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8.壊れている魔物と亡骸

 学校からのひとりぼっちで帰宅途中。なにやら見慣れた人影が目の前に現れる。

 その赤と黒のシルエットはこっちの視線に気づき、手を振っている。


 ……あれは、シア姉だ。




「よっ、リン君。せっかくだからついてこない?」


「ついていく、って何処にですか?」




 よく分からずに誘われたので、何処に行くのか訊ねてみる。

 シア姉のその微笑みだけでは何か情報を得ることはできそうにない。




「うーん、何処かは何処か、かな。まあ、楽しくはないかも」




 そう、何処か上の空な感じで言葉を返される。表面上では笑っては見えるのだが、目は笑ってないようにも見えた。

 何か、過去の未練や後悔を捨てたくても捨てきれない、というような感じだ。

 捨てても捨てても、僅かに残った部分が増殖していってキリがない。それなのに、何故かこんなにも空っぽで、空っぽなのに重くて、といった科学的な考えを一切無視したかのように、乱れていて不規則で。

 そういう、曖昧で見当もつきそうにない感情で一瞬だけ何処かを見つめてから僕の方に振り返りまた微笑み返される。




「僕も行きます」




 そう返すと、僕はシア姉の方へとトコトコと近寄った。




「元気でよろしい」




 僕の頭を撫でてから手を繋いでくれて、シア姉は僕の歩幅に合わせて何処かへと歩き出した。




「えっと、どのくらいかかるのでしょう?」


「うーん、そうだね。十分。二十分、三十分。一時間……うーん、わかんない」


「つまり、それくらい遠くってことですか?」


「……うん、遠いかもね。もしかしたら百年経っても辿り着けないかもしれない」


「ひゃ、百年……?」




 普通、聞いたことのない時間を耳にしたので、思わず聞き返す。

 時間というよりはこの場合、歳月と言った方が正しいだろうか。




「ごめん、今のは忘れて」




 静かに言って、顔を前に向き直してしまった。

 きっと何かの比喩だったのだ、と漸く気づいた空気の読めなかった僕はそれ以上そのことについて何か訊くことはしなかった。


 気まずい時間が流れる。

 さっきのもあったからではあるのだが、それ以前にまだ一緒に過ごした日々が少なくて、お互いのことを分かりきっていないこともあるからなのだろう。それは僕とアマ姉との間でも同じだ。同じことが言えるだろう。


 繋いでいる手の温もりを感じながら、僕も黙って前を向いて歩く。

 次の言葉が出てこない。出てきそうにない。

 まるで声帯が取れてしまったのかもしれないと錯覚するほど、言葉を発することができないのだ。

 怖いのかもしれない。次の言葉で今の関係が崩れてしまわないか心配で。




「……リン君はさ、親が亡くなってからはほとんどひとりで暮らしてたんだよね」


「……はい」


「私もおんなじ。好きな人が殺されてからはひとりだった。これって、仲間っていえるかなぁ」




 シア姉は過去のことを少し苦しそうに思い出しながら、そう呟く。救いの言葉を求めるように。




「……いえないよね。……ごめん、なんでもないや」




 自問自答をして、僕に謝る。

 日は少しずつ雲に隠れはじめてきていて、お空は僕らの気分の色を演出しようというように少しずつ陰りを見せ、暗くなっていっていた。




「私って、どうすればよかったのかなぁ……」




 溜め息混じりに僕に訊いてくる。物憂げな目で虚空を見つめて、変わっていく世界を全身で感じとりながら。

 繋いだ手から生温い滴が伝うので、チラリと横目でアマ姉のことを見る。アマ姉の目からはサラリサラリ、と手から砂が零れ落ちていくような涙が流れていた。


 それを見て、僕は何も言えなかった。

 何か、勇気づけてあげられるようなそういった甘ったるい言葉を僕は知らなかったし、仮に思いついていたとしても、言う勇気がなかった。

 勇気づけてあげられるような言葉を言うのに、それを言う本人の勇気がないのであれば、それは結局その言葉に価値なんてほぼないだろう。薄っぺらいだけだ。

 そう考えているから。そう思っているから。そう決めつけているから。そうネガティブに考えているから。

 だから、もしかしたら僕は言える勇気が出てこないのかもしれないし、余計に薄っぺらい人間なのかもしれない。そう、思った。




「ごめんね、涙なんか流しちゃって」




 啜り泣きながら、空いていた片方の手で涙を拭う。赤く腫れてしまったその顔を隠すように。

 それでも、涙は止まることを知らないでいた。




「大丈夫ですよ……僕もその悩み、わかりますから……」




 僕は無責任な言葉をぽつりと呟いた。無責任過ぎて、言葉にはなっていないのだが。


 そこから完全に日が雲に遮られ、今にも降ってきそうな空模様になると、僕らの痛みをすべて洗い流していくかのように大粒の雨が降りだして、お空は僕らの心をよく思おうとはしてくれなかった。


