第八十三話 見学券
「あら、お帰りなさい。早かったわね」
疲れきって帰った私達を、お母さんが笑顔で迎えてくれました。秋葉原に行ったので遅くなると思っていたようです。
「あはは、ちょっと事情があってね」
リビングに移動し、私と由紀はソファーに倒れこみました。フルマラソンを完走するよりも疲れたかもしれません。
「遊がそこまで消耗するなんて、一体何があったの?」
私はイベント前に呼ばれて由紀と別れた事、イベント終了少し前に戻り合流してファーストフードに入った事、そこで貰ったお土産を開けたら脳力試験の見学券が入っていた事、由紀がそれを叫んでしまい、欲しがった人達からの脱出ミッションが強制始動した事を話しました。
「・・・でね、これが問題のブツなの」
由紀は説明しながらチケットをテーブルに置きました。
「凄いでしょ、お母さんと友子お姉ちゃんとで行こうと思っているの」
「友子ちゃんには予定聞いたの?」
由紀は一緒に行くものと思い込んでいますが、友子にも予定というものがあります。その日に用事があって行けない可能性もあるのです。
それを諭された由紀は、ポーチから携帯を取り出しました。友子に電話するつもりでしょう。
「由紀、先に着替えてらっしゃい」
私も由紀も外出着のままです。由紀は携帯片手に部屋へ駆けて行きました。
「遊、由紀の前でユウリになった感想は?」
「ヒヤヒヤしたわ。テレビ越しや写真ではなく、生であの子の前に出たのよ。幸い、距離があったからバレる心配は無かったのだけど」
これからこういう機会が増えそうなので、慣れないといけません。機会があれば由紀はイベントに顔を出すでしょうから。
「声優続ける覚悟したのなら、あの子にも言ってあげなさいな。
今すぐとは言わないけどね」
「うん。もう少し・・・話しても舞い上がらないようになったら話すわ」
今ばらしたら、どんな目に遭うことか。蓮田さんと絡んでいた私を見るあの目付きはトラウマになりそうです。
私も外出着のままなので、部屋に戻り着替えました。リビングに戻ると、由紀が友子に電話していました。
「友子お姉ちゃんは大丈夫ね?うん。楽しみにしてます!」
どうやら友子は都合がつくみたいです。まぁ、友子の事だから他の用事を放ってでも来るでしょう。
「お母さん、友子お姉ちゃんもオッケーだって。これでお姉ちゃんもいれば完璧なのになぁ」
少し残念そうな由紀。実際は私もスタジオに居るのですが、それは知ってはいけない知られちゃいけないというものです。
「私は行けないけど、楽しんできてね」
「うん。土産話、沢山するからね」
こうして、脳力試験の収録にお母さんと由紀、友子が見学に来ることになりました。リビングの隅で膝を抱えて泣いている成人男性がいるような気がしますが、ここはスルーさせていただきます。
チケットは三枚しかないですし、もう一枚下さいなんて言えません。慰めは逆効果になりそうなので、最善手は見守る事なのです。
翌日の夕方、早速脳力試験の収録に挑みました。気合いが入った私は、優勝する事が出来ました。
「ユウリちゃん、お疲れ様!」
「また優勝拐われちゃったわね!」
スタッフの方や共演者の皆さんと挨拶し、雑談を楽しみました。
昨日貰ったチケットは来週収録の物なので、由紀達が来るのは来週の収録です。いくら何でも、翌日のチケットは渡されませんでした。いきなりでは都合つかない場合もあるので、その辺を考慮してくれたのでしょう。
「ユウリちゃん、お疲れ様。送るわ」
いつものワンボックスカーで送ってもらいます。動く車の中での着替えも慣れたものです。遊に戻り座席に座りました。
「来週の収録、御両親と由紀ちゃんは来るわよね」
「えっと、お父さんは来ません。代わりに親友が来ます。彼女は私のこと知ってるんですよ」
大きく目を見開いて私を見る桶川さん。桶川さんは運転席にいて、私は後部座席で着替えや化粧落としを終えた所です。つまり、桶川さんは運転中に後ろを見ているのです。
「えっ!お父さんは来ないの?仕事の都合か何かかしら?」
「桶川さん!運転中は前を向いて!」
桶川さんの顔を両手で挟み、無理やり前を向かせました。ゴキッ!という鈍い音がしたような気がしましたが、気のせいという事にしましょう。
「ユ・・・ユウリちゃん、首の骨が折れたわ!」
派手な音がしたので少し焦りましたが、意外と元気そうです。これなら心配はいりませんね。
「意外に大丈夫そうですね。もう720度回してみます?」
普段より多めに回しております。
「それは流石に勘弁だわ。それより、お父さんは忙しいの?」
「いえ、由紀が、親友の友子を呼びたいと言ったので。チケットが足りないからハブられただけです」
改めて口にすると、お父さんかなり哀れだわ。でも、世の中のお父さんの立ち位置なんて似たような物だと何かで読んだ事があるような気がします。
「じゃあチケットもう一枚渡すから、お父さんも呼んであげて。絶対に来るように伝えて欲しいの」
そう言ってもう一枚チケットをくれました。何故そこまで拘るのか謎です。しかし今それを考えても仕方ないので、厚意を受け取っておきましょう。
「ありがとうございます。お父さん、凄い喜ぶと思います」
「そうね。必ず喜んでくれるわね」
ここまで話した時、家の前に到着しました。いただいたチケットを持って車を降ります。
「じゃあね、ユウリちゃん。お父さんとお母さんに宜しくね」
走り去る車を見送り、家の中へ入ります。夕食の後お父さんにチケットを渡すと、泣いて喜んでくれました。自分だけ行けない事で結構落ち込んでたようです。桶川さんに感謝しましょう。




