第二百八十七話 桶川さんのお仕事
「アポロン、ディアナ、ルシアン・・・ネプチューンは論外だし・・・」
「・・・失礼しました」
社長室の扉を開けると、そこには紙を見ながら神の名を挙げていく桶川さんの姿がありました。そっと退出し、扉を閉めました。桶川さん、あなたは昨日までの桶川さんとは違ってしまったのですね。
「え?あっ!ユウリちゃん、誤解しないで!」
素早く部屋から出て来て腕を掴む桶川さん。大丈夫です、私は何も誤解したりはしていません。真実はいつも一つなのです。
「大丈夫ですよ、桶川さんが病気になっても私は桶川さんの味方ですから」
「違うから!誤解だからはそれ!」
優しい目で見守る私の腕を掴む桶川さん。そのまま部屋の中に引きずり込まれ、一枚の紙を見せられました。
「えーっと、リースコピー機の一覧表?」
それは○塚商会、すなわちRIC○Hのコピー機一覧でした。そこに並ぶコピー機に付けられた名称が、先程桶川さんが呟いていた神々の名前だったのです。
「リースの更新するのに、機種をどうするか悩んでいたの。決して病気が再発した訳ではないのよ!」
桶川さん、語るに落ちています。再発した訳ではないという言い方は、過去に発病していたという証左なのです。でも、今はそこには触れないであげましょう。
「桶川さん、真面目に仕事してたんですねぇ」
「ユウリちゃんが私をどう見ているのか、1年ほどかけて問い詰めたいわね」
そこは普段の行いが物を言うということです。私にマネージャーを付けずに自分がそれをやっているという現実を見て下さい。
「普通そこは小1時間って言いません?」
「1時間や2時間じゃ聞き足りないわ。それはそうとして、ユウリちゃんにお手紙よ」
フリスビーよろしく投げられた封筒をキャッチしました。普段物を投げるような事をしない人なのですが、珍しい事もあるものです。
「見終わったらそこに保管しておいてね」
と指差されたのは机の脇のゴミ箱でした。それは保管ではなく廃棄というと思うのです。
「捨てること前提?どんな中身か知ってるの?」
「私にも来たもの、FAXでだけど。そこにあるけどね」
ゴミ箱の底には、くしゃくしゃに丸められたFAX用紙が一枚転がっていました。そこまでするなんて、一体どんな内容なのか興味が湧いてきます。
「とりあえず見てみないと何も言えないわ」
まず差出人を確認しました。・・・それだけで桶川さんの言動に納得です。うんざりるのを隠す気にもなりません。
「またあの事務所から・・・」
中身は予想通りの移籍勧誘です。相変わらず上から目線で尊大この上なく、何故この内容で引き抜き出来ると考えているのか不思議で仕方ありません。
「適当にお断りのお返事をしておいて下さい」
そう答えつつ手紙を鞄にしまいました。それを見た桶川さんは心底不思議だと表情で訴えています。
「ユウリちゃん、ゴミ箱はそこよ?」
「こういう手合いは何をするか解りませんから。何かしてきたらこれは向こうの傲慢さを示す証拠になりますよ」
物証は持っておいて損はありません。備えあれば憂いなしと昔から言うように、何かあった時の為に有利になりそうな証拠は集めるべきです。
「そ、それもそうね。私も念のため取っておいた方が良さそうだわ」
ゴミ箱からFAX用紙を取りだし引き延ばす桶川さん。しかし、紙はクシャクシャになっていてかなり読み辛くなっていました。