「まずいね。もうすぐ着くから、走ろうか」


 シア姉がそう言うので、僕らは小走りになって目的地まで急ぐと、暫くして何軒か人家が見えてきた。

 どれも、既に建てられてかなりの年月を重ねているような、人家だ。素朴な感じの木製の家々ではあるが、つくりはしっかりした感じではある。




「着いたよ。ここが目的地」




 シア姉はそう言うと、目の前に佇んでいる廃墟を見て立ち止まる。よく見ると、あちらこちらに雲の巣が張り、雑草は言うまでもなく生やしっぱなしの伸びっぱなしであった。




「ここ、は……?」


「……住んでた場所。……そして、一緒に暮らしてた場所。私の〝居場所〟だった場所」




 シア姉はするりするりと穴から抜け落ちていくように言葉を漏らす。全身の生気を吸いとられていくように。




「……消えないで」




 僕は思わずそんな言葉が出る。自分勝手な、そんな言葉が。




「……大丈夫。魔物は人よりも何倍も何十倍も頑丈だから」




 シア姉は優しく優しく丁寧に言うと、僕の肩に手を掛けて僕を安心させた。




「やっぱり、奪うのも奪われるの。失うのも失わせるのも。嫌、よね。私、いつの間にかわからなくなってた。どうかしてた」




 シア姉は一つ二つと続けてぽつりと呟く。過去の過ちを反省するように。




「気づくのがもっと遅かったら、私、壊れてたまま戻らなかったかもね。……いや、もう壊れてるのかも」




 噛みしめるように言葉を連ねた後、自分自身を否定するように言葉を付け加える。

 何が正しいのか何が間違いなのか、何が善で何が悪なのか、それすらもわからないと言いたげなそのひとりの女性は酷く自分自身を恨んでいた。




「シア姉ちゃんは壊れてなんか……壊れてなんかないですよ!」




 それを否定してあげたかったのか。将又、勇気づけてあげたかったのか。あるいは、同情してあげたかったのか。

 それは全くわからないが、僕はその甘ったるい言葉が咄嗟に口からポロっと出てしまった。熱くなって、勢いよく動く鼓動を感じながら。




「……やっぱり、優しいね。……ありがとう。でも、私はもうとっくの昔に壊れてるから。それを自分がわかっちゃったから。だから、これは真実。合ってることなんだ」




 そう言って、シア姉は僕の視線まで腰を落として僕の頬っぺたをツンと軽く突っついた。

 僕はその仕草に何故か照れてしまい、勢いよく振り向いてシア姉の方から目を反らした。




「人を生き返らせる魔法をつかえる魔物がいればいいのにね」




 シア姉は面白おかしそうに言ってクスリと笑った。




「……そうですね」




 僕も短く言葉を返した。

 気がつけばしんみりとした空気が僕らの空間を覆っていた。

 しかし、先程までザアザアと降っていた雨が止んで晴れ間が見えてくると、その空間はまた元の姿に戻ろうと形を少しずつ変えていった。




「でも、もし、本当にそういうことができてたら、私は生き返らせようとしてたかな」




 シア姉は雨が止んだことを手で確認しながら、僕に疑問を投げ掛けた。




「えっ……?」




 僕は突然の疑問に戸惑いの言葉を漏らす。




「死者を生き返らせたとして、それってホンモノに感じるのかな、って。もしかしたら、生き返らせたところで、見た目は同じでも、心は違う人間になっているかもしれないし」




 シア姉はぽつりと呟くと、ふぅ、と溜め息を吐いた。

 そうしてから、また呟き始める。




「でも、私。壊れてるからそれでも愛せただろうな、って。それに私、嫉妬深いんだよね。だから、彼が死んでるってことになってる世界で彼を生き返らせたら、私はどのみち愛してたし、安心もしてたかも。いつも彼が私のことを見ててくれる、って思ってただろうから」




 シア姉は幸せそうにそう語る。




「性格が変わっていて、記憶もなくなっていた、としたら……?」




 僕は余計なことを質問してしまう。




「それでも愛してた」




 シア姉は笑って答えてくれた。




「素敵な方だったんですね」




 僕はそう言うと、同じように笑い返した。

 そうしてから、僕らはまた手を繋いだ。




「寄り道はそろそろ終わりにしようか。家で待ってるヤツもいることだしね。遅いと、家が消し飛ばされちゃうかもしれない」




 そう言って、フフフと笑うと、僕らはまた歩き始めた。




「そういえば、どうしようか。あと数日でリン君の叔父さんが帰ってきちゃうんだっけ」


「はい、そうなんです」


「居候してます、じゃ通じない?」




 そう言って、僕の方を見る。




「うーん、どうかなー、って感じです」


「なるほどねぇ」




 一緒になってあれこれと考える。

 どうすれば誤魔化せるか。どうすればあそこにいることを正当化できるか。

 そういう、少し悪い(?)作戦を考える。




「まあ、魔物だってことは私は牙だから大丈夫だけど、問題はあっちがなぁー」




 アマ姉のことも一応は考えてくれているみたいだ。




「さーて、困った困った。私なんて、全くといっていいほどにはそういう特殊なやつできないし。変身とか、幻見せるとか」


「幻……?」


「叔父さんを夢の世界にごしょーたーいー」




 声に感情を込めずに淡々と言葉を返された。




「えっと、それはダメ? なような気が……」




「えっ、それって良いのかな?」とか、そんなことを思いながら僕は考えを巡らせた。




「まあ、この際仕方がないよ」




 シア姉は冗談なのか冗談じゃないのかわからないことを言うと、僕にグッドサインをおくってきた。




 その後、僕らは家に帰るとアマ姉が待っていて、帰りが遅かったこととそのワケを十回以上指摘された。アマ姉とシア姉が喧嘩をしながら。

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