第三百五十二話 為さねばならぬ、操縦を
「至急手筈を整えて連絡するわ。そのままの速度で南下してちょうだい」
これで私が現在出来る事はやりました。後はお母さんが手を打ってくれるのを待つだけとなります。
「ユウリちゃん凄いね、飛行機の操縦なんて出来るのか」
「え?そんな事出来ませんよ。私、極普通の女子高生ですよ?」
頓珍漢な事を言い出したカメラマンさんに否定の言葉を投げます。カメラマンさんと音声さんが微妙な顔をしていますがスルーします。
「でも、立派に操縦してるじゃないか」
「出来るか出来ないかではなくて、やらなくては私達は死んでしまいます。代わってもらっても良いのですが?」
やれるからやってるのではありません。必要だからやれなくてもやっているだけです。
「飛行機なんて操縦したことないよ!」
「無理言わないでよ!」
カメラマンさんも音声さんも青い顔で首を振ります。しかし、それを言ったら私も同じ条件なのです。
「少なくとも、車の免許すらない私よりは適性あるはずよ。二次大戦中、米軍が日本軍よりパイロットの促成養成が出来たのは自動車運転者が多かったからなのですよ」
車に慣れていたアメリカ人は、比較的簡単に飛行機を操縦出来たそうです。その為戦闘機や爆撃機のパイロットを素早く補充する事が可能となり、パイロット育成に手間取った日本との差が絶望的に開いたのです。
「そんな話聞いた事ないぞ?」
「二次大戦中には日本にも車はあったはずじゃないのか?」
日本にも自動車はありました。しかし、アメリカとは決定的な差があったのです。
「あったけど、乗れたのは一部の政治家や大物商人、高級軍人よ。東京西部に工場があった三菱が、千葉の試験飛行場に十二試艦上戦闘機を運ぶ時に牛車を使っていたって話は有名ですよ」
その運搬時の揺れによる劣化で尾翼の部品が壊れ、試験飛行で事故が続出しました。その原因究明が遅れた為テストパイロットの命が散ってしまったのです。
「何で態々東京から牛車で千葉まで運んだんだ?飛ばせば良いのに」
「工場に飛行場が併設してなかったのよ。だから分解して飛行場に運び、組み立てていたの」
「へぇ、流石はクイズ番組の司会者だねぇ。そんな事まで知っているんだ」
目前の問題から目を逸らす為の雑談をしていると携帯の呼び出しがかかりました。お母さんからです。
「ユウリちゃん、よく聞いてね。在日米軍がすぐに先導機を出すわ。既に飛び立ったE-2Cの誘導でランデブーするはずよ。その機に従って米軍基地に降りて頂戴」
「わかりました、ありがとうございます」
米軍基地ならば滑走路も広いし、照明設備もすぐに用意出来るので安心です。こんな短時間で在日米軍と話を纏めるとは、流石はお母さんです。頼りになります。
「米軍基地にって、羽田に降りれば済む話ではないのか?」
確かに羽田も大きい飛行場です。しかし、あそこはそう簡単に割り込めない理由があるのです。




