に囚われていたのは、僕だけではないのかもしれない。
そんなことすらも考えずに僕はいなくなろうと考えていたなんて、なんだか、少し過去の自分に腹が立った。自分のことしか考えていない、人の気持ちを考えられていない、そんな自分に。
勝手に自分で立ち直れないと決めつけていたのもなんだか腹立たしかった。そんな苛立ちをほんの少しだけ覚えた。
断定なんて早い。ふて腐れることなんて、いつからでもできる。
立ち直るんだ。立ち直らなきゃ。
ここで終わって、何が残るという。……頑張れ、自分。
僕はそんな風に鼓舞をして、自分を元気づけた。
「さてと。飯にするか! そこのお二人さんもちょいと手伝ってね」
叔父さんはちょいちょいと手招きをしながらその二人の女性に声を掛けると、キッチンの方へと向かっていく。
「あ、それと一つだけ。俺さ。薄々と分かってたんだけど、お二人さんは――〝魔物〟ってやつだよね?」
「「「……ッ!?」」」
僕らは驚き、アマ姉とシア姉はその言葉を訊いて戦闘体勢になった。
僕はそれを見てすぐに止めに入ろうとする。
「まあ、まてまて。そんな物騒なもん持ってたら、その美しい顔が台無しだ。それに、俺は誰にも口外しないさ。そして、君らを捕まえて高い値で裏の市場みたいなところで売り捌いたりとかそんなこともしない。そんなことするんならまず、気づかないフリをしてこんなことも言わないし、それに料理を手伝わせたりなんかもしないでしょ?」
そうつらつらと話すと、叔父さんは二人の方を見て笑っていた。