第二十六話 天職?
私が乗り込むと、運転手さんはすぐにドアを閉めて走り出しました。行き先を告げていないのですが、どういう事でしょう?
「やっぱりこうなったか。待機していて正解だったな」
運転手さん、こうなる事を予測して待っていてくれたようです。実際、運転手さんが待っていてくれなかったら面倒な事になっていたでしょう。
「ありがとうございます。こうなると分かっていたのですか?」
「ユウリさん、自分の知名度に気付いてないみたいだったからね。変装もせずに歩けば、囲まれるのは当然でしょう」
声優デビューをしたとはいえ出演作はまだ放映されておらず、
表に出た仕事は雑誌が一件とテレビが一件のみ。それで知名度云々言われても、自覚のしようがありません。
「で、目的地は?」
「すいません、桶川プロまでお願いします」
私としたことが、まだ行き先を告げていませんでした。すっぱりと電車を諦めて、このまま事務所まで乗せていってもらいましょう。
「まさか、私が有名になってるなんて思わなかったわ」
「本当に自覚無かったのか。これから気を付けなよ」
テレビ一件でそこまで知名度が上がっていると思わなかったと正直に言うと、大笑いされてしまいました。二週間前までごく普通の女子中学生だったのです。無理を言わないでください。
無事桶川プロに到着し、料金を払い降ります。お礼を言うと、客の少ない平日朝に長距離乗ってくれて逆に有り難かったと言われてしまいました。
「おはようございます。テレビの反響、凄いですね」
「そうなんですよ。電車で来ようとしたら囲まれてしまって困りました」
最寄り駅とタクシーで一度降りた駅での事を話すと、受付嬢は爆笑しだしてしまいました。
「変装もしないでですか?それは当たり前ですよ!」
当たり前と言われても、ぽっと出の新人声優がそこまで注目されるなんて思いませんよ。
「テレビに出たって言っても、一度だけですよ?」
「その容姿であの活躍、印象深いなんてものじゃないですよ。ユウリさん、本当に自覚ないんですね。」
自覚と言われても、私はごく普通の公爵令嬢・・・じゃない、新人声優です。
「私、ついこの間まで一般人ですよ?」
「そっちの自覚じゃないんですけど・・・あ、はい。いらしてます」
話してる最中に内線がかかってきたようです。お仕事の邪魔になってはいけないので、そろそろお暇いたしましょう。
「ユウリさん、社長がお呼びです。社長室にお願いします」
「わかりました。ありがとうございます。」
受付さんと別れて社長室に入ると、桶川さんが満面の笑顔で待っていました。
「ユウリちゃん!テレビの反響、凄いわよ!」
「駅で囲まれて、身をもって実感しました。お陰でタクシー使うはめになって、大出費です」
「そんなの、気にしないでいいわよ。領収書貰った?」
お釣りと一緒に貰っていました。確かお財布に入れていたはずです。確認すると、ちゃんと入っていました。
「これですね」
「経費で落とすから心配しないで。こんなの問題にならない位仕事をとってくるわ」
楽しそうに言う桶川さん。その目は輝いていて、強敵と試合をしている時の由紀を思い出してしまいました。
「ずいぶん嬉しそうですね」
「当たり前よ。見つけた原石が、想像以上の輝きを持っていたのよ。どうやって磨くか、どこまで輝くか。これがこの仕事の醍醐味なのよ」
私を見据え、熱弁する桶川さん。そこまで熱中できるものが、私にはありません。スポーツをやっていても、習い事をやっていても楽しいと思えなかったのです。
「何言ってるの?ユウリちゃんの天職は声優よ。これからは休みが無くなるほど仕事が入るわよ」
「お手柔らかにお願いします」
声優が私の天職かどうかは置いておくとして、休みなしで働き詰めというのは遠慮したいところです。
芸能界にも労働基準法という言葉、ありますよね?




